病院へ行くと、“人生の縮図”をみる。
病院という場所は、不思議な空間だ。
再生する人、終焉をむかえる人、そして、そういう人を取り囲む人々、
メディカルケアをする人々もまた・・・。
ちょっとした会話の中にも、自然と読み取れる“事情”、そして“感情”がある。
今朝の父は、あまりにも「身体が痛い」と言って、生気が無かった。
何をするにも協力してもらえず・・・終いには、反応も乏しくなって・・・
私は(どうなってしまうのかと心配になって)たとえようもない不安を感じた。
そして、ついに父は、ぐったりとして、まったく動かなくなってしまった。
意識障害のような状態で、原因がわからないからこそ余計に、私は落ち着きを失った。
隣のYさんに電話したり、介護タクシーを探したり、いろいろと八方手を尽くしたが、
何も手段が見つからなかった。いくつかの病院にも問いあわせたが、すべて撃沈!!
どうしようもなかったので、ついには「救急車」を要請した。
私の心情としては、ただ“うなる父”を、放置するわけにはいかなかったのだ。
久しぶりの救急車だったが、
やはり乗り心地は、良くなかったなぁ。
私自身が酸欠状態になりそうだった・・・(ごめんなさい)。
しかし、救急車を要請したものの・・・
“路上駐車+路面の凍結”という・・・フツーならありえないことが重なって、
「救急車が(自宅前まで)入ってこられない」と連絡が入った。
しばらく待っていると、救急隊員が“折りたたみストレッチャー”で訪ねてくれた。
ストレッチャーだけを使ったのは、徒歩五分ぐらい――かなりの長い距離である。
それに、上り坂&下り坂があるので、おそらく注意を必要とした搬送だったと思う。
救急車が入れなかったのは、車の路上駐車(傍のパチンコ屋さんのお客らしい)が原因だ。
本来であれば、一台ぐらいが停まっていても何ら問題がないのだが、今日は路面が凍結!
過日の大雪で、雪かきをされていなかった大きなマンション前の道路(坂道)だった。
日あたりが悪いから特に、何日経っても雪が残っており、路面は凍結していた。
「こういうこともあるんだなぁ」
この事実で、ちょっとしたことだけど、本当にいろいろなことを感じた。
駐車違反、雪かき、マンション管理体制、社会システム、救急医療の特性、思いやり、
病気を抱えた人々の想い、介護人の立場、病院、笑顔の大切さ、言葉のやりとり、etc.
そういうこともあって、実際には、
要請電話から一時間半以上もかけて、やっと搬送病院が決定するという・・・
なんともまぁ“考えられない時間”を要してしまった。
心臓疾患や脳疾患の患者さんであれば、“かなり大きな問題になっただろう”と思うと、
身がひきしまる想いである。(たった30分が、生死を分けることもあるのだ)
山岳地帯の医療環境においては頻繁に聞くが、まさか“このあたり”でもあるなんて!
今日は、今まで経験したことのない偶然が、たまたま重なってしまったようである。
苦労して救急車に乗り込ませていただいた後にも、病院との調整電話が大変だ。
救急隊員さんの“病院とのやりとり”を聞いていて、感じたことがある。
様子を全部説明してから、ベッドの空きを確認して、受け容れの是非がわかるのは、
ちょっと“へ~んな感じ”がしたのである。
詳しい病状、名前、経緯などを説明してから、ベッドの空きを確認して、それを理由に
断られるということがフツーになっているらしいのだが・・・
そのやりとりを聞いていると、病院側に“選別されている”ように錯覚してしまった。
素朴な疑問として、「ベッドの空きを先に確認すればいいじゃん?」なんて感想を抱く。
担当する専門医、処置機能の確認など、必要な“すり合わせ”なのかもしれないけれど、
傍で見ていて、なんとなく“すっきりしない”対応だったのは事実である。
救急窓口に到着してからも、ひっきりなしに救急車のサイレンが鳴り響く。
搬送でお世話になった救急隊員さんにうかがうと、一日に7~8回は出動するらしい。
一つの車でさえそうなんだから、病院単位でいうと、かなりの数になるのだろう。
落ち着かない心境のまま、「外でお待ちください」と促され、長いすに腰掛けた途端、
何人もの救急患者を目の当たりにした。
「ご家族には連絡がとれないんです」と同行者が話しながら、飛び込んできた高齢者―。
付き添い人は、まさに施設の職員のような服装で、20代後半の優しそうな好青年だ。
患者さんは女性で、80歳ぐらいの年齢に見受けられた。
そういう似たようなケースばかり・・・次から次へと・・・・・
間髪いれず飛び込んできた別の高齢者に付き添った女性は、「相談員です」と説明し、
「ご家族と、まだ連絡がつかなくて・・・」と声を落とす。
“日本は、やっぱり高齢化社会なんだ”と、しみじみ感じる。
福祉施設や福祉サービスは、今や“なくてはならないもの”となっているようだ。
私のように、介護どっぷりという環境もまた多いだろうが・・・施設や社会サービスに
託した介護人生もまた多く、様々なカタチを呈しているようだ。
施設の付き添い好青年と、80歳ぐらいのおばあちゃんとの会話を、そばで聞きながら、
なぜか・・・自然と泣けてきてしまった。
父のことで張りつめていたからか、それとも心があらわれたのか・・・・
なんでもない会話なのに、すごく“感じてしまった”。
“ツボに入ってしまった”というべきか・・・
二人の会話の中に“心”を感じたこと、いたわりの気持ちが感じられたこと、
おばあちゃんが彼を信頼していたこと、すごく自然で感動的だったこと、
(私と父にはないような)人間的キャッチボールのある会話がうらやましかったこと―etc.
今日は、本当にいろいろな景色を見た。
様々なことを感じた。
病院に行くと疲れる。
母の介護は、大学病院だったが・・・あのときと同じように他人の人生が見えてしまう。
でも、素晴らしいエッセンスもいただき、やるせないエピソードも経験し、
心ない言葉もまた看護士さんからかけられ・・・とにかく、病院は“疲れる”。
それでも、力をかしてもらわなければならないほどに、父の状態は芳しくない・・・。
入院の可能性もあったので、タオルや着替えなどをバックに詰め込んで持参したが、
今日のところは帰宅している。
おかげさまで、最悪の検査結果ではなかったらしい。
処置していただいたが、(私の願い虚しく)飛躍的に改善されることはなかった。
父にしてみれば、あまり変わらない状態で、まだ激痛をともなう身体状態ではある。
しかし、検査をしてもらったことで、内臓疾患の(現時点での)レベルが明確になり、
多少の安心感は得られたので、それは“何よりも良かった”。
尚、“脳は、かなり萎縮している”ということが、CTで確認された・・・。
病院という場所は、不思議な空間だ。
再生する人、終焉をむかえる人、そして、そういう人を取り囲む人々、
メディカルケアをする人々もまた・・・。
ちょっとした会話の中にも、自然と読み取れる“事情”、そして“感情”がある。
今朝の父は、あまりにも「身体が痛い」と言って、生気が無かった。
何をするにも協力してもらえず・・・終いには、反応も乏しくなって・・・
私は(どうなってしまうのかと心配になって)たとえようもない不安を感じた。
そして、ついに父は、ぐったりとして、まったく動かなくなってしまった。
意識障害のような状態で、原因がわからないからこそ余計に、私は落ち着きを失った。
隣のYさんに電話したり、介護タクシーを探したり、いろいろと八方手を尽くしたが、
何も手段が見つからなかった。いくつかの病院にも問いあわせたが、すべて撃沈!!
どうしようもなかったので、ついには「救急車」を要請した。
私の心情としては、ただ“うなる父”を、放置するわけにはいかなかったのだ。
久しぶりの救急車だったが、
やはり乗り心地は、良くなかったなぁ。
私自身が酸欠状態になりそうだった・・・(ごめんなさい)。
しかし、救急車を要請したものの・・・
“路上駐車+路面の凍結”という・・・フツーならありえないことが重なって、
「救急車が(自宅前まで)入ってこられない」と連絡が入った。
しばらく待っていると、救急隊員が“折りたたみストレッチャー”で訪ねてくれた。
ストレッチャーだけを使ったのは、徒歩五分ぐらい――かなりの長い距離である。
それに、上り坂&下り坂があるので、おそらく注意を必要とした搬送だったと思う。
救急車が入れなかったのは、車の路上駐車(傍のパチンコ屋さんのお客らしい)が原因だ。
本来であれば、一台ぐらいが停まっていても何ら問題がないのだが、今日は路面が凍結!
過日の大雪で、雪かきをされていなかった大きなマンション前の道路(坂道)だった。
日あたりが悪いから特に、何日経っても雪が残っており、路面は凍結していた。
「こういうこともあるんだなぁ」
この事実で、ちょっとしたことだけど、本当にいろいろなことを感じた。
駐車違反、雪かき、マンション管理体制、社会システム、救急医療の特性、思いやり、
病気を抱えた人々の想い、介護人の立場、病院、笑顔の大切さ、言葉のやりとり、etc.
そういうこともあって、実際には、
要請電話から一時間半以上もかけて、やっと搬送病院が決定するという・・・
なんともまぁ“考えられない時間”を要してしまった。
心臓疾患や脳疾患の患者さんであれば、“かなり大きな問題になっただろう”と思うと、
身がひきしまる想いである。(たった30分が、生死を分けることもあるのだ)
山岳地帯の医療環境においては頻繁に聞くが、まさか“このあたり”でもあるなんて!
今日は、今まで経験したことのない偶然が、たまたま重なってしまったようである。
苦労して救急車に乗り込ませていただいた後にも、病院との調整電話が大変だ。
救急隊員さんの“病院とのやりとり”を聞いていて、感じたことがある。
様子を全部説明してから、ベッドの空きを確認して、受け容れの是非がわかるのは、
ちょっと“へ~んな感じ”がしたのである。
詳しい病状、名前、経緯などを説明してから、ベッドの空きを確認して、それを理由に
断られるということがフツーになっているらしいのだが・・・
そのやりとりを聞いていると、病院側に“選別されている”ように錯覚してしまった。
素朴な疑問として、「ベッドの空きを先に確認すればいいじゃん?」なんて感想を抱く。
担当する専門医、処置機能の確認など、必要な“すり合わせ”なのかもしれないけれど、
傍で見ていて、なんとなく“すっきりしない”対応だったのは事実である。
救急窓口に到着してからも、ひっきりなしに救急車のサイレンが鳴り響く。
搬送でお世話になった救急隊員さんにうかがうと、一日に7~8回は出動するらしい。
一つの車でさえそうなんだから、病院単位でいうと、かなりの数になるのだろう。
落ち着かない心境のまま、「外でお待ちください」と促され、長いすに腰掛けた途端、
何人もの救急患者を目の当たりにした。
「ご家族には連絡がとれないんです」と同行者が話しながら、飛び込んできた高齢者―。
付き添い人は、まさに施設の職員のような服装で、20代後半の優しそうな好青年だ。
患者さんは女性で、80歳ぐらいの年齢に見受けられた。
そういう似たようなケースばかり・・・次から次へと・・・・・
間髪いれず飛び込んできた別の高齢者に付き添った女性は、「相談員です」と説明し、
「ご家族と、まだ連絡がつかなくて・・・」と声を落とす。
“日本は、やっぱり高齢化社会なんだ”と、しみじみ感じる。
福祉施設や福祉サービスは、今や“なくてはならないもの”となっているようだ。
私のように、介護どっぷりという環境もまた多いだろうが・・・施設や社会サービスに
託した介護人生もまた多く、様々なカタチを呈しているようだ。
施設の付き添い好青年と、80歳ぐらいのおばあちゃんとの会話を、そばで聞きながら、
なぜか・・・自然と泣けてきてしまった。
父のことで張りつめていたからか、それとも心があらわれたのか・・・・
なんでもない会話なのに、すごく“感じてしまった”。
“ツボに入ってしまった”というべきか・・・
二人の会話の中に“心”を感じたこと、いたわりの気持ちが感じられたこと、
おばあちゃんが彼を信頼していたこと、すごく自然で感動的だったこと、
(私と父にはないような)人間的キャッチボールのある会話がうらやましかったこと―etc.
今日は、本当にいろいろな景色を見た。
様々なことを感じた。
病院に行くと疲れる。
母の介護は、大学病院だったが・・・あのときと同じように他人の人生が見えてしまう。
でも、素晴らしいエッセンスもいただき、やるせないエピソードも経験し、
心ない言葉もまた看護士さんからかけられ・・・とにかく、病院は“疲れる”。
それでも、力をかしてもらわなければならないほどに、父の状態は芳しくない・・・。
入院の可能性もあったので、タオルや着替えなどをバックに詰め込んで持参したが、
今日のところは帰宅している。
おかげさまで、最悪の検査結果ではなかったらしい。
処置していただいたが、(私の願い虚しく)飛躍的に改善されることはなかった。
父にしてみれば、あまり変わらない状態で、まだ激痛をともなう身体状態ではある。
しかし、検査をしてもらったことで、内臓疾患の(現時点での)レベルが明確になり、
多少の安心感は得られたので、それは“何よりも良かった”。
尚、“脳は、かなり萎縮している”ということが、CTで確認された・・・。