池間島の蘆川 剛思 さんが、亡くなられた。
池間島は三十年ちょっと前から池間大橋で宮古島と繋がっているから、宮古島のテリトリーの中に位置する。池間大橋はとても長い。
2017年1月22日の宮古島市議会議員補欠選挙に出馬した石嶺香織さんの選挙応援に、私と宮城康博氏が駆けつけ、地元の蘆川さんと三人で、「三人の髭おじさん」として行動。石嶺さんは当選した。宮古島市長選挙も同時に行われ、実質的に基地反対の市長候補・奥平さんの応援もすることになった。やがて汚職で逮捕される当時の現役市長が組織力でギリギリ当選し、僅差で奥平さんは負けてしまったが、ほんとうに、あの時彼が市長選に勝っていたら、自衛隊配備を止められていたのではないかと思うと、悔しくてたまらない。燐光群新作『沖縄戦と琉球泡盛』でも、その件について言及している。
写真はその頃のもの。
左から、蘆川さん、私、石嶺香織さん。
蘆川さんと島じゅうを回ったのだ。
その後も、南西諸島陸上自衛隊基地配備を阻止するために何ができるかという話をした。たまには東京にも来られた、
あるとき、私も行ったことのある彼の仕事部屋が火事で燃えてしまい、お見舞いしたりした。
蘆川さんは池間島に来る前から写真家でもあって、萩原健一さんのいい写真とかも撮っている。そのショーケンのネガはなんとか燃えずに残っていたらしい。
写真の話、家族の話、いろいろと聞いた。
コロナ期には島々の仲間たちとZoom新年会をしたのも思い出した。
今年の1月、取材のために久しぶりに宮古島に入り、酒造所のない池間島に、彼に会うために行った。蘆川さんは宮古島に酒造者の知り合いはいないが、最近、買いに行くのは「沖之光」ということだった。
宮古島・西辺の池間酒造に寄った後だった。ここの酒造所のことは蘆川さんも知っていた。「ニコニコ太郎ですね」と。池間太郎さんが創業者だったのだ。八十歳を越えてお元気で、戦時中のお話をいろいろ聞いた。
そんなわけで、1月、池間島で蘆川さんに会えたのだが、その後彼は、入院、手術を繰り返され、メールでのやり取りはしていたのだが、ついに、このような結果になってしまった。
人を、自然を、愛し、生きた、蘆川さん。
同世代の死は、こたえます。
御冥福をお祈りします。