世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

南国に忘れもの

2013年08月20日 | Weblog
心療内科デー。
待ち時間4時間。羽田ー台北松山空港のフライト時間より長い。
今、林真理子先生の「女文士」を読んでいるのだが、間違えて「戦争特派員(下)」をカバンに入れてきてしまった。
先日読了したのに。この夏2度目の読み返し。

電話で恋人梶原と喧嘩した奈々子。
居ても立ってもいられず寝巻のまま梶原宅へタクシーを飛ばす。


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 寝巻きのままで、男のもとへ急ぐ。まるで物語のようではないか。履いてきたサンダルも買い物用のやつで、おそらくちぐはぐな格好になっているに違いない。
 しかし奈々子はすでに気づいていた。ずっと前から、いつしかこんなふうに男のところへ行く自分を夢みていた。憧れていた。そして、それをさせる男を待っていた。
 梶原のマンションには、エレベーターがない。だから三階まで、奈々子は息せききって上がらなければならなかった。
二階の踊り場には、子どもの三輪車が置いてあった。それをよけようとしたら、階段につまずきそうになって、奈々子は手すりをつかむ。
 男への思いが、めまいのように、からだから脳の裏側へとつらぬく。
「好き、会いたい。好き、会いたい」
 その言葉でリズムをつけ、一段一段駆けあがる。その間、耳が痛くなる一瞬があった。心のしんが、薄荷をくわえたようにすっと冷たくなって、ざわざわと鳥肌が立つ。
 この感触とひきかえに、今まで自分は生きてきたのだと思う。実物に会うよりも、その一分前の方が、遥かに陶酔がある……、これが恋でなくてなんだろうか。

・・・・・・

この部分、何度読んでも好き。脳の中でまるでドラマのように情景が浮かぶ。
そう、殿方とデートする時、会う「一分前」が一番陶酔する。この感覚、非常によく分かる。
そうはいっても寝巻きのまま来られても困るだろうよ、梶原だって。
でも奈々子のこの破天荒なところも魅力の一つ。元気で可愛い。
1989年バブル期の東京。ファッション業界でMDやっている「イケイケ女子」な奈々子。これ、何度読んでも飽きない。
なによりも林先生の文章が私の体に沁みついてしまっているのも一因。


さて、診察。
クマ医師、やはり夏休みはどこかに行ったもよう。
肌が黒いんですけど!!
黒クマみたい。

「最近どうでしたか?」
と訊かれたので旅行に行ったことを話した。
毎年、「どちらに?」と訊かれるのが毎年夏のパターン。
台湾に行ったこと、食事が美味しかったこと、超ウルトラ楽しかったことを話した。
「良かったですね」
とクマ医師。
クマ医師に「先生はどちらへ?」と訊きたかったがやはり今年も訊けなかった。←小心者。
奈々子のように明るい子だったら訊けたのだろうに。でもこの距離感がきっと大切なんだと思う。

仕事については最近落ち着いているので特に悩んでいることはないと伝えた。
パキシルの減薬については今はちょうど生理前だから止めておきましょう、とのこと。
もともと10ミリ/日で量としては少ないので、減薬に不安がらなくていいと言いつつも、クマ医師はけっこう慎重にその期を伺っている。まるでパイロットが徐々に機体を着陸に移行するかのように。

今日はなぜか上手く心を開けなかった私。
クマ医師と目を合わすことができなかった。やましいことは何もないのだが。
じっとこちらを見つめられると逸らしてしまう。恥ずかしいんだもの。

処方変更なし
パロキセチン、ゾルピデム酒石酸塩、防風通聖散、ラベプラゾール


先週の今頃は台湾での最後の夜だった。
九份に行った後、ホテルで台湾麦酒を飲んで寝る頃。
楽しかったなあ。
心をあの南国に忘れていってしまったのかもしれない。
だから今日の診察では心ここにあらず状態だったのだ、きっと。


そう言えば奈々子と梶原の出会いは冒頭、台北の空港でのトランジェットだった。