後は、まずは、本番では使わない引用テキストをもとに、リーディング・ワークショップ。皆の声を聞き、いろいろを探る、試行。
書いている戯曲がどこに着地するかはまだ明かせないが、これまでの竹下景子さんとの作品とは、共通した部分もないではないが、かなり、いやそうとう違う部分が出てくるはず。かえって正統派になるのかもしれない。ともあれ、「いま」に迫りたいのだ。
私は昔、10年以上前かな、どういうわけか、巽孝之教授により慶應大学のアメリカ文学会に招かれ「冷戦期のアメリカB級表現に於ける核恐怖」というテーマを与えられて講演をしたことがあるが、その時話したのは主に映画で、対象としては「渚にて」に始まり、「ブロブ」「マックィーン絶対の危機」「遊星からの物体X」「ボディ・スナッチャー」「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」等だったが、四十歳以下の人たちに「そういうものを観たことがありますか?」と聞いても、皆さんほとんど観ていないのだね。「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」も、ロメロ版ではないリメイクのものしか観てないっていうし。うーむ。
いや、今回の芝居、そうした作品の要素は直接は全くでてこないと思うが、そんなこともどこかは関係あるんです。
あと、私の生涯で、たいへん影響を受け、仕事をする機会が持ち上がったのに果たせなかった、あるアメリカの映画監督の話もした。
そう、今回は、映画に関わる芝居なのだ。
竹下景子さん主演のSF映画といえば、倉本聰脚本・岡本喜八監督の『ブルークリスマス』だ。東宝。1978年。私は公開年に観ている。というか、製作される前年にシナリオを読んでいるのだ。それにしても先見の明がありすぎた映画だ。星新一が絶賛し、『シン・ゴジラ』の庵野秀明総監督もこの映画の大ファンだという。
この映画は今回の芝居には関係ないのですが。
久しぶりに仕事をする馬渕英里何は、映画では『いつか読書する日』にも出ていたな。『現代能楽集・鵺』でご一緒した田中裕子さんが主演、渡辺美佐子さんも出ていた。最近会っていない緒方監督はお元気だろうか。
幾つかドラマで共演作のある円城寺あやと馬渕の初共演は、『GTO』でも『私を旅館に連れてって』でもなく、『女子刑務所東三号棟』というドラマだったということがわかる。
で、稽古始めには「これから稽古場でどういう呼び名で呼んでもらいたいか」をそれぞれ言うことにしているのだが、見事なくらい、男女とも、下の名前ではなく、名字かそれをひねった言い方を望んだ。彼ら自身そう呼ばれて生きてきたのだ。それもまた、「何か」だろう。
公演詳細は劇団HPを御覧ください。
http://rinkogun.com
写真は、宮古島の自衛隊基地。この日は午前中に宮古島の方とも電話で話したが、稽古場で、この地の基地問題の話もした。
ところで。
三日前のブログに関連して。
翁長知事から記者団に「歓迎するという発言は不適切で、撤回させてもらえればありがたい」という発言があったそうだ。遅いよ。
翁長知事は「オスプレイの配備撤回は私どもの一番強い要請だ」とも言ったらしいが、オスプレイが来ようが来まいが、知事本人がヘリパット建設も市民への機動隊の暴力も本気で止めようとせず、高江の自然が無惨に破壊されている現状を黙認してきたのは、事実だろう。
翁長知事よ。待っていても何も解決しませんよ。なるべく早く、せめて一度は高江現地に行って、自分が何をすべきか確かめてくるべきだ。
さいごに。
高江の米軍提供地域に毎日のように入ってオスプレイパット建設に対する抗議活動を続けている作家・目取真俊氏の新作『露』(三田文学)は、戦時、死体から出てくる水さえも求める死を前にした枯渇した生きものの有り様に、作者の現在の思いが反映している、と、感じられてくる、「渇き」についての小説だ。後は、海の男たちのリアルなスケッチとしても、僅かながらでも島々を巡ってきた身には、染みる。そう、人は、あっけなく死ぬ。だがその個別の死を、作者は、知っている。