世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

第2回 東大宮演劇祭

2007年02月25日 22時32分00秒 | Weblog
2/25(日)

妹・芋子と「東大宮演劇祭2007」に行く。
この演劇祭がなければ、東大宮という土地には降り立つことはなかっただろう。
学生時代もいつも通過するだけだった、東大宮。

(劇)レインボウ城!の芝居「ラブタンク」「悪魔のひなまつり」を観た。
特に「ラブタンク」は、今まで観た(劇)レインボウ城!の作品で、一番好きかもしれない。
第一次世界大戦真っ只中のイタリアにあるオカマバーの話。
陽気なオカマの様子に笑いっぱなし。
でも、「人の数だけ悩みはある」というバーのママの深い台詞でキュッと絞めていて、胸キュン…。少しウルってしてしまった。
最後、オカマたちに招集礼状が届き悲観的になり暗くなって終る…という予想をうまく裏切ってくれた。爽やかな終り方だった。良かった。

その後、芋子と大宮で軽く食事をした。
学生時代、乗り継ぎ駅だった大宮。
素敵なお店が沢山できていて、芋子と解散したあと、のんびりとブラブラした。
先週購入したニットに合うスカート、そしてランコムのマスカラをお買い上げ。
ルンルン気分で帰宅~♪

さぁて。
来週も頑張るか!
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さくらん

2007年02月25日 22時24分02秒 | Weblog
2/24(土)

レイトショーで映画「さくらん」を観てきた。
前々から楽しみにしていたのだ。

私の前世は女郎だったと思う。

そのことは、だいぶ以前、このブログに書いた。
占師にそう告げられたわけではない。
ただ、漠然とそう思うのである。

渡辺淳一先生の「失楽園」で、「赤い襦袢は遊女しか身に付けない」という下りで、何かデジャブみたいなものを感じたのが、そう思う切欠だった。
かつて自分が赤い襦袢を当たり前のように着用していたという思いが、胸の奥から沸き起こってきたのである。
それを前世の自分に重ねることで、自分を納得させている。
同じく渡辺淳一先生の「白き旅立ち」で、美幾という遊女の生き方に触れたときも懐かしさを感じたし、林真理子先生の「花」では女郎の悲しみを我がことのようにリアルに感じた。
他に、日曜日の昼ごろにのんびりと気が済むまで化粧をしていると心が落ち着く。
日曜日のだらしのない日差しを浴びながら、窓際の化粧コーナーに腰かける。
煙草を咥えながら、睫の一本一本に至までマスカラを絡めていると、何とも言えない快楽を得る。
肌蹴たバスローブを着用し、ヘアアイロンで「これでもか!」というぐらい癖のある髪を伸ばしている我が身を鏡越しで見る。
そこには平成版「カタチだけ女郎」が映っている。
ホントはカタギのOLなんだけど…。

そんな私が「さくらん」をずっと楽しみにしてきたのは当然といえば当然である。
さて、「さくらん」(ネタバレあり)

淡々としたストーリーに花を添えるような画像が、とても印象的だった。
8歳で置き屋に売られたきよ葉。
その悲しみを強さに変えられる素敵な生きざまを演じたのは土屋アンナ。
土屋アンナといえば、あの「下妻物語」のヤンキー役とリンクする。
粋がってても、「御意見無用」を「御意見無様」と間違えて特攻服に刺繍してしまうオチャメな役だった。
「さくらん」でも「イチゴか?」と錯覚するシーンが随所にあった。
彼女にはそういう熱い役が似合う。

女郎の悲しみといえば、好きでもない殿方と性行為をすることだとはたやすく想像できるが、他にも女子特有の焼きもちによるいじめなどが渦巻いて、予想を遥かに上回る過酷さであった。
果敢に立ち向かうきよ葉は、罰として折檻を受けても、自分を崩さない。

それにしても、きよ葉は無器用すぎる。
特定のお客さんを本当に好きになったら、他のお客さんに上の空で接客したり、喧嘩っ早かったり。
前世が駄目女郎の私でも、もっと上手くやっていたと思う。傷付くのが怖いから。

何とか努力して、花魁に登りつめて吉原を闊歩する姿は圧巻。
あと、寝っ転びながら、キセルを粋に吸うきよ葉が漏らした言葉が印象的。
「キセルって便利だよな~。寝っ転びながら吸っても灰が落ちねぇし」…に、納得してしまった。ほかの女郎もプカプカとヤニを吸っていたので、女郎の喫煙率は高かったのだろう。それだけストレスがある仕事なんだと解釈。

そして、濡れ場。
特に菅野美穂の性行為シーンは凄かった。
10年前、彼女が裸体の写真集を出したことを久々に思い出した。
殿方に馬乗りになり、せっせと腰を動かしながら振返る仕草はとても優雅で綺麗だった。
身を捩る度にできる背中の陰とか、艶かしくてクラクラした。
監督が女性だったからだろうか。嫌らしさは感じられなかった。
他にも濡れ場シーンはてんこ盛り。お腹いっぱい。

前世の自分は、毎日、あんなことやこんなことをやっていたのだろう。
色目や殿方をゲットするための手練手管を学習し、実践する毎日…。
ルーティンワーク=性行為、そんなエブリディ…。
後世の今の自分が、こんな尼のような生活をしていても、帳尻を考えれば納得がいく。


そう。
私は前世でやりすぎたんである。
きっと。

だから神様が「次回は少し休みなさい」と思し召し下さり、今、殿方よりも吉熊に愛を注げるハートを持てるようになったんだわ。きっと。

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