久しぶりに、「怒り心頭」という言葉が、深く重いリアリティーを帯びたものとして、発言された。
共同通信等の報道によれば、今年のノーベル平和賞の受賞が決まった日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は12日午後、東京都内で記者会見を開いた。
代表委員の田中熙巳さん(92)は、石破茂首相が言及している「核共有」について「論外。政治のトップが必要だと言っていること自体が怒り心頭だ」と訴えた。
首相に会って議論し「考え方が間違っていると説得したい」と述べた。
石破首相は「核共有」という言葉について、「意思決定プロセスのことを言っている」「核兵器の所有権や管理権の共有を意味していない」としているが、所有すべきでないことはもちろん、「核の傘」として特定のグルーブに入って「意思決定プロセスに関わる」と発言していながら、同時に「自分には管理することができない」と言っているのは、論理的に矛盾するうえ、言葉通りなら、なお無責任ではないか。自分や自分の陣営を守るために核は使ってもらう、ただ、自分には立場的に止めることはできない、だから自分の責任ではない、といっているわけで。
アジア版NATO(北大西洋条約機構)構想や日米地位協定改定などの持論について、実体のない言葉の使い方をしているわけである。
被団協代表委員・田中熙巳さんは、核廃絶は「人類の課題」だと強調。
世界で核使用のリスクが高まる中での授賞決定は「米国に気兼ねしている状況ではなく、被爆者の訴えを世界の共通認識にし、運動を世界的なものにしなくてはいけないと判断したのだろう」との見方を示したという。
米国の「核の傘」への依存を強める日本は、核兵器禁止条約に参加していない。
被団協は日本の署名、批准を求めている。
今月9~10日に都内で開いた全国都道府県代表者会議で、被爆80年となる来年について「戦争の拡大と核使用の危機が迫り、被爆者にとっても人類にとっても決定的に重要な年になる」としたアピールを採択している。
そして、被団協に今年のノーベル平和賞の受賞が決まった今だからこそ、今の日本の政治に対して「怒り心頭」と言う言葉を発した。
逆に言えば、ノーベル賞を受賞するくらいのことがなければ、「核廃絶」という当然私たちが共有すべき言葉を、リアルなものとして人々が聞かなくなっている、という現実があるわけだ。
写真は、焼津、核実験の被害に遭い亡くなった「第五福竜丸」の乗組員・久保山愛吉さんのお墓のあるところ。