今日は、早朝からまぶしい日差しが射し込んでいたので、
布団の他、秋冬物の衣装をつるしていた。
壮観な光景だった。
服の・・・おもなる色は、「黒」が多くて・・・
そこに鮮やかなテキスタイルデザインの服が並ぶ。
もともと原色やデザイン性のある柄物が好きなのだが・・・
経済的な理由や、使い回しの観点から、ずっと
黒い服を定番としてきた。
若い頃は、黒い服がおしゃれにうつった時期もあったし・・・ネ。
「なるほどね」と感じながら、自分の服たちを眺め、
少し前の“ある出来事”を思いだした。
それは、ある自称セラピストが「黒い服ばかり来ている人は・・・」
と言い放ち、私を分析に走ったことだった。
もちろん、完全無視をしたが、好きな傾向はあろうとも、
たったそれだけの情報(服の色)で・・・
「私の全てを理解したかのような“したり顔”は止めてほしい」と
思ったものである。
特に、私の場合は、経済的な理由から“長く着れる定番”を選び、
それを着ていただけだから・・・(好きで着てる服でもなし)・・・
余計にそう感じたのだろう。
自称セラピストの中には、本当に“うさんくさい人”がいる。
占いや、カードと一緒で、ある見解を持ってのぞまないと・・・。
しかし、それを信じて、傾倒したり、依存したりする人が多い昨今、
本当に「たくさんの人が“自分”を喪失している」と感じてしまう。
大事なのは、決めつけられることに対する拒否反応があることだが、
そのことが正論だと感じて、引っ張られる人が問題ではないだろうか。
一種のマインドコントロールのようなものである。
一時期の自己啓発セミナーにはまって抜けられない人のように・・・。
私は、占いやカードを否定しているのではなく、ある一つのサポートの
素材として使うことには、何ら異論はない。
娯楽として、楽しむのも、悪くないと思っている。
要は、その「使い方」と、相手に対する「対応の仕方」が問題なのだ。
また、誰もが「セラピスト」になれる社会構造にも問題がある。
肩書きに弱い日本人にとっては、本当によくないとも思うからだ。
ドイツのように、決定的な資格制度が成り立っているわけでもない。
だまされず、おどらされず、
ちゃんと、自分の足で立って、自分の意思で決定していこう。
並んだ黒い服を見て、また・・・そんなたわいのないことを感じた。