父の落ち込みは変わらない。
よく泣く。
「なかなか死ねん」と呟く。
毎度のことながら、深夜に起こされて、身体介助をしてあげると、
「もったいない」「よう世話してもろた・・・」と繰り返す。
再び泣いて、100%果実ジュースを飲み干した後は、ぐっすりと寝付いてくれる。
昨年の攻撃的な精神性から一変して、かなり弱気ーそして、気弱―(一緒かぁ!)。
田舎に帰省した年末年始の「寝たきり生活」や「日々の思うようにならない身体状態」が
おそらく父の精神状態に変化を与えてしまったのかもしれない。
「あかちゃんみたいになってしまった・・・」
最近、そういう感想を頻繁に抱くようになった。
頭や胸、肩、背中などをなで擦りながら、「大丈夫だから」と繰り返すと落ち着いてくる。
今や、「大丈夫」という言葉は、私の口癖になっていて、一日に何遍となく声に出す。
また、痛い左足にシップをはって、ゆっくりと擦るのも、意外と効果的である。
昔の母親がやっていた「痛いの、痛いの、飛んでいけ~~」ってやつを想起しながら、
日々、父の身体を擦り続けている。
今日の父は、初めて私の言葉を“反すう”するように、「だいじょうぶ」と声に出した。
その言葉を聞いて、ちょっと胸に迫るものがあり、なんとなく“ぐぐっ”ときてしまった。
父の口から、この言葉を聞いたのは「初めて」のことだったから。
なんでもないことなのに、自分の奥底から噴出する想いみたいなものが・・・。
・・・ホント、予期せぬことも多い。
そりゃ、そうだよね。
人間の心なんて、そういうものだろう。
最近は、特に・・・“放し飼い状態”の「牛」みたいにしているから・・・
私の「ココロ」が何処へ行ってしまうのか、全く検討がつかないし、
予定調和でまとめたり、無理に制御してコントロールしたりもしていない。
だから余計に、「牛」みたいに“突然の暴走”に遭遇するときもあるし、
石を投げても振り向かないド~ンとした“微動だにしない安定感”を感じるときもある。
徐々に、生活の意識は固まっている・・・。
それは、日々同じようなサイクルで続けていくことが、そういう意識の変容を生んでいる
―と思う。
身体の疲れや、精神の不安(焦燥感)は拭い取れないが・・・
少しずつ「ココロ」は落ち着いてきたような感覚がしている。
辛いけれど、変わらず哀しいけれど・・・
私の心は暴れまくるけれど・・・
日々の慣れと、押し迫ってくる労働が、そういう苦しみを忘れさせてくれるときがある。
生きるためには、前をむかなければならないし、
生き抜くためには、前に進まなければならない。
決して、自分が望んでいることではないけれど・・・
(今は、無理して進むよりも、ゆっくり留まりたい気分が多いんだもん)
でも、「どちらをとるのか?」という自問自答には、選択しなければならないから―。
だから、「前を向いて、生きていく」ことにした。
これまでもそうだったし、これからもそうだ。
私の人生も生活も、“私のためにある”はずだから・・・
あきらめちゃいけない。
何より、自分が輝いていないと・・・「自分じゃない」から。
制約があっても、その範疇で「自分を“つらぬいていこう”」と思う。
本当に、そう思う。
きっと、「大丈夫!」。
よく泣く。
「なかなか死ねん」と呟く。
毎度のことながら、深夜に起こされて、身体介助をしてあげると、
「もったいない」「よう世話してもろた・・・」と繰り返す。
再び泣いて、100%果実ジュースを飲み干した後は、ぐっすりと寝付いてくれる。
昨年の攻撃的な精神性から一変して、かなり弱気ーそして、気弱―(一緒かぁ!)。
田舎に帰省した年末年始の「寝たきり生活」や「日々の思うようにならない身体状態」が
おそらく父の精神状態に変化を与えてしまったのかもしれない。
「あかちゃんみたいになってしまった・・・」
最近、そういう感想を頻繁に抱くようになった。
頭や胸、肩、背中などをなで擦りながら、「大丈夫だから」と繰り返すと落ち着いてくる。
今や、「大丈夫」という言葉は、私の口癖になっていて、一日に何遍となく声に出す。
また、痛い左足にシップをはって、ゆっくりと擦るのも、意外と効果的である。
昔の母親がやっていた「痛いの、痛いの、飛んでいけ~~」ってやつを想起しながら、
日々、父の身体を擦り続けている。
今日の父は、初めて私の言葉を“反すう”するように、「だいじょうぶ」と声に出した。
その言葉を聞いて、ちょっと胸に迫るものがあり、なんとなく“ぐぐっ”ときてしまった。
父の口から、この言葉を聞いたのは「初めて」のことだったから。
なんでもないことなのに、自分の奥底から噴出する想いみたいなものが・・・。
・・・ホント、予期せぬことも多い。
そりゃ、そうだよね。
人間の心なんて、そういうものだろう。
最近は、特に・・・“放し飼い状態”の「牛」みたいにしているから・・・
私の「ココロ」が何処へ行ってしまうのか、全く検討がつかないし、
予定調和でまとめたり、無理に制御してコントロールしたりもしていない。
だから余計に、「牛」みたいに“突然の暴走”に遭遇するときもあるし、
石を投げても振り向かないド~ンとした“微動だにしない安定感”を感じるときもある。
徐々に、生活の意識は固まっている・・・。
それは、日々同じようなサイクルで続けていくことが、そういう意識の変容を生んでいる
―と思う。
身体の疲れや、精神の不安(焦燥感)は拭い取れないが・・・
少しずつ「ココロ」は落ち着いてきたような感覚がしている。
辛いけれど、変わらず哀しいけれど・・・
私の心は暴れまくるけれど・・・
日々の慣れと、押し迫ってくる労働が、そういう苦しみを忘れさせてくれるときがある。
生きるためには、前をむかなければならないし、
生き抜くためには、前に進まなければならない。
決して、自分が望んでいることではないけれど・・・
(今は、無理して進むよりも、ゆっくり留まりたい気分が多いんだもん)
でも、「どちらをとるのか?」という自問自答には、選択しなければならないから―。
だから、「前を向いて、生きていく」ことにした。
これまでもそうだったし、これからもそうだ。
私の人生も生活も、“私のためにある”はずだから・・・
あきらめちゃいけない。
何より、自分が輝いていないと・・・「自分じゃない」から。
制約があっても、その範疇で「自分を“つらぬいていこう”」と思う。
本当に、そう思う。
きっと、「大丈夫!」。
いちどこちらのサイトに遊びに来させていただいたのですが、やった人にしかこの気持ちはわかりません。
父は先週、亡くなりましたが、
お父様の言葉などが、うちの父と一緒だったので
コメントさせていただきました。
誰にも、相談できなければ、メールなりなんでも
良いので、吐き出してください。
思いを言う相手がいないと自分までくたびれて
病気になってしまいます。
また、こちらのサイトに来させていただきますね。
きっと、「大丈夫だろう」と思いました。
気持ちの持ち方で、いろいろなことが変わるって言いますけれど、「そうだな」って思うことも多いです。
「大丈夫」って思うことは、大切かも・・・
そんな感想を持ちました。
きっと大丈夫です
あたたかいコメントをありがとうございます。
私もくたびれないように、澱んだものがあったら、日々放出していくようにしたいと思っています。
でも、なかなか思うように“出て行ってくれない”けれど(笑)。
介護って、本当に大変ですね・・・。
先週、お父様がお亡くなりになられたのですか・・・。
ご愁傷さまです。
何と言葉をおかけしたらよいのか・・・わかりませんが、きっとお父様は(月のうさぎさんに)感謝されていると思います。
我が父と反応が一緒だったということで、なんとなく(勝手に)想像をしてしまいました。
まだまだ我が父の逝く姿は、想像できないけれど、その時“どんな気持ちになるのだろう”と。
心から、お父様のご冥福をお祈りしています。
悼む気持ちが少しやわらいできたら、徐々に、ご本人自身の“のびやかな生活”を過ごしていただきたいと感じました。
くれぐれもご健康に気をつけて下さいネ。
★Tomoさんへ
力強い励ましの言葉を、ありがとうございました。
何か・・・私も、そんな気持ちになってきましたぁ。
自分自身で繰り返しているだけは、“たよりない想いや言葉”が、こうして公に聞いていただけることで(また、それに対する言葉を頂くことで)よりハッキリと自分の心に落ち込んでいくような気がします。
「大丈夫」だと自分自身で勇気付けながら、これからも、「がんばんべ~~~」。
本当に、どうもありがとうございました。