この夏以降、映画館にはほとんど行かなかった。
映画館が恋しい、と思ったりもしたが、じっさい時間がないのと、それどころではない、という状態だったからだ。じっさい、機会がなかった。
タイに行ったときの飛行機の中でも映画を観ていない。その元気がなかったのだ。
『否定と肯定』『ベイビー・ドライバー』というのが、とくに観たいのだが。
それでも、私の世代のコアな作品の続編なので、本当に運良く空いた日に、残念ながら小さな映画館でだが、『ブレードランナー』の後日譚は、観た。
全然駄目だった。古い。長い。一人相撲。同じ監督なら『メッセージ』のほうがまだいい。
で、『スター・ウォーズ』の最新作は、見た。どうせ観るなら大画面で観た方がいいだろうと考えたからだ。林海象監督が褒めていたからでもある。
なるほど、だった。このシリーズは七十年代の初期作品に比べて最近の作品は軒並み駄目で、リーアム・ニーソンの出ているやつは封切り直後のアメリカの満席オールナイトで観たのだが、観客の期待が徐々に裏切られていく感じが、なんともいえなかった。がっかりした観客は最後はやけくそ気味に歓声を挙げていたのを憶えている。
さて、このシリーズの前作は撮影技術の向上に反比例して「B級」感が半端なかったのだが、今回の新作は、新シリーズの中では断トツにいい。しかし王様の家系が立派という権威主義的な御託は、気に入らない。ご都合主義の超能力(フォース)濫用に至っては、だったら初めからそうしろよ、という感想しか湧いてこないし、突っ込みどころ満載。それでも前作よりだいぶ、いい。物語的な決着の付け方の上手でない脚本書きの方は、このくらい強引でも許されるのなら、と、勇気を持って己の殻を破るための弾み車にでもしていただきたい。
しかし、七十年代後半、『スター・ウォーズ』第1作は、アメリカで話題になっているという評判から1年半くらいたってから公開されたはずである。ずいぶん待たされた感じがした。
『アメリカン・グラフィティ』の監督が急に宇宙SFを撮った、ということで、へー、と思ったものだ。
そういえば、やはり私の故郷岡山で七十年代、東京公開の後にずいぶん公開されなかった二本の大作が、半年以上経って、唐突に二本立てで公開された。『ゴッドファーザーPARTⅡ』とシドニー・ルメット版『オリエント急行殺人事件』である。併せて五時間半。これは、岡山の映画王・吉富さんも時々回想されているようだし、今でも語り草である。
新しい方の『オリエント急行殺人事件』も、観なくてはと思っている。
『スター・ウォーズ』の、ヨーダ、という登場人物は、ある日本の映画人がモデルである。ということは知られているが、さいきんシナリオライターのT氏に、あらためて詳しく教えてもらった。その話を聞いてから観たので、その人にしか見えなくなってしまった。興味ある人は自分で調べてね。モデルというか、「ー」を抜けば、なるほど名前はそのままなのである。
ちょっと前に、フィリピン映画『ローラは密告された』を観たのを思い出した。フィリピンには何度も行っているが、じっさい、かの国の家族主義には、感心させられる。SF映画の続編以外も観ていたのがわかったので、なんだかほっとした。
やはり秋に話題になった、ずいぶん長尺というフィリピン映画『立ち去った女』には、今、一緒にアジア共同プロジェクトの稽古をしているマージ・ロリコが出ている。主人公の娘役らしい。これも封切りでは見逃してしまった。というか、無理な時期だった。
日本映画は、旧知の三島有紀子監督『幼な子われらに生まれ』だけは、観ていたことを思い出した。大分出張のとき、午前中に時間があいたのだ。映画館で観られてよかった。というか、午前中にやってくれていて助かった。逆にいえば、最近のロードショー以外の映画館は、一つのスクリーンで時間を変えて1日に5本くらいやっていたりするので、時間が合わなかったら観られないのだ。
写真は、上田の、昔ながらの映画館。ここを見学してから、いっそう映画館が恋しい。
しかし三月末日まで、休みがない。どこかで谷間を見つけて映画館に行きたいが、そういうチャンスに、目当ての映画はやっていなかったりするものなのだ。
映画館が恋しい、と思ったりもしたが、じっさい時間がないのと、それどころではない、という状態だったからだ。じっさい、機会がなかった。
タイに行ったときの飛行機の中でも映画を観ていない。その元気がなかったのだ。
『否定と肯定』『ベイビー・ドライバー』というのが、とくに観たいのだが。
それでも、私の世代のコアな作品の続編なので、本当に運良く空いた日に、残念ながら小さな映画館でだが、『ブレードランナー』の後日譚は、観た。
全然駄目だった。古い。長い。一人相撲。同じ監督なら『メッセージ』のほうがまだいい。
で、『スター・ウォーズ』の最新作は、見た。どうせ観るなら大画面で観た方がいいだろうと考えたからだ。林海象監督が褒めていたからでもある。
なるほど、だった。このシリーズは七十年代の初期作品に比べて最近の作品は軒並み駄目で、リーアム・ニーソンの出ているやつは封切り直後のアメリカの満席オールナイトで観たのだが、観客の期待が徐々に裏切られていく感じが、なんともいえなかった。がっかりした観客は最後はやけくそ気味に歓声を挙げていたのを憶えている。
さて、このシリーズの前作は撮影技術の向上に反比例して「B級」感が半端なかったのだが、今回の新作は、新シリーズの中では断トツにいい。しかし王様の家系が立派という権威主義的な御託は、気に入らない。ご都合主義の超能力(フォース)濫用に至っては、だったら初めからそうしろよ、という感想しか湧いてこないし、突っ込みどころ満載。それでも前作よりだいぶ、いい。物語的な決着の付け方の上手でない脚本書きの方は、このくらい強引でも許されるのなら、と、勇気を持って己の殻を破るための弾み車にでもしていただきたい。
しかし、七十年代後半、『スター・ウォーズ』第1作は、アメリカで話題になっているという評判から1年半くらいたってから公開されたはずである。ずいぶん待たされた感じがした。
『アメリカン・グラフィティ』の監督が急に宇宙SFを撮った、ということで、へー、と思ったものだ。
そういえば、やはり私の故郷岡山で七十年代、東京公開の後にずいぶん公開されなかった二本の大作が、半年以上経って、唐突に二本立てで公開された。『ゴッドファーザーPARTⅡ』とシドニー・ルメット版『オリエント急行殺人事件』である。併せて五時間半。これは、岡山の映画王・吉富さんも時々回想されているようだし、今でも語り草である。
新しい方の『オリエント急行殺人事件』も、観なくてはと思っている。
『スター・ウォーズ』の、ヨーダ、という登場人物は、ある日本の映画人がモデルである。ということは知られているが、さいきんシナリオライターのT氏に、あらためて詳しく教えてもらった。その話を聞いてから観たので、その人にしか見えなくなってしまった。興味ある人は自分で調べてね。モデルというか、「ー」を抜けば、なるほど名前はそのままなのである。
ちょっと前に、フィリピン映画『ローラは密告された』を観たのを思い出した。フィリピンには何度も行っているが、じっさい、かの国の家族主義には、感心させられる。SF映画の続編以外も観ていたのがわかったので、なんだかほっとした。
やはり秋に話題になった、ずいぶん長尺というフィリピン映画『立ち去った女』には、今、一緒にアジア共同プロジェクトの稽古をしているマージ・ロリコが出ている。主人公の娘役らしい。これも封切りでは見逃してしまった。というか、無理な時期だった。
日本映画は、旧知の三島有紀子監督『幼な子われらに生まれ』だけは、観ていたことを思い出した。大分出張のとき、午前中に時間があいたのだ。映画館で観られてよかった。というか、午前中にやってくれていて助かった。逆にいえば、最近のロードショー以外の映画館は、一つのスクリーンで時間を変えて1日に5本くらいやっていたりするので、時間が合わなかったら観られないのだ。
写真は、上田の、昔ながらの映画館。ここを見学してから、いっそう映画館が恋しい。
しかし三月末日まで、休みがない。どこかで谷間を見つけて映画館に行きたいが、そういうチャンスに、目当ての映画はやっていなかったりするものなのだ。