東日本大震災から今日で一年。
有楽町の東京国際フォーラムへ。
あの日、私はここで地震に遭った。地面から突き上げるような揺れが両足を伝い、動けなくなった。頭上で不気味な音を響かせる一面硝子張りの建物を前に、恐怖で腰が抜けた。14:46、あの日と同時刻に同じ場所に立つと様々なことが脳裏に蘇ってくる。
これが一斉に揺れたんである。
今日は吉熊を連れてきたから怖くない。
お世話になった避難所。
あの晩はありがとうございました。
足元を見ると、あの日、目に付かなかった花が咲いていた。
あの日は家に帰ることのみを必死に考えていたので目に入らなかったのかもしれない。
結局、あの晩は、やっと動き出した地下鉄で深夜に帰宅した。
あれから一年。
一年が経ったのである。
昨年秋には被災地にも行った。
(2011年10月9日 この目で見た津波の爪痕)
会社も震災を機に大きく変わった。天災による交通網の乱れでの遅刻は残業代から引かれるようになった。余震の度に部下を無視して公園にソロで逃げる他部署の部長は、信頼を失った。節電で社内はいまだに薄暗く、寒くて暑い。
私の生活自体はそんなに変わっていない。非自炊生活をしているので、震災直後の食生活と煙草の品薄状態はかなり堪えたが。あとクマの置物が揺れで一部欠けたぐらいだ。栃木の実家も無事だった。
意識は大きく変わった。
いつ死んでも後悔しないように生きよう、と。
一年を振り返る意味で東京国際フォーラムに立つ。
14:46、黙祷。
日比谷公園を目指した。
多くのビルで半旗が掲げられていた。
空は真っ青。悲しいぐらいに。
日比谷公園ではイベント「Peace On Earth」が開催していた。
会場にいた猫にゃん。
噴水前のステージでは坂本龍一教授たちが語っていた。
ミーハーな感覚しか持ち合わせていないので申し訳ないが、34年生きていて、生の教授を見たのは初めてでかなり興奮した。
あとサッカーの中田選手がインタビューを受けていた。スタイリッシュな体型はモデルみたいであった。
WWFのブースにいたパンダ。
マフラーが素敵。
お腹が空いたので有楽町方面に戻る。
なんか急に機動隊が乗るバスを発見。あと警察官がやけにたくさんいる。笛や太鼓の音も。近くのおっさんと「何でしょうかね?」と話ながら進むと、反原発のデモであった。
デモの人たちと進む方向が一緒だったので、暫し平行移動する形で歩くことになった。
原発について何の主義主張も持ち合わせていない自分が平行歩行してすいません、と思った。
飲み屋街で愛くるしい看板を発見したぶー。
ファーストキッチンで食事。
あの日、震災の数時間前もここで食事をした。
あの時、日本がこんなふうになるとは思わなかった。
日比谷シャンテを眺める。
渋谷の美術館で絵画鑑賞をしたあと、目黒経由で白金台へ。
八芳園で開催されるキャンドルナイトというイベントに参加。
500円の募金をすると、開始まで、ノンアルコールとちょっとした食事を楽しめる。
八芳園の食事なんて恐らくこの先一生縁がないだろう。とても美味しかった。
会場が暗くなり、八芳園のスタッフによるキャンドルの灯火、そしてメッセージの朗読。このメッセージは事前に募集されたもので、家族などに向けられたものが多かった。
中には八芳園の上司が部下たちに送ったものも紛れていた。
私にとって大切な人、
それは
家族
友達
会社の同僚
マイミクさん
ブログを通して知り合えた方々
そして、
最愛のクマたちと、
吉熊
この小さな小さなクマを守るためならば、私は何でもできそうだ。
いつもそばにいてくれてありがとう。
私はあなたといつまでも笑っていたい。
3月11日。
この日、改めて自分の大切な人を想うとともに、一日でも早く被災地が復興しますように、と祈った。
有楽町の東京国際フォーラムへ。
あの日、私はここで地震に遭った。地面から突き上げるような揺れが両足を伝い、動けなくなった。頭上で不気味な音を響かせる一面硝子張りの建物を前に、恐怖で腰が抜けた。14:46、あの日と同時刻に同じ場所に立つと様々なことが脳裏に蘇ってくる。
これが一斉に揺れたんである。
今日は吉熊を連れてきたから怖くない。
お世話になった避難所。
あの晩はありがとうございました。
足元を見ると、あの日、目に付かなかった花が咲いていた。
あの日は家に帰ることのみを必死に考えていたので目に入らなかったのかもしれない。
結局、あの晩は、やっと動き出した地下鉄で深夜に帰宅した。
あれから一年。
一年が経ったのである。
昨年秋には被災地にも行った。
(2011年10月9日 この目で見た津波の爪痕)
会社も震災を機に大きく変わった。天災による交通網の乱れでの遅刻は残業代から引かれるようになった。余震の度に部下を無視して公園にソロで逃げる他部署の部長は、信頼を失った。節電で社内はいまだに薄暗く、寒くて暑い。
私の生活自体はそんなに変わっていない。非自炊生活をしているので、震災直後の食生活と煙草の品薄状態はかなり堪えたが。あとクマの置物が揺れで一部欠けたぐらいだ。栃木の実家も無事だった。
意識は大きく変わった。
いつ死んでも後悔しないように生きよう、と。
一年を振り返る意味で東京国際フォーラムに立つ。
14:46、黙祷。
日比谷公園を目指した。
多くのビルで半旗が掲げられていた。
空は真っ青。悲しいぐらいに。
日比谷公園ではイベント「Peace On Earth」が開催していた。
会場にいた猫にゃん。
噴水前のステージでは坂本龍一教授たちが語っていた。
ミーハーな感覚しか持ち合わせていないので申し訳ないが、34年生きていて、生の教授を見たのは初めてでかなり興奮した。
あとサッカーの中田選手がインタビューを受けていた。スタイリッシュな体型はモデルみたいであった。
WWFのブースにいたパンダ。
マフラーが素敵。
お腹が空いたので有楽町方面に戻る。
なんか急に機動隊が乗るバスを発見。あと警察官がやけにたくさんいる。笛や太鼓の音も。近くのおっさんと「何でしょうかね?」と話ながら進むと、反原発のデモであった。
デモの人たちと進む方向が一緒だったので、暫し平行移動する形で歩くことになった。
原発について何の主義主張も持ち合わせていない自分が平行歩行してすいません、と思った。
飲み屋街で愛くるしい看板を発見したぶー。
ファーストキッチンで食事。
あの日、震災の数時間前もここで食事をした。
あの時、日本がこんなふうになるとは思わなかった。
日比谷シャンテを眺める。
渋谷の美術館で絵画鑑賞をしたあと、目黒経由で白金台へ。
八芳園で開催されるキャンドルナイトというイベントに参加。
500円の募金をすると、開始まで、ノンアルコールとちょっとした食事を楽しめる。
八芳園の食事なんて恐らくこの先一生縁がないだろう。とても美味しかった。
会場が暗くなり、八芳園のスタッフによるキャンドルの灯火、そしてメッセージの朗読。このメッセージは事前に募集されたもので、家族などに向けられたものが多かった。
中には八芳園の上司が部下たちに送ったものも紛れていた。
私にとって大切な人、
それは
家族
友達
会社の同僚
マイミクさん
ブログを通して知り合えた方々
そして、
最愛のクマたちと、
吉熊
この小さな小さなクマを守るためならば、私は何でもできそうだ。
いつもそばにいてくれてありがとう。
私はあなたといつまでも笑っていたい。
3月11日。
この日、改めて自分の大切な人を想うとともに、一日でも早く被災地が復興しますように、と祈った。