「あいすまんなぁ、何から何までお世話になって・・・」
最近、父は、この言葉を何度も繰り返すようになった。
本当に、その言葉通り、“何から何まで”介助しなければならなくなった。
衣服の着脱はもちろん、歩行も手をつないで助け、トイレに入るときも随分と時間を
かけて手伝わなければならなくなった。
今は“やりたいようにやらせてあげている”から、今日トイレマットは4回洗濯した(笑)。
さっきも、自分の尿意のために階下に降りてきたら、寝ていたはずの父が起き上がって
目線はトイレの方向に向いていた。
すでに立ち上がっていたので、私はそれから25分間は「我慢の子」になるしかなく、
まさに“健康を害するちょっと手前”である。
父の脳細胞は、人が人としてフツーにしている(指令を出している)ことが、
認知・判断できなくなりつつある。
足を交差したまま、立ち上がろうとしたり・・・
手をかけているのを忘れて、ボウダチになったり・・・
私が言っていることも瞬間的には理解できないようで・・・
・・・だから、何でもかんでも“時間がかかる”。
相変わらず深夜作業は二度三度、四度のこともあり、私はへろへろになりながら息してる。
父の「うつ状態」も変わらずで、よく泣き、よく落ち込む。
私は、父の耳元で大きな声で叫ぶ。
頭がキンキンするぐらいまで叫び通す。
なにかが・・・プチッときれそうな感じがするぐらいだ。
そして、同じ言葉を何度も何度も繰り返す。
飽きるぐらい繰り返さないと、「こくっ」とうなずいてくれない。
本当に、厳しい状態にさしかかってきた。
それでも、父にしてみれば、「世話をかけている」という事実は認識できるようで、
そのことが何よりも“ストレスをかけている”ようにも思われる。
「よし、寝たな」と思い、すぐお風呂に入ったら、
“とんでもないこと”になっていたりして・・・そういうことが日々続くために、
私の生活には「ゆったりとした時間」というものが皆無になってしまった。
“皆無になった”といえば、我が家からは「音」が消えた・・・。
完全に無音状態になってしまっている。
心地の良い音楽をかけたい気分だが、父の気配を感じるためには無音が一番!
動物的なカンが働いて、「おや?」と思ったら、やっぱり「おや!」だったりする。
緊張している自分自身は、そう嫌いではないけれど・・・
それが張りつめた状態で続くのは快適ではない。
しかし、それをコントロールすることなどできない“過酷な状況”のために、
やはり“私には自由がない”。
何から何まで、注意を払い、気を遣い、手をかけて介助しなければならないから―。
最近の楽しみ(マイブーム)は、父のおでこのテッペンのつむじを触ること。
数日前に髪を切ってから、まるで「キューピーさん」みたいなヘアスタイルになっている。
なんとも笑いを誘う“愛くるしさ”である。
最近、父は、この言葉を何度も繰り返すようになった。
本当に、その言葉通り、“何から何まで”介助しなければならなくなった。
衣服の着脱はもちろん、歩行も手をつないで助け、トイレに入るときも随分と時間を
かけて手伝わなければならなくなった。
今は“やりたいようにやらせてあげている”から、今日トイレマットは4回洗濯した(笑)。
さっきも、自分の尿意のために階下に降りてきたら、寝ていたはずの父が起き上がって
目線はトイレの方向に向いていた。
すでに立ち上がっていたので、私はそれから25分間は「我慢の子」になるしかなく、
まさに“健康を害するちょっと手前”である。
父の脳細胞は、人が人としてフツーにしている(指令を出している)ことが、
認知・判断できなくなりつつある。
足を交差したまま、立ち上がろうとしたり・・・
手をかけているのを忘れて、ボウダチになったり・・・
私が言っていることも瞬間的には理解できないようで・・・
・・・だから、何でもかんでも“時間がかかる”。
相変わらず深夜作業は二度三度、四度のこともあり、私はへろへろになりながら息してる。
父の「うつ状態」も変わらずで、よく泣き、よく落ち込む。
私は、父の耳元で大きな声で叫ぶ。
頭がキンキンするぐらいまで叫び通す。
なにかが・・・プチッときれそうな感じがするぐらいだ。
そして、同じ言葉を何度も何度も繰り返す。
飽きるぐらい繰り返さないと、「こくっ」とうなずいてくれない。
本当に、厳しい状態にさしかかってきた。
それでも、父にしてみれば、「世話をかけている」という事実は認識できるようで、
そのことが何よりも“ストレスをかけている”ようにも思われる。
「よし、寝たな」と思い、すぐお風呂に入ったら、
“とんでもないこと”になっていたりして・・・そういうことが日々続くために、
私の生活には「ゆったりとした時間」というものが皆無になってしまった。
“皆無になった”といえば、我が家からは「音」が消えた・・・。
完全に無音状態になってしまっている。
心地の良い音楽をかけたい気分だが、父の気配を感じるためには無音が一番!
動物的なカンが働いて、「おや?」と思ったら、やっぱり「おや!」だったりする。
緊張している自分自身は、そう嫌いではないけれど・・・
それが張りつめた状態で続くのは快適ではない。
しかし、それをコントロールすることなどできない“過酷な状況”のために、
やはり“私には自由がない”。
何から何まで、注意を払い、気を遣い、手をかけて介助しなければならないから―。
最近の楽しみ(マイブーム)は、父のおでこのテッペンのつむじを触ること。
数日前に髪を切ってから、まるで「キューピーさん」みたいなヘアスタイルになっている。
なんとも笑いを誘う“愛くるしさ”である。
しかしかわいらしい。つむじ。
愛くるしさがsachiさんの心をほんのり癒しているような。
わかります・・・
私もそういう日々が続いた時がありました。
気配を感じ取ろうとして神経をを研ぎ澄まし
それが過ぎると不眠、耳鳴り、頭痛・・
sachiさん、あなたの悲鳴が聞こえてくるようです
1日でも、心穏やかに過ごされる日がありますように。。。
昨夜も、また寝られなくて・・・
今日も1日、泣きっぱなしで・・・
変わりませんね。
頭痛がはやくとれないかと思っていますが、体内時計が狂いまくっているので、そう簡単にはいかないかもしれませんね。
いろいろと考えてしまいます。
だから、余計に疲れるんですね、きっと。
★静さん、我が父の「つむじ」は、本当にかわいいですよ。
ウズをまいているんです。
くるりん~ん、と。
そして、頭のてっぺん近くが「とさか」のように立ち上がっています。
おでこにつむじがある人、めずらしいと思います。
★camel-1952さん、どうもありがとうございます。
私の悲鳴が聞こえてしまいましたか?
やはり・・・
おさえていても、聞こえる人には聞こえてしまうのですね。
心穏やかに過ごせる日が「待ち遠しい」です。
恋焦がれています。
でも、必ずいつか“そういう日”がやってくるものですから、心配はしていないのですけれど・・・
それまで我が体力が持つかどうかが、より大きな問題ですね、きっと。