久しぶりに箱館歴史散歩の会に参加した。今回は、「幸坂と千歳坂巡り」だった。
「幸坂」は明治8年に坂下の海岸を埋め立て幸町としたことからこの名が付き、西部地区では2番目に長く、また勾配の急な坂である。「千歳坂」の東側に神社がありここに松の木があったので、千歳の松に因んでこの名が付いたそうだ。上下和洋折哀の住宅や昔懐かしい大黒商店街、初代函館病院等を巡り、大正湯や旧ロシア領事館にも入館した。
いつものように10:00に函館市地域交流まちづくリセンターに集合し、簡単な説明を受けてから、旧桟橋~ミートハウス他和洋折衷住宅~大黒通り商店街~旧高龍寺跡~大正湯~初代箱館病院跡~船見公園~山上大神宮~旧ロシア領事館と巡った。
旧桟橋と呼ばれる「東浜町桟橋」は、明治4年から函館港における唯一の旅客乗降場所として利用が開始されている。本州から北海道に渡る移住者や旅行者が、はじめて北海道に上陸する場所が、この桟橋だった。当時、函館港はまだ水深が浅く、船舶は直接陸地に着くことが出来なかった。そのため、本船を沖に停泊させ、旅客はしけなどで、桟橋や船揚場などに乗降していた。
この旧桟橋の根元にある「函館市道路元標」・・・ここが大正9年(1920年)、国道4号線が認定され北海道における道路の基点として建てられた標石。昭和27年(1952年)に、駅前から札幌へ向かう道路が国道5号線となり、この元標は役目を終えた。往時を語る貴重な資料である。ちなみに、現在の国道5号、278号、279号の3路線の起点となる「函館市国道元標」は、函館駅前にある。
西部地区のあちこちで見られるもっとも函館らしい建物「和洋折衷住宅」
1階が和風で2階が洋風。共通なのは、2階の外壁がペンキ塗りで縦長の窓、しかし、内部は和風(擬洋風)。
開港後、洋風建築技術を身に付けた大工が、当時財力のあった海産商を中心に店舗や住宅にこの様式を勧めたらしい。
長い間西部地区の中心で歓楽街でもあった「大黒町商店街」
現在も営業を続けている「大正湯」・・・創業は1914年(大正3年)と古く、現在の建物になったのが1927年(昭和2年)。西部地区に多く見られる洋風建築風の外観が印象的で、古いながらも当時のモダンさが偲ばれる外観。函館市の景観形成指定建築物にも選定されている。ピンク色にしたのは終戦後直ぐだそうだ。
2009年の9月に入浴している。内部の様子もどうぞ!
「初代函館病跡地」・・・1861年に建立。箱館戦争のときに幕府軍も政府軍も分け隔てなく怪我の治療をした高松凌雲が有名
明治11年開校の公立常盤小学校跡地<現船見公園>
山上大神宮・・・現在の旧西消防署弥生出張所付近にあった箱館神明社が現地に移転。
坂本龍馬のまたいとこで、ここの宮司になった沢辺琢磨の数奇な人生が面白い
旧ロシア領事館・・・ドイツ人の設計で1906年(明治39年)に完成したが、翌年明治40年の大火で全焼し、翌年元通り再建した(現在の建物)。日本に唯一残る帝政ロシア時代の領事館の建物。
1965年(昭和40年)「函館市立道南青年の家」として1996年(平成8年)まで利用。
今年度から、保存活用を目的に、市内建築士で構成される「ハコダテ☆ものづくりフォーラム」が主催し,旧ロシア領事館をテーマとする「国際設計コンペ」がスタートしている。8月23日(日)に、市民参加の公開コンペが中央図書館で開催される予定。
玄関ホールと2階への階段
当時のまま残っている食堂
「幸坂」は明治8年に坂下の海岸を埋め立て幸町としたことからこの名が付き、西部地区では2番目に長く、また勾配の急な坂である。「千歳坂」の東側に神社がありここに松の木があったので、千歳の松に因んでこの名が付いたそうだ。上下和洋折哀の住宅や昔懐かしい大黒商店街、初代函館病院等を巡り、大正湯や旧ロシア領事館にも入館した。
いつものように10:00に函館市地域交流まちづくリセンターに集合し、簡単な説明を受けてから、旧桟橋~ミートハウス他和洋折衷住宅~大黒通り商店街~旧高龍寺跡~大正湯~初代箱館病院跡~船見公園~山上大神宮~旧ロシア領事館と巡った。
旧桟橋と呼ばれる「東浜町桟橋」は、明治4年から函館港における唯一の旅客乗降場所として利用が開始されている。本州から北海道に渡る移住者や旅行者が、はじめて北海道に上陸する場所が、この桟橋だった。当時、函館港はまだ水深が浅く、船舶は直接陸地に着くことが出来なかった。そのため、本船を沖に停泊させ、旅客はしけなどで、桟橋や船揚場などに乗降していた。
この旧桟橋の根元にある「函館市道路元標」・・・ここが大正9年(1920年)、国道4号線が認定され北海道における道路の基点として建てられた標石。昭和27年(1952年)に、駅前から札幌へ向かう道路が国道5号線となり、この元標は役目を終えた。往時を語る貴重な資料である。ちなみに、現在の国道5号、278号、279号の3路線の起点となる「函館市国道元標」は、函館駅前にある。
西部地区のあちこちで見られるもっとも函館らしい建物「和洋折衷住宅」
1階が和風で2階が洋風。共通なのは、2階の外壁がペンキ塗りで縦長の窓、しかし、内部は和風(擬洋風)。
開港後、洋風建築技術を身に付けた大工が、当時財力のあった海産商を中心に店舗や住宅にこの様式を勧めたらしい。
長い間西部地区の中心で歓楽街でもあった「大黒町商店街」
現在も営業を続けている「大正湯」・・・創業は1914年(大正3年)と古く、現在の建物になったのが1927年(昭和2年)。西部地区に多く見られる洋風建築風の外観が印象的で、古いながらも当時のモダンさが偲ばれる外観。函館市の景観形成指定建築物にも選定されている。ピンク色にしたのは終戦後直ぐだそうだ。
2009年の9月に入浴している。内部の様子もどうぞ!
「初代函館病跡地」・・・1861年に建立。箱館戦争のときに幕府軍も政府軍も分け隔てなく怪我の治療をした高松凌雲が有名
明治11年開校の公立常盤小学校跡地<現船見公園>
山上大神宮・・・現在の旧西消防署弥生出張所付近にあった箱館神明社が現地に移転。
坂本龍馬のまたいとこで、ここの宮司になった沢辺琢磨の数奇な人生が面白い
旧ロシア領事館・・・ドイツ人の設計で1906年(明治39年)に完成したが、翌年明治40年の大火で全焼し、翌年元通り再建した(現在の建物)。日本に唯一残る帝政ロシア時代の領事館の建物。
1965年(昭和40年)「函館市立道南青年の家」として1996年(平成8年)まで利用。
今年度から、保存活用を目的に、市内建築士で構成される「ハコダテ☆ものづくりフォーラム」が主催し,旧ロシア領事館をテーマとする「国際設計コンペ」がスタートしている。8月23日(日)に、市民参加の公開コンペが中央図書館で開催される予定。
玄関ホールと2階への階段
当時のまま残っている食堂