Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「戦闘」の定義もできぬなら、PKOから撤退せよ

2016-10-11 | Weblog
8日、陸上自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に参加している様子を、稲田朋美防衛相がジュバの陸自宿営地など、現地視察した。

南スーダンでは、7月にキール大統領支持派とマシャル前副大統領支持派による大規模な戦闘があり、北部を中心に戦闘が散発、民間人が襲撃され、市民数百人や中国のPKO隊員が死亡した。
ロイター通信などによると、8日にもジュバに近い中央エクアトリア州の道路で、民間人を乗せたトラック4台が待ち伏せ攻撃を受け、市民21人が死亡、約20人がけがをしたという。AFP通信によると、ジュバと隣国ウガンダの間を走行していたバス3台も10日、銃を持った武装集団に襲われ、複数人が拉致されたそうだ。

稲田氏は「私が視察をした首都ジュバの中は落ち着きはあったと思う」と述べた。そうした出来事は稲田の視察には、関係なかったのだろう。
安倍晋三首相は11日の参院予算委員会で、そうした南スーダン・ジュバで7月に起きた大規模な戦闘について、「『戦闘行為』ではなかった」という認識を示したという。

治安悪化を懸念する野党側に対し、「安定」を強調したわけだ。
安定しているなら、なぜ「駆けつけ警護」という新たな任務を付与しなければならないのか。

稲田氏は「新たなリスクが高まるということではない」「法的な意味における戦闘行為ではなく、衝突だ」と述べた。
安倍首相も、「戦闘ではなかったのか」という再三の質問に対し、「武器をつかって殺傷、あるいはモノを破壊する行為はあった。解釈として『戦闘』で捉えられるだろうと思うが、我々はいわば勢力と勢力がぶつかったという一般的な意味として『衝突』という表現を使っている」と説明したという。
「国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺し、または物を破壊する行為」という、政府が定義する「戦闘行為」には当てはまらないのだそうだ。どうすれば『戦闘』と『衝突』の区別が可能なのだ。 

稲田氏は「仮に駆けつけ警護の任務を負わせる場合、専門的な教育を受けた衛生要員が救急車に同乗し、応急措置を行う」というが、演習じゃないのだ。
駆けつけ警護とは、例えばNGOの職員らが武装集団に襲われた際、自衛隊員がその場に駆けつけ、ときには武器を持って守ることになる。どちらの派閥にせよ、国連に反感を持ち暴走する勢力も出てくるかもしれない。何が起きるかわからないのだ。どちらか一方に正当性がある、と言いきれないときもあるはずだ。駆けつけてみたら相手が政府軍だったというようなときに、「無理です」と言って退却できるのかどうか。そもそも出動することの正当性じたいが疑われるケースも出てくるかもしれない。
PKO派遣はどう考えても憲法違反だし、そもそも現在の状況にPKO協力法は対応しきれないという説が、多い。

今日の答弁内容も、自衛隊を派遣するために必要な「PKO参加5原則」に抵触するのは当然だが、安倍総理は、「PKO法との関係、PKO参加5原則との関係も含めて『戦闘行為』には当たらない。法的な議論をすると、『戦闘』をどう定義するかということに、定義はない。」という。

言葉を弄んでいるだけだ。詭弁にさえなっていない。子供が聞いても筋が通っているとは思わないだろう。
「定義」できないなら、「ルールが違うしまだ未成熟なので海外には派兵できません」として中止するのが当然(勝手に成熟されても困るが)。
もっと簡単に言えば、「戦闘」の可能性があるのだから直ちにPKOから撤退せよ、と言うだけだ。


写真は、本文とは関係なく、高江に派遣された機動隊。
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日本最西端の日没と「わかなそば」

2016-10-11 | Weblog
日本最西端の与那国島・久部良、西崎は、日本で最後に夕日が沈む場所で、つまりこれが「その日の日本最後の夕やけ」である。
与那国に着いた日は沖縄本島は台風で、暑い日だったが、漁港の東屋には台風由来らしい風が吹き抜け、数時間はそこで資料を読んで過ごした。そこからこの風景が見えるのだ。

10年ちょっと前、『屋根裏』公演の下見と打ち合わせでマイアミに行ったとき、夕方ランニングしていて、おそろしく風と雲が動いていて、それが一種のショウのようで、自然の雄大さに浸っていたが、それが翌日飛行機を欠航にして、ホテルも立入禁止にしてしまうフランシス・ハリケーンだった、ということを思い出した。あの時は急遽陸路でアトランタに逃げたのだった。

写真を撮らなかったが、与那国でも島そばを食べた。
比川地区にある「わかなそば」。私は見ていないがテレビドラマ「Dr.コトー診療所」のロケ地として有名な地域だそうで、診療所のオープンセットが今も残っているという。
よく見ないと「わかなそば」の小さな看板がわからない殺風景なコンクリ造りの建物で、その隣は「肉屋」とだけ書かれた看板が出ているのである。
ところが中に入ると広く、座敷も含めて満席で、地元の人々に親しまれる人気店だということがわかる。
沖縄そばなのだが独自の豚骨スープ仕様になっていて、白濁したスープは一見、ラーメンのようである。太めの与那国そば麺を使い、肉屋と繋がっているだけに、甘辛く煮付けた豚肉がたくさん載っている。よそでは食べられない豪快な味だった。

基地の話ばかり考えているときついので、今日は楽しかった思い出を少し。



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