世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

エーリスウエノが教えてくれたこと

2012年03月16日 | Weblog
昔。まだ幼き頃。
両親と、今の実家の近くの借家に住んでいた。

借家のすぐ南側には木製の電信柱があり、道を挟んだ西側は一面広い空き地だった。
借家は3部屋あった。茶の間、寝室、レコードと勉強机がある北側の父の部屋。
遊び場は専ら縁側と南側の駐車場。
蟻の軌跡を追ったり、親が誂えたブランコで狂ったように遊んだ。
隣の家のあけちゃんというお姉さんに遊んでもらったことも覚えている。
「こえだちゃんの木のおうち」を与えておけば私は2時間ぐらい黙々と一人で遊んだらしい。

公園の北側にある喫茶店で母とピラフを食べたこと。
白の無地の腹巻きが嫌で着用を拒否したが、母が油性のマジックで名犬ジョリィの絵を描いたら、すんなりと着用したこと。
育てていた大きなひまわりが台風で倒れてしまい、隣人の駐車場に埋めたこと。
ブンブンタイムの絵本、近所に住んでいた体の弱い男の子のこと、中耳炎になったっこと。


最近、しきりにあのときのことを思い出す。



今日はその近くのスーパー「エーリスウエノ」が頭に浮かんできた。

南側に面した入り口を入ると、すぐ右手に洋品などを売る2階へ続く大きな階段があった。
幼心に、今の宝塚の大階段に思えた。
今はもう閉店したあのスーパーを何で今ごろ思い出したのか。不思議である。

今日、母に電話でエーリスウエノの大階段について訊いてみた。

「高砂のエーリスウエノに大きな階段、あったよね?」
「ああ、あったよー」
と。

幼き頃の些細なことを確認できるのって、やはり親しかいない。
確認してどうというわけではないが、確認することによって、なんとも言えない安心感が生まれる。
年齢を重ねるごとに、「あのときのこと」を語れる仲間(共通の話題で語り合うことができる人)は増えていく。
「あのときはああだったよね」という話題がミクロであればあるほど、そして過去であればあるほど、話せる相手の貴重度が増す。

そんなことをエーリスウエノは教えてくれた。
ちなみに、エーリスは「奉仕する」という意味らしい。

エーリスウエノ - Wikipedia


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花金 ひゃっほう~!

2012年03月16日 | Weblog
祝!金曜日!やっと週末。今週は体調がイマイチであった。幾分長く感じられた。
月曜日にプール潜り、ひたすら潜りながら前進し、ようやく対岸にタッチできたという清々しい気分でいっぱいだ。
それにしても金曜日が来る度にこんなに幸せな気分に浸れる自分って…。


昼過ぎ、社長に簡易書留を出すように頼まれたので郵便局へ行った。
春の日差しの中を歩き、リフレッシュできた。

朝から吉熊上司が外出だったので、他部署から予算の件を聞かれ、何件か自分で対応。
Excelで来期の枠を作成しながら、後輩女子Cちゃんと
「吉熊さん、早く帰ってこないかな~」
と雛鳥の気分で待った。



「今日は定時で帰ろう」
と思っていたのだが、頼まれごとをされ、1時間残業。
最後の最後でピボットが思わぬ動きを見せ、時間がかかった挙げ句、吉熊上司に助けてもらうという…。
結局何がダメだったのかいまだに分からぬ。
「君ってここ一番っていう時にツイてないよな」
と吉熊上司に言われて凹んだ。

そう。私には「こういう時に限って…」ということが多い。多すぎる。
普段は内勤なのに、震災の日に限って外出。挙げ句、帰宅難民…とか。
そういう星の下に生まれたのだろう、きっと。


今日は図書館が休みなので喫茶店でぼんやり。
夕御飯はジャンバラヤ。
ちゃんと辛かった。
次回は後輩女子Cちゃんも誘って来よう。



これから2日間はぼんやり充電するつもり。
ひゃっほう~!

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イクメン・クマパパ

2012年03月16日 | Weblog
通勤中、乳母車を押すスーツ姿のサラリーマンと、毎朝同じ時間、同じ場所ですれ違う。
「最近のお父さんは育児に参加するのね」
と思う。

過去のアルバムを捲ってみたら、父クマパパのイクメン姿を発見。

彼にも、FUNKY MONKEY BABYSの「ヒーロー」みたいな時代があったのだ、きっと。

父クマパパは優しい。

今も老体に鞭打って働いている父クマパパ、私にとってはいつまでもヒーローだ。