『沖縄戦と琉球泡盛』の上演が終わってまだ十日は経たないが、終わってしまうとあっという間だったと思うし、淋しいものだ。
とうぶん沖縄に行く予定もない。
この三十五年間、幾度となく沖縄に行ったが、沖縄も本当に変わった。とくに九十年代の終わりから二千年代初頭の変化は激しかった。
金子修介監督の映画『ゴールドボーイ』は、シナリオを担当した港岳彦さんの提案で舞台を沖縄にしたというが、ステーキ屋や亀甲墓が登場するところはいくばくか沖縄らしくはあるけれど、それを強調することはなく、現代を生きる人たちの物語の設定に見合うリアリティがしっくりくる場所として沖縄を選んでいるわけで、それは違和感もないし、また逆に「沖縄である意味がない」と言ってしまっても、仕方がない。
沖縄の貧困や青少年のはぐれ方を描いた別な映画で、いかにもステレオタイプな「沖縄の問題」が羅列されたり、沖縄の海を神秘化して描いたりしているものを観るとちょっと気持ちがひいてしまう私にとっては、『ゴールドボーイ』の選択は、悪くなかったと思う。
『沖縄戦と琉球泡盛』も、わざわざ「沖縄らしく」は、しなかった。
真っ赤な「琉球太鼓」は二つ出てくるし、カンカラ三線もふつうの三線も出てくるが、音楽面でも沖縄情緒を売るようなつもりはなかった。踊りも「沖縄らしく」見せないで、盆踊りに見えてしまっても仕方がないギリギリで、演じる人たちのリアルに即した選択をした。わざと作った「沖縄らしさ」は、やりたくなかったのだ。
沖縄の関係者で、親切心から「音楽家や踊りの人ならいくらでも紹介したのに」と言ってくださる人もごく僅かにいたが、それは、そうしたければこちらもそうしていたわけで、こちらの選択であるし、じっさい、「沖縄らしさ」が足りないという「違和感」を表明されることは、ほぼなかった。
むしろ「方言(ウチナーグチ)にしすぎないで」と抑えるケースがあった。劇団では沖縄の劇をずいぶんやって来たので、自己流にウチナーヤマトグチで喋る人もいたのだが、やり過ぎは御法度にした。
特に、歌に関しては、後半の一曲、沖縄音階で歌う沖縄らしい歌が、二番になると「ブルガリアンコーラス」になるようにアレンジした。わかる人にはわかる。それは私の決断であり、音楽監督の南谷朝子さんと相談して編曲してもらい、そうなるように持っていったが、ホンモノの「沖縄の専門家」が混じっていたら、いろいろとややこしくなったのではないかと思う。もちろん南谷さんは個人的に沖縄の専門家に相談しながらアレンジを考えてくださった。かといって「沖縄らしく」歌うという選択はしていない。そのあたりのが私たちの現場の感覚である。
真っ赤な「琉球太鼓」二つは、劇団の持ち物である。『屋根裏』でも、舞台裏で叩いていた。海外公演では荷物が多くなるので、その部分は録音にしてしまったが。
写真は、宅間脩起。
撮影・姫田蘭。