救急外来

2006年01月28日 | 介護日記 -
病院へ行くと、“人生の縮図”をみる。
病院という場所は、不思議な空間だ。
再生する人、終焉をむかえる人、そして、そういう人を取り囲む人々、
メディカルケアをする人々もまた・・・。
ちょっとした会話の中にも、自然と読み取れる“事情”、そして“感情”がある。


今朝の父は、あまりにも「身体が痛い」と言って、生気が無かった。
何をするにも協力してもらえず・・・終いには、反応も乏しくなって・・・
私は(どうなってしまうのかと心配になって)たとえようもない不安を感じた。
そして、ついに父は、ぐったりとして、まったく動かなくなってしまった。
意識障害のような状態で、原因がわからないからこそ余計に、私は落ち着きを失った。
隣のYさんに電話したり、介護タクシーを探したり、いろいろと八方手を尽くしたが、
何も手段が見つからなかった。いくつかの病院にも問いあわせたが、すべて撃沈!!
どうしようもなかったので、ついには「救急車」を要請した。
私の心情としては、ただ“うなる父”を、放置するわけにはいかなかったのだ。

   久しぶりの救急車だったが、
   やはり乗り心地は、良くなかったなぁ。
   私自身が酸欠状態になりそうだった・・・(ごめんなさい)。


しかし、救急車を要請したものの・・・
“路上駐車+路面の凍結”という・・・フツーならありえないことが重なって、
「救急車が(自宅前まで)入ってこられない」と連絡が入った。
しばらく待っていると、救急隊員が“折りたたみストレッチャー”で訪ねてくれた。
ストレッチャーだけを使ったのは、徒歩五分ぐらい――かなりの長い距離である。
それに、上り坂&下り坂があるので、おそらく注意を必要とした搬送だったと思う。
救急車が入れなかったのは、車の路上駐車(傍のパチンコ屋さんのお客らしい)が原因だ。
本来であれば、一台ぐらいが停まっていても何ら問題がないのだが、今日は路面が凍結!
過日の大雪で、雪かきをされていなかった大きなマンション前の道路(坂道)だった。
日あたりが悪いから特に、何日経っても雪が残っており、路面は凍結していた。
「こういうこともあるんだなぁ」
この事実で、ちょっとしたことだけど、本当にいろいろなことを感じた。
駐車違反、雪かき、マンション管理体制、社会システム、救急医療の特性、思いやり、
病気を抱えた人々の想い、介護人の立場、病院、笑顔の大切さ、言葉のやりとり、etc.

そういうこともあって、実際には、
要請電話から一時間半以上もかけて、やっと搬送病院が決定するという・・・
なんともまぁ“考えられない時間”を要してしまった。
心臓疾患や脳疾患の患者さんであれば、“かなり大きな問題になっただろう”と思うと、
身がひきしまる想いである。(たった30分が、生死を分けることもあるのだ)
山岳地帯の医療環境においては頻繁に聞くが、まさか“このあたり”でもあるなんて!
今日は、今まで経験したことのない偶然が、たまたま重なってしまったようである。

苦労して救急車に乗り込ませていただいた後にも、病院との調整電話が大変だ。
救急隊員さんの“病院とのやりとり”を聞いていて、感じたことがある。
様子を全部説明してから、ベッドの空きを確認して、受け容れの是非がわかるのは、
ちょっと“へ~んな感じ”がしたのである。
詳しい病状、名前、経緯などを説明してから、ベッドの空きを確認して、それを理由に
断られるということがフツーになっているらしいのだが・・・
そのやりとりを聞いていると、病院側に“選別されている”ように錯覚してしまった。
素朴な疑問として、「ベッドの空きを先に確認すればいいじゃん?」なんて感想を抱く。
担当する専門医、処置機能の確認など、必要な“すり合わせ”なのかもしれないけれど、
傍で見ていて、なんとなく“すっきりしない”対応だったのは事実である。

救急窓口に到着してからも、ひっきりなしに救急車のサイレンが鳴り響く。
搬送でお世話になった救急隊員さんにうかがうと、一日に7~8回は出動するらしい。
一つの車でさえそうなんだから、病院単位でいうと、かなりの数になるのだろう。
落ち着かない心境のまま、「外でお待ちください」と促され、長いすに腰掛けた途端、
何人もの救急患者を目の当たりにした。
「ご家族には連絡がとれないんです」と同行者が話しながら、飛び込んできた高齢者―。
付き添い人は、まさに施設の職員のような服装で、20代後半の優しそうな好青年だ。
患者さんは女性で、80歳ぐらいの年齢に見受けられた。
そういう似たようなケースばかり・・・次から次へと・・・・・
間髪いれず飛び込んできた別の高齢者に付き添った女性は、「相談員です」と説明し、
「ご家族と、まだ連絡がつかなくて・・・」と声を落とす。

“日本は、やっぱり高齢化社会なんだ”と、しみじみ感じる。
福祉施設や福祉サービスは、今や“なくてはならないもの”となっているようだ。
私のように、介護どっぷりという環境もまた多いだろうが・・・施設や社会サービスに
託した介護人生もまた多く、様々なカタチを呈しているようだ。

施設の付き添い好青年と、80歳ぐらいのおばあちゃんとの会話を、そばで聞きながら、
なぜか・・・自然と泣けてきてしまった。
父のことで張りつめていたからか、それとも心があらわれたのか・・・・
なんでもない会話なのに、すごく“感じてしまった”。
“ツボに入ってしまった”というべきか・・・
二人の会話の中に“心”を感じたこと、いたわりの気持ちが感じられたこと、
おばあちゃんが彼を信頼していたこと、すごく自然で感動的だったこと、
(私と父にはないような)人間的キャッチボールのある会話がうらやましかったこと―etc.


今日は、本当にいろいろな景色を見た。
様々なことを感じた。

病院に行くと疲れる。
母の介護は、大学病院だったが・・・あのときと同じように他人の人生が見えてしまう。
でも、素晴らしいエッセンスもいただき、やるせないエピソードも経験し、
心ない言葉もまた看護士さんからかけられ・・・とにかく、病院は“疲れる”。
それでも、力をかしてもらわなければならないほどに、父の状態は芳しくない・・・。


入院の可能性もあったので、タオルや着替えなどをバックに詰め込んで持参したが、
今日のところは帰宅している。
おかげさまで、最悪の検査結果ではなかったらしい。

処置していただいたが、(私の願い虚しく)飛躍的に改善されることはなかった。
父にしてみれば、あまり変わらない状態で、まだ激痛をともなう身体状態ではある。
しかし、検査をしてもらったことで、内臓疾患の(現時点での)レベルが明確になり、
多少の安心感は得られたので、それは“何よりも良かった”。

尚、“脳は、かなり萎縮している”ということが、CTで確認された・・・。

高いびき

2006年01月28日 | 介護日記 -
ドタキャンされっぱなしの自分が、ドタキャンをし続けている。

今日も、外出は急遽取りやめ・・・父の介護につとめる。

現状を打開するためには、今日は総合病院へ連れて行こうと思っている。
点滴とか、注射とか、そういうレベルの対処では“もう無理だろう”と・・・。

ゴー、ゴー。
父の高いびきがすごいので、枕を取りに走り降りる。

今は、朝の一仕事を終えたところで、父をしばらく休ませているところだが、
いかにして“あの巨体”を車に乗せるか・・・・・これは大問題だ。
隣のYさんにお願いするかなぁ。
しかし、それを想像するだけで、頭が痛くなる。

枕をとったのに、まだまだ高いびきは続いている。