父は、固有名詞をあやつる能力が退化してきている。
脳細胞が、ちょっとばかり“ゆるんできた”からだろう。
私自身も、疲労困憊している時や、徹夜開けなどの“ぼ~っとした時”には、
同じような「ちょっとした言葉違い」をしてしまうものだ。
今日は、よくしゃべってくれたので、そういう間違い・勘違いがたくさんあった。
たとえば・・・
「ここらへんは、犬が多いなぁ」
と話した後に、
「犬は、捨てたんか?」
と、訊いてくる。
「へっ?」と思うと、「ゴミは、捨てたんか?」ということだった。
「今日、入れ歯を落としとったんよ」
と、報告してくれた後に、
「入れ歯は、入れたんか?」
と、訊いてくる。
「へっ?」と思うと、「電気毛布は、入れてくれたんか?」ということだった。
こういうギャグのような会話は、日常茶飯事である。
フツウの人が“ねらっても言えない”ような、なかなか面白い間違いがあったりもする。
時々ではあるが、大爆笑になる。
(意表を突かれて、我慢できず、笑い転げてしまうのだ)
声に出して笑わなくても、密かに心の中で大爆笑しているときがあったり、
また、父の自尊心を傷つけないように、意図的に抑えるときがあったりもする・・・。
明るく笑えるかどうか・・・は、こちら側の精神状態に起因するところが大きい。
私自身が、余裕を持って、相手のペースで聞けている場合は問題ないのだが、
“ゆとり”がないときや、慌ただしい時間軸の中では、駄目である。
落ち着かない“イライラ感”などを、自然と“つのらせていく”ことが多いみたいだ。
そういうケースで、私が決まって感じることは・・・
「自分の価値観で受け取っているから」ということに他ならない。
父の状態や、脳細胞の具合などを熟知していながら、その事実を“すっ飛ばしている”。
あたかも「父が、自分と同じような反応をする人である」かのように思っているのだ。
そういう意識で聞いていると、イライラ感が湧いてきてしまうのだろう。
分かっていながら、自分の意識が他のことに集中していると、キチンと対峙できない。
人間なんて、そんなにいくつものことを同時にできるものじゃないんだ・・・。
本当に、そう思う。
「時間と心に“余裕”をもつこと」――
これは、私が日常生活を快適におくるためには、
「とても大切な要素なんだなぁ」と・・・しみじみと感じている。
カリカリするときも、楽しめないときも、プラスに受け取れないときも、
共通している状況は、「ゆとりがない時」だったりする。
「心を鎮めて、落ち着かせること」は、「自分自身が見えてくる近道」だから、
今はそういうことから“やっていこう”と思っている。
そして、父の“ちょっとした間違い”が、いつも明るく受け取られるように・・・ネ。
脳細胞が、ちょっとばかり“ゆるんできた”からだろう。
私自身も、疲労困憊している時や、徹夜開けなどの“ぼ~っとした時”には、
同じような「ちょっとした言葉違い」をしてしまうものだ。
今日は、よくしゃべってくれたので、そういう間違い・勘違いがたくさんあった。
たとえば・・・
「ここらへんは、犬が多いなぁ」
と話した後に、
「犬は、捨てたんか?」
と、訊いてくる。
「へっ?」と思うと、「ゴミは、捨てたんか?」ということだった。
「今日、入れ歯を落としとったんよ」
と、報告してくれた後に、
「入れ歯は、入れたんか?」
と、訊いてくる。
「へっ?」と思うと、「電気毛布は、入れてくれたんか?」ということだった。
こういうギャグのような会話は、日常茶飯事である。
フツウの人が“ねらっても言えない”ような、なかなか面白い間違いがあったりもする。
時々ではあるが、大爆笑になる。
(意表を突かれて、我慢できず、笑い転げてしまうのだ)
声に出して笑わなくても、密かに心の中で大爆笑しているときがあったり、
また、父の自尊心を傷つけないように、意図的に抑えるときがあったりもする・・・。
明るく笑えるかどうか・・・は、こちら側の精神状態に起因するところが大きい。
私自身が、余裕を持って、相手のペースで聞けている場合は問題ないのだが、
“ゆとり”がないときや、慌ただしい時間軸の中では、駄目である。
落ち着かない“イライラ感”などを、自然と“つのらせていく”ことが多いみたいだ。
そういうケースで、私が決まって感じることは・・・
「自分の価値観で受け取っているから」ということに他ならない。
父の状態や、脳細胞の具合などを熟知していながら、その事実を“すっ飛ばしている”。
あたかも「父が、自分と同じような反応をする人である」かのように思っているのだ。
そういう意識で聞いていると、イライラ感が湧いてきてしまうのだろう。
分かっていながら、自分の意識が他のことに集中していると、キチンと対峙できない。
人間なんて、そんなにいくつものことを同時にできるものじゃないんだ・・・。
本当に、そう思う。
「時間と心に“余裕”をもつこと」――
これは、私が日常生活を快適におくるためには、
「とても大切な要素なんだなぁ」と・・・しみじみと感じている。
カリカリするときも、楽しめないときも、プラスに受け取れないときも、
共通している状況は、「ゆとりがない時」だったりする。
「心を鎮めて、落ち着かせること」は、「自分自身が見えてくる近道」だから、
今はそういうことから“やっていこう”と思っている。
そして、父の“ちょっとした間違い”が、いつも明るく受け取られるように・・・ネ。