世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

人生は旅

2016年01月20日 23時28分24秒 | Weblog
アスファルトのまだ雪は完全に溶けていない。


日が当たらない建物の北側はまだ雪国。


今週末も雪が降るというので今から籠城の予定を組んでニヤニヤしている。
「何しようかな~」って。


ところで、昨日のブログのアクセスIPが1000近くてびっくりぽん!
大半は映画「I am ICHIHASHI 逮捕されるまで」の感想を書いた日記だ。





今日は朝一で取引先が来た。
制服の件で打ち合わせ。
部長とその部下が来たのだが、部長とはもう15年来の顔馴染み。
部下はおととし転職してきた男性。

今日は電車の遅延で部長が遅れてきたので、それまで部下と喋った。
「ご出身は?」という定番の話から、彼の出身地が神戸だということを知った。


「阪神淡路大震災のとき、僕は高3でした」
とのこと。
「私は高2でした。クラスで募金を集めました」
と話すと
「じゃあ僕たち、1個違いなんですね」
「○○さん、若く見えますねえ」
という話で盛り上がった・・・ところで部長、登場。


阪神淡路大震災が起きた1995年は、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、いろいろあった年だった。

小学校卒業と同時にバブル崩壊し、17歳で先述のような怒涛の世に身を置き、大学卒業時は就職超氷河期、それからリーマンショック、東日本大震災と、まあ色々体験してきた。
特に2011年の東日本大震災。私が33歳のとき。
あの日、私はこともあろうか一人で有楽町に外出してて、地震で電車が止まってしまい、途方に暮れた。

「帰ることだけ考えて!」
と吉熊上司に電話で言われ、とりあえずラーメンを食べた。
コンビニでは既に食料品が売り切れていた。長期戦になることを覚悟し、胃袋にラーメンを詰め込んだ。
電車が動き出すまで避難所で体育座りをしていたとき、「しっかりしろ、自分」と何度も言い聞かせたことは記憶に新しい。てか、一生忘れられないだろう。

ここが宇都宮だったら、実家の父に迎えに来てもらうのに、と思った。
が、次の瞬間、「一人で生きていくのはこういうことなんだ」「誰にも頼らないで生きていくことってこれなんだ」と思い、自分の甘さを感じた。


先日、母ヨーコたんが64歳の誕生日を迎えた。
僅かばかりのお小遣いを送ったのだが、「節約しているのにすまない」と、恐縮されて困惑した。
あんな僅かな金銭で恐縮される自分は、なんて頼りないのだろうかと・・・。

あと数週間で38歳になる。
もっとしっかりしないと、と思う。

あっという間にこの歳になった。
毎日変わらないような日常も僅かに変わっている。

人生は旅。
手垢まみれなこの言葉を改めて思う。
そう、旅だ。
一つの景色にとどまることがないところに人生と旅の類似点を感じる。

お供のクマと色々な景色を味わう、私の旅。



今日は、短信の文言部分を作成し終え、社長に提出。
また社長に頼まれていた業界紙の原稿をメール送信。
経費分析を行った。けっこうやりきった感、満載。

明日はどんな景色に出会うのだろうか。

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