深夜(日本ではだが)、ルー・リード氏の訃報。
私たちの『屋根裏』ニューヨーク公演を観に来てくださった。ありがたいことだった。
8年前。あのツアーではニューヨークのいろんな人たちが来てくれた。それが幾つかのことに繋がった。
次にもっとびっくりさせるものをニューヨークに持って行きたいと思っている。なかなか果たせないその夢の一部が、ほんとうに叶わぬまま終わってしまった。
音楽の専門家でもないし、私の英語力ではその真髄に触れているとは思われぬが、あきらかに、言葉を大事にするミュージシャン。
そして、どうやら「声」というものは正直で、自分の身体が共鳴機関・楽器であることを知っているかどうかなのだ。それを深める才能のありかたは、おそろしく正直にその表現に反映する。
奥さんであるローリー・アンダーソンの上海の某大学でのワークショップに十五年前に顔を出したことを、唐突に思い出した。彼女も声にこだわっていた。
声。
発しているようで、自分にも響いているもの。
深夜、数時間にわたって沈黙の中で作業をしている時、私は声をまったく発しないでその時の経過の中にいる。そういう身体と、当たり前のように「喋っている」状況を抱えている時間とは、身体、その構造が、違う。
引き算、というのでもない。
言葉を紡ぎ出す作業と、時として選ばれたその沈黙の身体のありよう、その交錯に、思いを馳せる。
私たちの『屋根裏』ニューヨーク公演を観に来てくださった。ありがたいことだった。
8年前。あのツアーではニューヨークのいろんな人たちが来てくれた。それが幾つかのことに繋がった。
次にもっとびっくりさせるものをニューヨークに持って行きたいと思っている。なかなか果たせないその夢の一部が、ほんとうに叶わぬまま終わってしまった。
音楽の専門家でもないし、私の英語力ではその真髄に触れているとは思われぬが、あきらかに、言葉を大事にするミュージシャン。
そして、どうやら「声」というものは正直で、自分の身体が共鳴機関・楽器であることを知っているかどうかなのだ。それを深める才能のありかたは、おそろしく正直にその表現に反映する。
奥さんであるローリー・アンダーソンの上海の某大学でのワークショップに十五年前に顔を出したことを、唐突に思い出した。彼女も声にこだわっていた。
声。
発しているようで、自分にも響いているもの。
深夜、数時間にわたって沈黙の中で作業をしている時、私は声をまったく発しないでその時の経過の中にいる。そういう身体と、当たり前のように「喋っている」状況を抱えている時間とは、身体、その構造が、違う。
引き算、というのでもない。
言葉を紡ぎ出す作業と、時として選ばれたその沈黙の身体のありよう、その交錯に、思いを馳せる。