最高裁判所裁判官の暴走を許さない

最高裁判所裁判官の国民審査は、衆議院選挙の時の「ついでに」ならないようにしましょう。辞めさせるのは国民の権利です。

花押を書くことは,民法968条1項の押印の要件を満たさない

2016-06-03 20:20:56 | 日記
平成27(受)118  遺言書真正確認等,求償金等請求事件
平成28年6月3日  最高裁判所第二小法廷  判決  破棄差戻  福岡高等裁判所  那覇支部

いわゆる花押を書くことは,民法968条1項の押印の要件を満たさない


Aが亡くなる前に、「家督及び財産はXを家督相続人としてa家を継承させる。」という記載を含む全文,上記日付及び氏名を自書し,その名下にいわゆる花押を書きましたが印章による押印がありませんでした。
捺印以外はすべて形式にのとっておたのですが、捺印の代わりに花押が書かれていました。そこで、花押を書くことが民法968条1項の押印の要件を満たすか否かが争われました。
民法968条は、
(自筆証書遺言)
第968条
1 自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。
2自筆証書中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ、その効力を生じない。

確かに、遺言書の要件を欠いています。

そこで原審と高裁は次のように判断しました。
花押は,文書の作成の真正を担保する役割を担い,印章としての役割も認められており,花押を用いることによって遺言者の同一性及び真意の確保が妨げられるとはいえない。

ところが最高裁では、次のように判断しています。

そして,民法968条1項が,自筆証書遺言の方式として,遺言の全文,日付及び氏名の自書のほかに,押印をも要するとした趣旨は,遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに,重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ(最高裁昭和62年(オ)第1137号平成元年2月16日第一小法廷判決・民集43巻2号45頁参照),我が国において,印章による押印に代えて花押を書くことによって文書を完成させるという慣行ないし法意識が存するものとは認め難い。

ちょっと待ってくださいよ。内閣決議など普通に花押を使ってますよね。あれは許されて、一般には通用しないとばっさりやっていいのでしょうか?
例えば、印鑑が必要なものの代表例として銀行口座がありますが、三井住友銀行では印鑑なしでサインのみで銀行口座が開けるようになっています。
花押=サインの変形であり、本人確認ができます。裁判官は、どうも実態に合わせるよりは法文上にこだわり過ぎている傾向にあるようです。

裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決しました。

第二小法廷
裁判長裁判官 小貫芳信 時代錯誤
裁判官 千葉勝美 時代錯誤
裁判官 鬼丸かおる 時代錯誤
裁判官 山本庸幸 時代錯誤

結論は仕方ないとしても、これは付帯意見が出て然るべきですが、誰も触れていません。時代錯誤のシーラカンス裁判官ですね。


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