難航していた企画を、長期にわたって双方の間に入り、何度も話を詰めて・・・・
「何故、私がしなければならないのか」などと愚痴のような気持ちを強く抱きつつも、
幾度となく、話し合いに入って・・・・・状況を聞いて・・・・また間に入って・・・
ついに、私自身が腐りそうになった時・・・・
まるで「とろこてん」を押し出す時のように、するっと、話がまとまることがある。
今日は、まさに、そうだった・・・。
相手の人の明るい声を聞くと、「ほっ」として、私の心が(やっと)落ち着くし、
「やったこと」に対する自我自賛(誰もほめてくれないから:笑)のようなものを、
自分で(ひとしれず)かみしめたりもする。
そして、自分で、自分を鼓舞するのだ。
難航して一任された仕事の調整&交渉の過程は、ストレスがかなりのものであるために、
私は“へとへと”になってしまう。 疲れ切ってしまうのだ。
それでも、(最終的に)まとまると、結局は「嬉しいものである」。
こういう場合の原因は、だいたいが、双方が同じように主義主張を折り曲げないことが、
一つの大きなネックになっていることが多い。
それを、肩をもみほぐすように、丁寧に、話し込んでいく作業は、時間を要することで、
時々「かけひき」のような手練を使うときもある。
しかし、冷静に考えてみると、ホント、私は・・・相当のおバカさんのようである。
上手く利用されているのか・・・
事が「モメモメ」になると、周囲は手を上げて、「君に一任するから」と軽く言われる。
そんな状況の仕事を引き受ける私が、(結局は)おバカなのか――と、思ったりもする。
挑戦してやろうという気概もあったりもするが・・・・
根っから、お人よしで、おめでたいのか・・・・
本当に、わからなくなるときがある。
人がいいのであれば問題はないが・・・・それ以外の状況と理由があるのであれば、
私自身の内面に問題があるということになるはずだ。
しかし、なんだかんだ言っても、
たとえこういうケースだったとしても・・・
一つの「経験」として、自分のキャリアに、なっていることは事実だ。
そして、ただ単に、仕事は「できないよりは、出来た方が良い」と勝手に、自分を慰め、
刹那的な仕事であっても、次に繋がるようなケアをして、時々は連絡を取り合いながら、
何かの折に・・・というつもりでいるのも事実である。
しかし、それにしても・・・である。 本当に「仕事」は、疲れる。
だけれど、私の肩をたたいて、「頑張れよ!」と(時々だが)小さな声をかけてくれる。
だから、まだ(どうにか)続けているようなものである。