下諏訪町にはかつて中山道の宿場町がありました。温泉街でもあるその地はかつての面影をとどめている場所も多く、今回「横町木下 面影を知るまちあるき」の企画を知って参加しました。諏訪大社秋宮の駐車場に車を停め、時間があったので秋宮の散策をしました。紅葉が見頃を迎えた11/3のことです。
下諏訪町には温泉が出ています。この秋宮の温泉(源泉55℃!)の手水は熱いお湯でみなさん驚かれていました。
この日は祭日でもあり、七五三の方も多く、境内は賑わっていました。神楽殿と忙しそうに行き来する宮司さん…
ちょうど奉納の菊花展が開かれていて、たくさんの菊の花が飾られていました。
盆栽仕立ての菊があって驚きでした。どれも見事な枝ぶりでした。
本殿も参拝者の行列ができていました。宝物館の近くには小さな祠があってそこにも御柱が建てられていました。
秋宮脇にある塩羊羹の新鶴さんにも行列ができていました。裏の工場の煙突の煙…きっと小豆を煮ているのでしょう。
秋宮の境内の裏では発掘調査が行われていました。(前回のウォーキングの時にも見た光景です)ここで調査に当たっておられる方にお話を伺いました。この調査は古い秋宮の境内の様子を知るためだそうです。この辺りから祭事に使った「かわらけ(土器)」が出て来たり、柱の遺構が見つかったりしているそうです。発掘している場所にあったお社は焼き討ちにあって、この写真の上方の一段と高い所に土を盛って新たな社を築いて今に至るそうです。
何故焼き討ちにあったかが私の知らなかった驚きの事実…何と上社と下社が戦をして(上社の大祝諏訪氏と下社の大祝金刺氏)下社が戦いに敗れ焼き討ちにあったそうです。金刺氏は先日のウォーキングで登った桜城の城主!鎌倉から戦国時代は神社の大祝(おおほうり)がその土地を治めていて勢力争いがあったのだそうです。この時代の上社と下社の関係は驚きでした。この遺構からは焼け焦げた木片も出てきているそうです。
さてここから街歩きの集合場所「八幡坂高札ひろば」のお蔵に向かいました。大きな欅を見て坂を下ると広場ではパフォーマンスや太鼓の演奏が行われていました。
ここから街歩きが開始です。ガイドの方を含めて10人ほどで街を巡りました。時計工房「儀象堂」(時計の成り立ちや発展を体験して学べる時計博物館)を横に見ながら歩きました。
ところどころに温泉が出ている路地を通って「青塚古墳」に向かいました。この古墳は前方後円墳で今はそこに木が生い茂り、小さな祠がありました。石室も入り口が見えました。
ここの前の道は「鎌倉街道」です。そこから中山道に出て「花屋茂七館」に向かいました。ここでこの地区のお話を伺いました。温泉のある宿場町は中山道では唯一でここは当時、大変賑わったそうです。
この地区の方の半纏には秋宮と温泉と花見新道の桜が描かれていました。ここで黒曜石を発見!1つ100円で販売されていました。
ここから「児湯」と「綿の湯」跡をと通って歩きました。「児湯」は今でも共同浴場があります。
「綿の湯」は跡地が広場になっています。ここには宿場問屋もあったそうです。
この後、中山道下諏訪宿の本陣を訪ねました。ここでは当主からこの本陣の歴史を伺うことができました。当主は28代だそうです。江戸時代に建てられた数寄屋造りの建物と屏風絵のように広がる庭園は京風にできていて、多くの方に絶賛されているそうです。
今が一年で一番庭が美しい時だそうで、紅葉のきれいな庭をじっくり眺めさせていただきました。
室内の素晴らしい金屏風も見せていただきました。趣ある掛け軸も素敵な佇まいでした。庭の池には錦鯉が優雅に泳いでいました。
庭の石も箱階段も年数を経た生活用品も気になるものが沢山の本陣でした…ここでは着物を纏って写真撮影をしてくださるイベントもあって、せっかくなので撮っていただきました。
本陣をじっくり見学させていただき、宿場を感じる街中を歩いて出発地に戻りました。
趣きのある家並が続いていました。ここにも温泉が出ていて自由に使えるようになっていました。
干し柿の吊るされた風景もなかなか良いものでした。青空が広がった秋宮横の駐車場から眺めた諏訪湖です。
長年、この前の道を通りながら気になっていた「本陣 岩波家」にようやく訪問ができました。当主の方にお話もお聞きし、紅葉の素晴らしい時期に見事な庭園も見ることができて、いい時間が過ごせました。