いつも早起きの父が、今朝は「ネボスケ」だった。
“起こそうか、止めようか”悩みながら、とりあえず “朝の作業”を続けていた。
父が爆睡中でも出来る作業(ベッド脇の掃除やら何やら)をしながらも、
私の中には「もう少ししたら、起きてくるだろう」という楽観的な予想があったが、
なかなか起きてくれなかった。予想は、見事に裏切られた。
どうしても起きてほしい理由は、下記の三点だった。
(1)ベッドのシーツが湿っているようなので、交換してあげたかった。
(2)終日出かけるために(朝昼ごはんの用意をして)それを伝えなければいけない。
(3)「外出すること」と「帰宅時間」を知らせておかないと、心配してしまう。
「もう起こさなくっちゃ!私が遅刻してしまう~なぁ~」そう思った時間・・・
時計の針が八時を指した頃に、やっと起きてくれた。
(どうしたんだぁ?今日は・・・)
それから玄関を出るまでの20分の間に、私は怒涛のように身体を動かした。
父の耳元で、何度かお昼ごはんの説明をして、帰り時間を声に出して伝えた。
何度も何度も耳元で、大きな声に出して伝えないと、記憶に残らないことがある。
それに、慌ただしい伝え方だと、勝手に誤解しているケースもある。
伝え方は「余裕をもって伝えるべき」で、そうしないと失敗することが多いようだ。
掛敷シーツを双方とも交換して、洗濯機にほうり込んで、薬の用意を確認して、
なんだかんだするのに、20分は少なすぎた。
その上に、自分の外出準備も手落ちがでてしまい・・・
“どたばた”“あたふた”の20分になってしまったのだ。
反省した。
すごく反省した。
「気持ちよく寝ているから、もう少し寝かしてあげよう」的な中途半端な優しさが、
結局は元凶となってしまった。
あの気持ちを「優しさ」と呼ぶのか、「優柔不断」と呼ぶのかは別として、
やはり適切ではなかったと思った。
たとえ起こしたって、私が出かけた後は十分な時間があるわけだから・・・
私は、父をキチンと起こすべきだったのだ。
一過的な優しさは時間の先送りだけでしかなく、結論としては父のためにならない。
同様に、私にとっても良くはない。
“大丈夫かなぁ”という不安が、一日中ぬぐえなくなってしまう。
時間をとって、あらゆる余裕を持ってケアしてあげることの方が、メリットが多い。
「何故、私は、あんなに気を遣っていたのだろう」
夜中眠れない姿を見ているからか、起こすのがかわいそうだと思ったのか、
出かける自分が申し訳ないと思うのか、だからもう少し寝かせてあげようと思うのか、
・・・・・よく分からない。
でも、とにかく、今朝の私の優柔不断な選択は、不適切だった。
「どうするのが良かったのか」、瞬時に判断がつかなかった自分を確実に感じたし、
そういう思いの根底には「自信の無さ」が見え隠れしていた。
電車の中で、一つ決心した。
「今度は、父が起きてこなかったら、私が起こそう!」
「私の出かける時間の最低1時間前には、父を起こそう!」
「朝食をとる父の姿を見てから、説明をちゃんとして、私は出かけよう!」
「父の心のケアをして、すっきりと出かけられるようにしよう!」
とにかく、
出かけるときは、朝の「一時間を大切にしよう」・・・と・・・。
“起こそうか、止めようか”悩みながら、とりあえず “朝の作業”を続けていた。
父が爆睡中でも出来る作業(ベッド脇の掃除やら何やら)をしながらも、
私の中には「もう少ししたら、起きてくるだろう」という楽観的な予想があったが、
なかなか起きてくれなかった。予想は、見事に裏切られた。
どうしても起きてほしい理由は、下記の三点だった。
(1)ベッドのシーツが湿っているようなので、交換してあげたかった。
(2)終日出かけるために(朝昼ごはんの用意をして)それを伝えなければいけない。
(3)「外出すること」と「帰宅時間」を知らせておかないと、心配してしまう。
「もう起こさなくっちゃ!私が遅刻してしまう~なぁ~」そう思った時間・・・
時計の針が八時を指した頃に、やっと起きてくれた。
(どうしたんだぁ?今日は・・・)
それから玄関を出るまでの20分の間に、私は怒涛のように身体を動かした。
父の耳元で、何度かお昼ごはんの説明をして、帰り時間を声に出して伝えた。
何度も何度も耳元で、大きな声に出して伝えないと、記憶に残らないことがある。
それに、慌ただしい伝え方だと、勝手に誤解しているケースもある。
伝え方は「余裕をもって伝えるべき」で、そうしないと失敗することが多いようだ。
掛敷シーツを双方とも交換して、洗濯機にほうり込んで、薬の用意を確認して、
なんだかんだするのに、20分は少なすぎた。
その上に、自分の外出準備も手落ちがでてしまい・・・
“どたばた”“あたふた”の20分になってしまったのだ。
反省した。
すごく反省した。
「気持ちよく寝ているから、もう少し寝かしてあげよう」的な中途半端な優しさが、
結局は元凶となってしまった。
あの気持ちを「優しさ」と呼ぶのか、「優柔不断」と呼ぶのかは別として、
やはり適切ではなかったと思った。
たとえ起こしたって、私が出かけた後は十分な時間があるわけだから・・・
私は、父をキチンと起こすべきだったのだ。
一過的な優しさは時間の先送りだけでしかなく、結論としては父のためにならない。
同様に、私にとっても良くはない。
“大丈夫かなぁ”という不安が、一日中ぬぐえなくなってしまう。
時間をとって、あらゆる余裕を持ってケアしてあげることの方が、メリットが多い。
「何故、私は、あんなに気を遣っていたのだろう」
夜中眠れない姿を見ているからか、起こすのがかわいそうだと思ったのか、
出かける自分が申し訳ないと思うのか、だからもう少し寝かせてあげようと思うのか、
・・・・・よく分からない。
でも、とにかく、今朝の私の優柔不断な選択は、不適切だった。
「どうするのが良かったのか」、瞬時に判断がつかなかった自分を確実に感じたし、
そういう思いの根底には「自信の無さ」が見え隠れしていた。
電車の中で、一つ決心した。
「今度は、父が起きてこなかったら、私が起こそう!」
「私の出かける時間の最低1時間前には、父を起こそう!」
「朝食をとる父の姿を見てから、説明をちゃんとして、私は出かけよう!」
「父の心のケアをして、すっきりと出かけられるようにしよう!」
とにかく、
出かけるときは、朝の「一時間を大切にしよう」・・・と・・・。