サーロイン200g ペロリ!

2015年12月29日 | 食事 -
仕事収めをした後に、精肉店に飛び込み・・・
牛肉 サーロイン 200g を 購入しました。

牛肉のひとかけらの値段が、
いつものランチ予算の2~3倍以上でしたが、財布の紐を ゆるめました。
「元気をつけるため!」



自分で 家用のフライパン使用。
塩コショウで、両面を強火で焼き、中身はレアにしました。
ソースは、無添加のハンドメイド。
フルーツを練りこんだ醤油+味噌+にんにくたっぷりの
なかなかのソースです。

お肉が上等すぎて、私には脂身が強すぎましたが・・・
とてもおいしくいただけました。

これからの忙しさに対応するためのエネルゲンです。



先週、レストランでいただいた顔つきとは全然違います。

お肉だけの値段で、このプレートの二倍以上でしたので、
脂が綺麗に入った牛肉200gの威力は 存分にありましたね。



月に2度ぐらいは、お肉生活したいという気分になりました。
今の私には、闘争するパワーが必要だと思うし、何よりも
底力をつける大事さを痛感しているからです。
上等肉の焼き方も、もっと上手くなりたいですし・・・。
精肉店主と仲良くなって、サービスしてもらえるぐらいの
付き合い人にもなりたいものです。

来年は、パワーを補給しながら、元気に生活したいです。


「 エンディングノート 」

2015年12月29日 | 日乗考察 -
私が ( 生まれて初めて ) 「 遺言書 」 を書いたのは、
母が亡くなって、父の見守りを はじめた頃だった。
そして、その後、介護人生活になった際には、より詳しく
遺言書を 書き直したのを 覚えている。
それらは、まだ開封されることなく、我がタンスの奥に
しまわれている・・・。




人は、予期せぬ事故 に巻き込まれてしまうことがある。
若くても、病気 になってしまうこともあるし・・・
もしもの時 」 というのは、ある日、突然にやってくる ものだ。


自分に関する情報や財産、意思、希望などを明確に記して、
周囲の人に書き記すことを目的とした 「 エンディング ノート 」。

最近は、適切に 編集された万人向けのノートが 売られており、
このたび 参考程度に 手に入れてみた。

そのノートの中には、あらゆる法律情報が盛り込まれていて、
自分が 自主的に書き込んで 仕上げるようになっている。

私の情報としては、住所や生年月日などの個人情報から、
保険証番号 ( 保管場所 )、年金番号 ( 保管場所 )、パスポート、
運転免許証、マイナンバー、趣味、好きな食べ物、服装、余命告知の有無、
手元に置いておきたいもの、して欲しくないもの、呼び名など。
「 知っておいて欲しい自分のこと 」 も 書くようになっていた。
すごく丁寧で、細やかに整理して明記するようになっている。



エンディングノートの項目は、多方面にわたっていて、
自分を取り巻く情報、生い立ち、ペット、家系図、親戚、友人、
どのような治療を受けたいのか、介護は誰に(どこに)託すのか、
介護費用の捻出方法、財産の意思表示、葬儀のやり方 や お墓、
その他、「 残された人にお願いしたこと 」 においては、
身の周りの物品整理から パソコンのデータをどうするかまで
書き記すように、既成のエンディングノートは 編集されていた。
なかなか詳しくできており、ページをめくるたびに、
「 なるほど 」と唸る項目が 幾つも あったりした。



母の時には、財産や登記簿謄本の在り処を 教えてもらった。
父の時には、私が管理をして、全てを 私に委ねられていた。
若くして身体を悪くし、両親共に はやく逝ったために、
私はひとり残されてしまったが、あらゆる経緯の中で
介護人として貴重な経験をさせてもらったと思っている。


次は、私の番だ。
このような 「 エンディングノート 」 を仕上げるまでには、
膨大な時間がかかりそうだ。
友人の住所や連絡先を書いて、葬儀には知らせるべきか否か、
そんな細かいことも 全て 明記するようにできているからだ。

「 医療・介護 」 「 財産 」 「 葬儀 」 「 お墓 」 ・・・
現在の私の想定外のことばかりだが、可能な限り、
少しずつ考えていかなければならない。
延命治療 や 尊厳死 などについても、しっかりと考えて、
自分の最期をイメージしながら、希望を整理していきたい。



家族であれば甘えられるようなことであっても・・・
他人の手を借りて お願いしなければならない私にとっては、
慎重に、明確に、書き記すことが良いのかもしれないと感じる。

普段は、話題にもできないようなことが多いし、それでいて、
重要な情報や事項なので、大切な 自分の伝言 となるだろう。


書き記すためには、心を決める必要があるので、その過程の中で
“ 私の人生を振り返ること ” が 多少なりとも できるかもしれない。


自分の裸の心の想いを残しておくことは、大切なことだと思う。
そんなことを感じながら、この 「 エンディングノート 」 を眺め、
押し寄せてくる新しい感慨を 今 かみしめている。


こういうことは 「 尊重されるべき意思表示となる 」 だろう。
そして、私自身が、将来、本当の “ 高齢者 ” になる前に、
日常の判断が難しい人格になってしまう前に、
少しずつ意識して 整理しておくべきだと思っている。
( まだまだ 前向きで 元気なうちに・・・ )


私が生きた証としても、大切な最後のメッセージとなるはずだ。



  
それにしても、
「 まだ10~15年先でも充分大丈夫かなぁ 」 と
思ってしまうことが、
「 もしもの時 」 には 困ることになるのかなぁ。

「 まだ早いんじゃないかぁ? 」 と思いたい事実 を
自分自身の中で 確認している・・・。