Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

石川一雄さん亡くなる

2025-03-12 | Weblog
「狭山事件」で冤罪を訴え続けた石川一雄さんが11日夜、亡くなられたという。

86歳。
「狭山事件」は1963年。女子高校生が誘拐され、20万円の身代金を要求する脅迫状が届いた。県警は受け渡し場所で犯人を取り逃がし、女子高生は殺害され遺体で見つかった。
石川さんは、強盗殺人容疑などで逮捕され、否認を続けたが、激しい取り調べで事件への関与したという自白を強要された。
「警察官に『石川が犯人にならなければ兄を逮捕する』と言われた。自白した後は、『兄が逮捕されなくてよかった』と安心していた」と振り返る一方で、「社会的に無知だった。それが本当に悔しい」と語っていた。
一審で死刑判決。二審で「部落差別による警察の見込み捜査が生んだ冤罪、不当逮捕。取調官に騙され容疑を認めてしまった」と全面否認に転じ無実を訴えたが退けられ、77年に最高裁で無期懲役が確定
服役後94年に仮釈放され、裁判をやり直す再審を求めていた。再審請求はこれまで2回退けられ、2006年5月に東京高裁に第3次請求を申し立てていた。脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡が異なることや、石川さん宅から押収された女子高校生のものとみられる万年筆と、女子高校生が使っていたインクの成分が異なることなどを指摘し、鑑定人尋問、万年筆インクの鑑定等、具体的な請求が出されていた。そもそも差別の中で育った石川さんは小学校も十分に通えず、読み書きができなかったのだ。字を覚え、本を読めるようになったのは、刑務所で、である。

石川さんの無罪を訴え続けた両親は服役中に亡くなった。刑務所を出て30年過ぎても、一度も墓参りをしていない。「『見えない手錠』がかかった手で手を合わせたら両親が悲しむ。手錠がちゃんと外れたときに報告したい」と話していたという。
一度決めつけられてしまえば、世間の目はそう簡単には覆らない。「過去の話」には、ならないのだ。

石川さんは「冤罪を晴らすまで死ねない、百歳まで生きる」と訴えてきたが、病に倒れてしまった。
逮捕されてから62年。おそろしい歳月である。
残された私たちは、石川さんの人生から、学ぶしかない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誕生祝いのメッセージをいた... | トップ | いくらなんでも »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事