10年前の今日、何をしていたか、よく覚えている。
このブログを開設する前の2004年5月29日。
映画「下妻物語」の封切のあの日。
私は日比谷シャンテへ行き、あの映画を観た。
今日みたいな蒸し暑い日で朝だった。
ロビーにはロリータの方々がたくさんいた。
そしてあの日私は衝撃を受けたのである。
何に?って。
深キョン扮するロリータ命の桃子の孤高の精神に。そして土屋アンナ扮するイチゴの「御意見無様(用)」なポリシーに。接点がなさそうな二人の運命はやがて絡み合い、クールな友情に発展する。その過程が丁寧に描かれていた。
脇を固める役者、栃木に生まれながらそれまで知らなかった下妻という土地のアメリカ映画に出てきそうな壮大なるロケーション、笑いのツボ、桃子が着るロリータのお洋服、ロココ・・・全て私の好みだった。
以後三週間、水曜日のレディースデーにはこれを観に銀座に出没するという惚れこみようだった。
観た翌週、手持ちの洋服で一番ヒラヒラした服に身を包み、白のレースいっぱいの日傘を差して下妻のロケ地巡りをしたり、2011年には下妻のイベントに行き、会場にいらしていた嶽本野ばら先生に持参していた「下妻物語」の本にサインをしてもらった。(2011年10月23日「世界で最も偉大なロリータのパーティ」)
「下妻物語」は、私が最も影響を受けた作品の一つなのである。
ロココ時代のフランスを夢見ながら、牧歌的な田園、というかただの田んぼを歩く桃子が呟く。
「私はここで生きてるんです」
また、渋谷まで洋服を買いに行く桃子に地元の八百屋のおじさんが言う。
「なんもしらねえんだなおめえは。下妻のジャスコはスーパーなんてもんじゃねえの、なんだってある。なんもかんもそろってる、東京のパルコ以上だ」
そんな住人に桃子は心の中で呟く。
「この町の人間は完全に狂っています」
冒頭から上記のような名シーンが続く。
初っ端からエンディングまで我を忘れて観た映画はこれ以外には「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH- 帰還バージョン」ぐらいだ。
特に印象的なのは以下。
桃子の台詞
「人間は一人なの
一人で生まれて一人で考えて一人で死んでいくの
人は一人じゃ生きられないなんて
だったら私は人じゃなくていい
ミジンコでいい
寄り添わなきゃ生きられない人間よりも
ずっとずっと自立してるもの 」
この桃子の台詞は10年経過しても私の心の軸になっている。
自分的にキリストの誕生前、誕生後という位置づけに値するぐらい衝撃的だった。
10年前26歳だった私は周囲から「結婚は?」「彼氏以いないの?」と言われて超ウザいと思っていた。言われる度にこの台詞を心の中で言い返していたので記憶してしまうぐらいに。
桃子の台詞
「それがどんなに非常識な生き方だとしても
幸せならいいじゃん
気持ち良ければオッケーじゃん
ロココの精神は私にこう教えてくれました
だけど、私マジで心根が腐っています」
この台詞と近いことを最近心療内科のクマ医師に言われた。
誰の尺度でもない他ならぬ自分自身の価値観に自信を持って生きていこうと再び決意した。
お祖母様の台詞
「おめえの道を行け
他の誰とも違う
おめえじゃなきゃダメだって場所が
きっと見つかるからよ 」
これは嶽本野ばら先生自身が今も自分に言い聞かせている言葉なんじゃないかなと思う。ブログなどを拝見していると。
私も仕事をしているときによく思い出すが、自分自身の才能が何なのかよく分からないし、もしあったとしてもそれが今の仕事に生かされているのかと問われると「うーん・・・」となってしまう。10年前もたしかそんな感じだった。10年後はどうかな。
お祖母様役の樹木希林。凄く良かった。
10年前。26歳。
入社4年目。総務歴3年。
まだまだ自信がなくておどおどしていた自分。
あのあと幾つかの変換ポイントみたいなものがあったが、やはり「下妻物語」ほど自分に影響を及ぼしたものはない。
10年後46歳の自分はこの作品をどういう境遇で観るのだろうか。楽しみでもあり、不安でもある。
でも基本的に変わらないのだろう。きっと。
好きだからといって同じ映画を3週連続で観に行っちゃったりしてんだろうなあ。
(ちなみに「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」はプラネタリウム上映を含めると8回観た)
下妻物語
このブログを開設する前の2004年5月29日。
映画「下妻物語」の封切のあの日。
私は日比谷シャンテへ行き、あの映画を観た。
今日みたいな蒸し暑い日で朝だった。
ロビーにはロリータの方々がたくさんいた。
そしてあの日私は衝撃を受けたのである。
何に?って。
深キョン扮するロリータ命の桃子の孤高の精神に。そして土屋アンナ扮するイチゴの「御意見無様(用)」なポリシーに。接点がなさそうな二人の運命はやがて絡み合い、クールな友情に発展する。その過程が丁寧に描かれていた。
脇を固める役者、栃木に生まれながらそれまで知らなかった下妻という土地のアメリカ映画に出てきそうな壮大なるロケーション、笑いのツボ、桃子が着るロリータのお洋服、ロココ・・・全て私の好みだった。
以後三週間、水曜日のレディースデーにはこれを観に銀座に出没するという惚れこみようだった。
観た翌週、手持ちの洋服で一番ヒラヒラした服に身を包み、白のレースいっぱいの日傘を差して下妻のロケ地巡りをしたり、2011年には下妻のイベントに行き、会場にいらしていた嶽本野ばら先生に持参していた「下妻物語」の本にサインをしてもらった。(2011年10月23日「世界で最も偉大なロリータのパーティ」)
「下妻物語」は、私が最も影響を受けた作品の一つなのである。
ロココ時代のフランスを夢見ながら、牧歌的な田園、というかただの田んぼを歩く桃子が呟く。
「私はここで生きてるんです」
また、渋谷まで洋服を買いに行く桃子に地元の八百屋のおじさんが言う。
「なんもしらねえんだなおめえは。下妻のジャスコはスーパーなんてもんじゃねえの、なんだってある。なんもかんもそろってる、東京のパルコ以上だ」
そんな住人に桃子は心の中で呟く。
「この町の人間は完全に狂っています」
冒頭から上記のような名シーンが続く。
初っ端からエンディングまで我を忘れて観た映画はこれ以外には「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH- 帰還バージョン」ぐらいだ。
特に印象的なのは以下。
桃子の台詞
「人間は一人なの
一人で生まれて一人で考えて一人で死んでいくの
人は一人じゃ生きられないなんて
だったら私は人じゃなくていい
ミジンコでいい
寄り添わなきゃ生きられない人間よりも
ずっとずっと自立してるもの 」
この桃子の台詞は10年経過しても私の心の軸になっている。
自分的にキリストの誕生前、誕生後という位置づけに値するぐらい衝撃的だった。
10年前26歳だった私は周囲から「結婚は?」「彼氏以いないの?」と言われて超ウザいと思っていた。言われる度にこの台詞を心の中で言い返していたので記憶してしまうぐらいに。
桃子の台詞
「それがどんなに非常識な生き方だとしても
幸せならいいじゃん
気持ち良ければオッケーじゃん
ロココの精神は私にこう教えてくれました
だけど、私マジで心根が腐っています」
この台詞と近いことを最近心療内科のクマ医師に言われた。
誰の尺度でもない他ならぬ自分自身の価値観に自信を持って生きていこうと再び決意した。
お祖母様の台詞
「おめえの道を行け
他の誰とも違う
おめえじゃなきゃダメだって場所が
きっと見つかるからよ 」
これは嶽本野ばら先生自身が今も自分に言い聞かせている言葉なんじゃないかなと思う。ブログなどを拝見していると。
私も仕事をしているときによく思い出すが、自分自身の才能が何なのかよく分からないし、もしあったとしてもそれが今の仕事に生かされているのかと問われると「うーん・・・」となってしまう。10年前もたしかそんな感じだった。10年後はどうかな。
お祖母様役の樹木希林。凄く良かった。
10年前。26歳。
入社4年目。総務歴3年。
まだまだ自信がなくておどおどしていた自分。
あのあと幾つかの変換ポイントみたいなものがあったが、やはり「下妻物語」ほど自分に影響を及ぼしたものはない。
10年後46歳の自分はこの作品をどういう境遇で観るのだろうか。楽しみでもあり、不安でもある。
でも基本的に変わらないのだろう。きっと。
好きだからといって同じ映画を3週連続で観に行っちゃったりしてんだろうなあ。
(ちなみに「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」はプラネタリウム上映を含めると8回観た)
下妻物語