ヒューマントラストシネマ有楽町で「キャタピラー」を観た。半年前から気になっていた作品だ。封切りの日、生憎私はニューヨークに行っていて、その後も色々あり、今日の鑑賞になった。
本作品で寺島しのぶは銀熊賞をゲットした。そのときの寺島しのぶが超可愛い。今まで寺島しのぶについては何とも思っていなかった。寺島しのぶのお母さんで女優の富司純子の方が私にとっては馴染みがある。大林宣彦監督の「ふたり」のお母さん役が非常に良かったからだ。本作品の中の寺島しのぶは、ふとした瞬間にお母さんの面影が出ていた。
さて「キャタピラー」
あらすじ: 勇ましく戦場へと出征していったシゲ子の夫、久蔵。しかし戦地からシゲ子(寺島しのぶ)の元に帰ってきた久蔵(大西信満)は、顔面が焼けただれ、四肢を失った姿だった。多くの勲章を胸に、「生ける軍神」と祭り上げられる久蔵。シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていくが……。(シネマトゥデイ)
以下、ネタバレあり。
想像以上の世界がくり広がっていた。
エンドロールの「死んだ女の子」まで我を忘れてのめり込んで観てしまった。口を閉めるのを忘れて見終えたあとは喉がカラカラになっていた。
1,800円かなと思っていたら特別価格の1,300円だった。「多くの人に観てもらいたいから」という願い故の価格設定らしい。そんな若松監督による、画面の隅々、一瞬一瞬にまで散りばめられた反戦の思い。キャストの熱演も良かったが、結局この思いが一番の主演だったような気がする。反戦すぎて、久蔵としげ子の世界からは少し遠い広島と長崎の原爆のもようや戦犯の絞死刑の映像まで流されていた。あれについては賛否両論があるらしいのだが、特に私は違和感を得なかった。
とにかく、肢体を失い意思の疎通もままならない久蔵の食欲性欲の旺盛っぷりにポカーンとしてしまった。その都度、赤子に接するように食事を与え、また、自らもんぺを脱いで下半身を貸すしげ子。たまにお尻とか噛まれたりする。
しげ子の引くリアカーに乗せられた久蔵は道行く村人から「軍神さま」と崇めたてられる。そんな彼を、家の中では食欲と性欲の塊にしか思えなくなるしげ子。ついには爆発。昔、子供ができない自分を「この役立たず!!」と言って殴った久蔵への恨みまでブレンドされ怒り倍増。
「何なのよ!軍神さまって言ったって、こんな姿じゃないの!」と久蔵に怒りをぶちまけ、ろくに動けない久蔵を殴り、跨って無理矢理「犯す」。戦地で女たちを犯し殺めていた久蔵はだんだんしげ子の顔がその女たちと重なって見えて怯える。罪の意識や恐怖に苛まれて叫び、泣き、もごもごと動きながら部屋中を移動し、ついには玄関の土間に勢い良く落下する久蔵を見ながら「いーもーむーし、ごーろごろ」と高笑いするしげ子。あの演技は寺島しのぶしかできないと思った。
ことあるごとに、久蔵は勲章や自分のことを讃える新聞記事を眺めていた。自分が失ったものと引き換えに得た物、自分を称賛してくれるものを眺めてうっとりする気持ちは解らなくはない。
そして敗戦。しげ子の留守中、久蔵は家の裏の貯水地で自殺をする。肢体を失って得た勲章や名誉の価値が終戦により無になってしまう恐怖からだろうか。もしくは、自分の体をこんなにしてしまった戦争が終わることの理不尽さからだろうか。死ぬ前、水面に映る焼け爛れた自分の顔をじっと見つめる久蔵の様子に胸を痛めた。ついさっきまでしげ子の視線や立場に主観を置いていたのに、なぜか久蔵の切なさや遣る瀬無さが伝わってきて泣きそうだった。
なんとも。
本当に、スゴい映画だった。
戦争を題材にした映画はけっこう観てきた。
そのどれよりも、「キャタピラー」は私の心への浸透圧が高い。
キャタピラー : 反戦映画に込めた こだわり
本作品で寺島しのぶは銀熊賞をゲットした。そのときの寺島しのぶが超可愛い。今まで寺島しのぶについては何とも思っていなかった。寺島しのぶのお母さんで女優の富司純子の方が私にとっては馴染みがある。大林宣彦監督の「ふたり」のお母さん役が非常に良かったからだ。本作品の中の寺島しのぶは、ふとした瞬間にお母さんの面影が出ていた。
さて「キャタピラー」
あらすじ: 勇ましく戦場へと出征していったシゲ子の夫、久蔵。しかし戦地からシゲ子(寺島しのぶ)の元に帰ってきた久蔵(大西信満)は、顔面が焼けただれ、四肢を失った姿だった。多くの勲章を胸に、「生ける軍神」と祭り上げられる久蔵。シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていくが……。(シネマトゥデイ)
以下、ネタバレあり。
想像以上の世界がくり広がっていた。
エンドロールの「死んだ女の子」まで我を忘れてのめり込んで観てしまった。口を閉めるのを忘れて見終えたあとは喉がカラカラになっていた。
1,800円かなと思っていたら特別価格の1,300円だった。「多くの人に観てもらいたいから」という願い故の価格設定らしい。そんな若松監督による、画面の隅々、一瞬一瞬にまで散りばめられた反戦の思い。キャストの熱演も良かったが、結局この思いが一番の主演だったような気がする。反戦すぎて、久蔵としげ子の世界からは少し遠い広島と長崎の原爆のもようや戦犯の絞死刑の映像まで流されていた。あれについては賛否両論があるらしいのだが、特に私は違和感を得なかった。
とにかく、肢体を失い意思の疎通もままならない久蔵の食欲性欲の旺盛っぷりにポカーンとしてしまった。その都度、赤子に接するように食事を与え、また、自らもんぺを脱いで下半身を貸すしげ子。たまにお尻とか噛まれたりする。
しげ子の引くリアカーに乗せられた久蔵は道行く村人から「軍神さま」と崇めたてられる。そんな彼を、家の中では食欲と性欲の塊にしか思えなくなるしげ子。ついには爆発。昔、子供ができない自分を「この役立たず!!」と言って殴った久蔵への恨みまでブレンドされ怒り倍増。
「何なのよ!軍神さまって言ったって、こんな姿じゃないの!」と久蔵に怒りをぶちまけ、ろくに動けない久蔵を殴り、跨って無理矢理「犯す」。戦地で女たちを犯し殺めていた久蔵はだんだんしげ子の顔がその女たちと重なって見えて怯える。罪の意識や恐怖に苛まれて叫び、泣き、もごもごと動きながら部屋中を移動し、ついには玄関の土間に勢い良く落下する久蔵を見ながら「いーもーむーし、ごーろごろ」と高笑いするしげ子。あの演技は寺島しのぶしかできないと思った。
ことあるごとに、久蔵は勲章や自分のことを讃える新聞記事を眺めていた。自分が失ったものと引き換えに得た物、自分を称賛してくれるものを眺めてうっとりする気持ちは解らなくはない。
そして敗戦。しげ子の留守中、久蔵は家の裏の貯水地で自殺をする。肢体を失って得た勲章や名誉の価値が終戦により無になってしまう恐怖からだろうか。もしくは、自分の体をこんなにしてしまった戦争が終わることの理不尽さからだろうか。死ぬ前、水面に映る焼け爛れた自分の顔をじっと見つめる久蔵の様子に胸を痛めた。ついさっきまでしげ子の視線や立場に主観を置いていたのに、なぜか久蔵の切なさや遣る瀬無さが伝わってきて泣きそうだった。
なんとも。
本当に、スゴい映画だった。
戦争を題材にした映画はけっこう観てきた。
そのどれよりも、「キャタピラー」は私の心への浸透圧が高い。
キャタピラー : 反戦映画に込めた こだわり