東京都杉並区立井荻中学校が4日に予定していた、漫画「はだしのゲン」など中沢啓治作品の米英での英訳出版に尽力した米国人翻訳家、アラン・グリースンさんによる、「はだしのゲン」英訳を通して伝えたかったことなどを全校生徒へ語るはずだった講演が、前日の決定で、急遽中止にされたという。
毎日新聞の報道によれば、グリースンさんによると、講演依頼は約2カ月前にあり、準備を進めていたが、3日夕方に校長から電話で「中止する」と告げられた。グリースンさんは「校長は『社会の流れ』『近ごろの事情』『内部の決定』としか説明しない。圧力や自己検閲があったのか」と憤っている。
校長は「都教委や区教委には相談していない。自分の判断」「『はだしのゲン』は読んだことがない。生徒も勉強していないので興味が持てないと考えた。『はだしのゲン』に特化しないでほしいと伝えたら、断られた」と話しているという。
言い分のずれはともかく、これは理屈が通っていない。『はだしのゲン』に関心がなければ初めからグリースンさんに講演を依頼しているはずはない。
「はだしのゲン」については松江市で閲覧制限問題が起きたばかりであるが、昨年5月、学校図書館からの撤去を求めた松江市在住の男性の申し入れに、「ヘイトスピーチ」を行う団体が関わっていたとされている。押し問答の様子はネットでも公開されていたが、対応した市教委幹部によれば「職員を非難する電話のほとんどは県外からだった」という。
「ヘイトスピーチ」を行う団体については、09年12月に京都朝鮮第一初級学校校門前で街頭宣伝をした元メンバーらに対して、学校の半径200メートル以内での街宣禁止と計3000万円の損害賠償を求めた民事裁判の判決が、7日に言い渡される。
民族的出自を理由にした誹謗中傷は「差別」であり、「表現の自由」の範囲内ではない。そうした路上や商店前でのデモや街宣を実施する団体は、最近では秋葉原で「外国の観光客に商品を売っている」として、電化製品販売店をも襲い、その様子もネットで公開されている。
「公の立場」で対応しなければならない教育現場もまた、ターゲットにすると「効果」を得やすいと考えられているのだろう。
井荻中学校校長の判断は、こうした松江等での動きを知った上での「自粛」「自己検閲」のように思われる。
都教委や区教委は、校長の発言を受けて、今回の事態について見解を発表して然るべきである。
こうした「社会の流れ」「近ごろの事情」を理由とする「自己検閲」を全国に広げることは、認めてはならない。
それにしても不条理だ。戦禍と被曝の現実を越えて生き延びようとする主人公と国民たちの姿を描く「はだしのゲン」は、私には、愛国心ある人間なら評価して当然の表現と思われるのだが。
http://mainichi.jp/select/news/20131005k0000e040169000c.html
毎日新聞の報道によれば、グリースンさんによると、講演依頼は約2カ月前にあり、準備を進めていたが、3日夕方に校長から電話で「中止する」と告げられた。グリースンさんは「校長は『社会の流れ』『近ごろの事情』『内部の決定』としか説明しない。圧力や自己検閲があったのか」と憤っている。
校長は「都教委や区教委には相談していない。自分の判断」「『はだしのゲン』は読んだことがない。生徒も勉強していないので興味が持てないと考えた。『はだしのゲン』に特化しないでほしいと伝えたら、断られた」と話しているという。
言い分のずれはともかく、これは理屈が通っていない。『はだしのゲン』に関心がなければ初めからグリースンさんに講演を依頼しているはずはない。
「はだしのゲン」については松江市で閲覧制限問題が起きたばかりであるが、昨年5月、学校図書館からの撤去を求めた松江市在住の男性の申し入れに、「ヘイトスピーチ」を行う団体が関わっていたとされている。押し問答の様子はネットでも公開されていたが、対応した市教委幹部によれば「職員を非難する電話のほとんどは県外からだった」という。
「ヘイトスピーチ」を行う団体については、09年12月に京都朝鮮第一初級学校校門前で街頭宣伝をした元メンバーらに対して、学校の半径200メートル以内での街宣禁止と計3000万円の損害賠償を求めた民事裁判の判決が、7日に言い渡される。
民族的出自を理由にした誹謗中傷は「差別」であり、「表現の自由」の範囲内ではない。そうした路上や商店前でのデモや街宣を実施する団体は、最近では秋葉原で「外国の観光客に商品を売っている」として、電化製品販売店をも襲い、その様子もネットで公開されている。
「公の立場」で対応しなければならない教育現場もまた、ターゲットにすると「効果」を得やすいと考えられているのだろう。
井荻中学校校長の判断は、こうした松江等での動きを知った上での「自粛」「自己検閲」のように思われる。
都教委や区教委は、校長の発言を受けて、今回の事態について見解を発表して然るべきである。
こうした「社会の流れ」「近ごろの事情」を理由とする「自己検閲」を全国に広げることは、認めてはならない。
それにしても不条理だ。戦禍と被曝の現実を越えて生き延びようとする主人公と国民たちの姿を描く「はだしのゲン」は、私には、愛国心ある人間なら評価して当然の表現と思われるのだが。
http://mainichi.jp/select/news/20131005k0000e040169000c.html