Joko Bibit Santoso、インドネシアの友、ジョーコ・ビビット・サントソが亡くなったという。
昨日まで元気で、今朝、突然の心臓発作だったという。
作・演出が中心なのですが、2000年の燐光群+国際交流基金『南洋くじら部隊』には、俳優として出演してくれました。
ほぼ同い歳ということもあって、親しくしていました。
ラマレラにも行きました。一緒に乗った船団が見事にクジラを捕ったよ。沖縄にも行きました。
ソロの劇団、Teater RUANG のリーダーでした。
ソロの川辺で千人くらいが観られる野外劇場を架設していました。
いい仲間たちがいっぱいいました。
「オレの稽古場を見てくれ」というのでその川沿いをしばらく行くと、コンクリートのタタキがあるだけなのでした。
インドネシアでは、私をいろいろ怪しいところに連れて行ってくれたり、腹が減ったら通りすがりの知らない家でも立ち寄って、ご馳走になれるということを実証してくれたりしました。
Facebookで、こちらに関係ないことでも、読んでほしかったのだと思いますが、すぐに私をタグ付けしてしまうので、うるさーいと文句を言ったりしていたのですが、ごめん。もっとやりとりしとけばよかった。
ほんとに人なつこくて、いいやつだったのです。
久しぶりに新たなインドネシアとの企画を、ぼそぼそと動き出させようとしていた、矢先でした。絶対にジョーコとまた一緒にできると思っていたのに。
とても信じられない。
さみしすぎるじゃないか。
昨日まで元気で、今朝、突然の心臓発作だったという。
作・演出が中心なのですが、2000年の燐光群+国際交流基金『南洋くじら部隊』には、俳優として出演してくれました。
ほぼ同い歳ということもあって、親しくしていました。
ラマレラにも行きました。一緒に乗った船団が見事にクジラを捕ったよ。沖縄にも行きました。
ソロの劇団、Teater RUANG のリーダーでした。
ソロの川辺で千人くらいが観られる野外劇場を架設していました。
いい仲間たちがいっぱいいました。
「オレの稽古場を見てくれ」というのでその川沿いをしばらく行くと、コンクリートのタタキがあるだけなのでした。
インドネシアでは、私をいろいろ怪しいところに連れて行ってくれたり、腹が減ったら通りすがりの知らない家でも立ち寄って、ご馳走になれるということを実証してくれたりしました。
Facebookで、こちらに関係ないことでも、読んでほしかったのだと思いますが、すぐに私をタグ付けしてしまうので、うるさーいと文句を言ったりしていたのですが、ごめん。もっとやりとりしとけばよかった。
ほんとに人なつこくて、いいやつだったのです。
久しぶりに新たなインドネシアとの企画を、ぼそぼそと動き出させようとしていた、矢先でした。絶対にジョーコとまた一緒にできると思っていたのに。
とても信じられない。
さみしすぎるじゃないか。