「お金」の威力

2015年12月15日 | 雑感 -

ミハエル・エンデの「お金に関する概念」に初めて触れたとき、
ある種の衝撃を受けた。
それは、とても強いものだった・・・。

当然のように感じていた金融サイクルや、お金の存在価値が、
まるで違ったモノに感じられたからだ。


いつの世も、「お金の存在は大きい」のは分かっているし、
何かと価値観の指標になることが多く、人びとの生活からは
切っても切れなくなっている。
だからこそ、見失う・・・本質論






「お金」は、どれぐらい大切か。

そもそも、「お金」とは、何なんだろう・・・と。


お金自体よりも、使った後に得られるはずであろう感覚や
感情などが大切なのに、現代社会に生きる人々の常識内では、
お金そのものに焦点があたりすぎている。

そういう価値観でいる人が多いために、「お金」というものを
想起させるような発言をすると、相手の判断の範疇では・・・
直裁的な理解に繋がることになり、本質的な意図が伝わりにくい。
細やかなニュアンスさえも 誤想されてしまうことがある。


私も、お金は欲しい。
ほしいよ!

でも、人生の価値は、お金だけではない。
すべてのバランスや、トータル的な環境や条件などを優先して
主張したとしても、それが100%伝わることは皆無である。

ぐいと、引き止める自分がいるが、
こだわる自分もいる。

自分の働きに対する「相当なる対価」だからこその“こだわり”。





莫大な資金を操る海外の投資家にとって、お金という存在は
庶民の“それ”とは、完全に違うものとなっている。

お金の数字だけが独り歩きして、今や信じられないマネー額が
売り買いされ、「莫大な利益」や「気の遠くなる損失」を産む。



  今、もし存命していたら・・・
  あのミハエル・エンデは、この時代の仕組みを、
  どのような想いで受け留めるだろう。

そんなことがフッと頭をよぎり、再び厳しい現実世界に戻され、
「お金の威力」と「おそろしさ」を感じずにはいられない。

人の幸せは、お金だけでは測れない。
けれど、お金を(過剰な精神力で)追い求める人がいるし・・・
お金だけが指標だと思い込み、他人の気持ちさえも勝手に判断し、
当然のごとく決め付ける人もいる。

人それぞれ・・・。
お金との対峙方法も、それぞれ・・・だ。

しかし、お金は、その威力がゆえに、人を惑わす。
助けてくれた直後でも、すぐに奈落に突き落とす冷淡さがある。
それが、「お金」だ。



自分の価値観の中で、お金の存在意義を、あらためて見極め、
人生の中で「どのように付き合っていくべきなのか」を考え、
我が人生観の要素の一つに加える必要がある。

「お金」は・・・
避けては通れない、現代社会の魔力であり、権威でもある。