報道によれば、安倍晋三首相は十二日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐり「(政府の)最高責任者は私だ。選挙で国民から審判を受けるのは(内閣)法制局長官ではない。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と述べたという。
憲法はそもそも政治に対して優越するものであり、政府は内閣法制局と確認を重ねてようやく「解釈」の微妙な変更を認めてきた歴史がある。
首相が勝手に解釈改憲を進めることなどできないのだ。
慎重論が強い公明党から入閣している太田昭宏国土交通相は「(集団的自衛権の行使容認に向けて検討を進めている政府の有識者懇談会の)報告が出た後、与党間で、また国会の中で論議を深めていくことが重要だ」「これまで政府見解として『認められない』という答弁が出ているのは事実」と、拙速は避けるべきだとの認識を強調した。
しかし首相は「(内閣法制局の議論の)今までの積み上げのままでいくのであれば、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会をつくる必要はない」という。
集団的自衛権の行使については、過去のどの政権も、戦争放棄と戦力の不保持を定めた憲法九条から「許容された必要最小限の範囲を超える」と解釈されることを尊重し、一貫して禁じてきた。
選挙で選ばれたのは自分だからとする首相の発言は、憲法を普通の政策と同じようにとらえようとするもので、あまりにも憲法を過小評価しているわけで、この独断は目に余る。断じて許してはならない。
マスコミの扱いも小さすぎる。
もっと「あり得ない発言」であることをとことん示すべきだ。
そして経団連が武器輸出拡大を提言している。なぜ経済団体が「武器輸出」を、と違和感を感じない世の中になったのだろうか。
長いものには巻かれろ、金になるならなりふり構うな、声の大きいやつが正しい、というわけだ。
都知事選でも思ったが、確かに説明が足りないのかもしれない。
同じ情報でも昔の人間の常識なら敏感に反応できただろうとも思う。
ただ、情報が隠されていること、扱いを小さくすることが問題点を小さく見せているという現実は、ある。
報道側の、自粛なのか、まさか、確信を持ちにくいのか。
これに秘密保護法案の施行が加わったとき、どんな世の中になるのか。
憲法はそもそも政治に対して優越するものであり、政府は内閣法制局と確認を重ねてようやく「解釈」の微妙な変更を認めてきた歴史がある。
首相が勝手に解釈改憲を進めることなどできないのだ。
慎重論が強い公明党から入閣している太田昭宏国土交通相は「(集団的自衛権の行使容認に向けて検討を進めている政府の有識者懇談会の)報告が出た後、与党間で、また国会の中で論議を深めていくことが重要だ」「これまで政府見解として『認められない』という答弁が出ているのは事実」と、拙速は避けるべきだとの認識を強調した。
しかし首相は「(内閣法制局の議論の)今までの積み上げのままでいくのであれば、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会をつくる必要はない」という。
集団的自衛権の行使については、過去のどの政権も、戦争放棄と戦力の不保持を定めた憲法九条から「許容された必要最小限の範囲を超える」と解釈されることを尊重し、一貫して禁じてきた。
選挙で選ばれたのは自分だからとする首相の発言は、憲法を普通の政策と同じようにとらえようとするもので、あまりにも憲法を過小評価しているわけで、この独断は目に余る。断じて許してはならない。
マスコミの扱いも小さすぎる。
もっと「あり得ない発言」であることをとことん示すべきだ。
そして経団連が武器輸出拡大を提言している。なぜ経済団体が「武器輸出」を、と違和感を感じない世の中になったのだろうか。
長いものには巻かれろ、金になるならなりふり構うな、声の大きいやつが正しい、というわけだ。
都知事選でも思ったが、確かに説明が足りないのかもしれない。
同じ情報でも昔の人間の常識なら敏感に反応できただろうとも思う。
ただ、情報が隠されていること、扱いを小さくすることが問題点を小さく見せているという現実は、ある。
報道側の、自粛なのか、まさか、確信を持ちにくいのか。
これに秘密保護法案の施行が加わったとき、どんな世の中になるのか。
首相が変えるのは、「内閣法制局」の憲法解釈であり、「最高裁判所」の憲法解釈ではないのですが
内閣法制局はその名の通り内閣に属する一機関にすぎませんから、内閣の長である総理が変えることは当然可能です
というか、内閣法制局が総理の命令を聞かないのなら、そちらの方が問題でしょうに
それって完全に官僚の暴走ですよ
まるで戦前、総理の命令を聞かずに暴走した関東軍と同じ構図となります