Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

省庁要請始まる

2020-05-22 | Weblog
We Need Culture -文化芸術復興基金をつくろう-
演劇・映画・ライブハウスが合同して「文化芸術復興基金」の創立を求める省庁要請。
衆議院議員会館で。

映画監督の井上淳一氏が写真を送ってくれた。それが私のところの写真だけだったので。私は、経産省の「固定費」の概念に、劇団の日常の活動(事務所・稽古場・倉庫・車輌・人員)が該当する考え方を説明した。例えば、そうでないなら、それはほんらい文化庁の管轄である、ということになるのかどうか。

要請を終えて、記者会見へ。

3ジャンルが合同することはたいへんだったのではないかと報道の方に聞かれる。

たいへんも何も、出会うこと自体は、簡単だ。そこに踏み出せなかっただけだ。その原因じたいに、じつは現実の問題が多く含まれている。

乗り越えられる。変えられる。
これからだ。
これまでにない手応えを、みんなが感じている。

https://weneedculture.org/?fbclid=IwAR3mmmLquZ26jl_Ul14PaRKeGylzIdyKJdBBWiNxBk9KaSWWTrX1k67PdhM
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思いを集めた省庁要請へ

2020-05-22 | Weblog
一昨日夕方に届いた、宮古島パニパニシネマ・下地昌伸館長の訃報。ご本人から闘病のことは聞いていたが、その後の長いZoom会議の間、気もそぞろだった。同年代で頑固で、熱い人だった。

20年近く前まで演劇をやっていて、宮古島に戻って映画館の館長になった人である。

下地さんには、私が演出した、非戦を選ぶ演劇人の会ピースリーディング「すべての国が戦争を放棄する日」(作 石原燃)をパニパニシネマで上映したさいに、初めてお会いした。アフタートークも開催した。自分の演出した舞台が映画館で上演されたのはその時が初めてである。写真は、そのときのじっさいのパニパニシネマのスクリーン、写っているのは徳之島の唄者、Hiroである。

拙作「天使も嘘をつく」には日本最西端の映画館も登場する。設定等はフィクションなのだが、平良という名の館長も出てくる。下地さんは「実名でも構いません」ということだったが。

その後、石嶺香織さんの市議補選出馬時に、一週間応援に行ったときも、ご一緒した。その後、宮古が自衛隊基地の島になっていくのを、彼は苦い思いで見つめていたと思う。

下地さんとは、宮古島・石垣島を連携する文化企画を一緒に立てていた。

本日、演劇・映画・ライブハウスが合同して「文化芸術復興基金」の創立を求める省庁要請である。

パニパニシネマは、映画の代表団体である【SAVE the CINEMAプロジェクト】が支える映画館の一つである。
下地さんのぶんも、思いを集めた省庁要請へ向かう。

https://weneedculture.org/?fbclid=IwAR2CuxbjmjAHL-u65I0cL_biW_sYaQBWeRNOQKfBXbJwKDVfn9NVWGA-MJk
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それとこれとは話が違う

2020-05-21 | Weblog
共同通信によると、

新型コロナの影響で困窮する学生らに現金を給付する支援策で、文部科学省が外国人留学生に限って成績上位3割程度のみとする要件を設け、大学などへ伝えたことが20日、同省への取材で分かった。

という。

それとこれとは話が違うだろう。

成績で人間の生存を分けるなんて。
それってやっぱり「ナチスの手口」じゃないか。

昔、『高校大パニック』という映画があって、「数学できんが何で悪いとや!」と、高校生がパワハラ数学教師を銃で殺してしまうのだが、ここまで理不尽だと、殺意をおぼえる者がいてもおかしくない。言葉もない。

Go to キャンペーンとか、和牛を売るとかじゃなくて、人間のために金を使わないのか。

写真は、3/30、タイメンバーを空港へ送りに行ったチームが遭遇したという謎の和牛広告のものを、拝借。
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自粛要請による週末都市封鎖開始後の3月29日まで本番をやっていた。⋯⋯いま私たちは、演劇の再開に向けて、動き出す。

2020-05-20 | Weblog
自粛要請による週末の都市封鎖が始まっていた3月29日まで、都内の劇場で本番をやっていた。
しかも国際合作で海外からのスタッフ・キャストを抱えていたため、現在まで続く緊張は、いち早く実感していた。
ただ、守るべき上演中の舞台があるために、どうしても事態を「大丈夫であるように思いたい」という気持ちも、働いていたかもしれない。

千秋楽を終えた翌日から、世間は一気に緊急事態の方向に進んだと思う。
お客様と、仲間たちと、劇場で共有した、まさにその「空気」が、私たちの健康を苛むかもしれないという、恐怖と矛盾に満ちた世界。

我々は、閉じ込められたのではなく、「私たちの町」から、疎外された。
そして、自分たちが生きていくためには、劇場が必要なのだということを、思い知らされたのである。

いま、私たちは、演劇の再開に向けて、動き出す。

(撮影・姫田蘭)

⋯⋯⋯⋯⋯⋯

【 演劇緊急支援プロジェクトへの賛同署名延長! 】
5/20(水)締切と発表されていましたが、その後も延長します! 

《演劇・音楽・映画》の三者で、 "文化芸術復興基金"創設へ向けて、画期的な連合となっています。
このお大きなうねりが結集し、5月21日にシンポジウム、22日に省庁要請をする運びになりました。

あらためて告知させていただきます。

賛同署名で応援! お願いします。
「文化芸術復興基金」の創設に向けて、音楽・映画・演劇で共同アクション! せひ応援をお願いいたします。


http://engekikinkyushien.info/?fbclid=IwAR1jPHmOPaFVufof4D6fl0PAUM9qAaDUW3a74KdAvSppzikFmSiNEOjK65Q


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賛同署名で応援! 5/20(水)23:59 〆切です!  演劇緊急支援プロジェクト

2020-05-20 | Weblog
【 演劇緊急支援プロジェクトへの賛同署名延長! 】
5/20(水)締切と発表されていましたが、その後も延長します! 

《演劇・音楽・映画》の三者で、 "文化芸術復興基金"創設へ向けて、画期的な連合となっています。
このお大きなうねりが結集し、5月21日にシンポジウム、22日に省庁要請をする運びになりました。

賛同署名で応援! お願いします。

あらためて告知させていただきます。

⋯⋯⋯⋯

演劇は生きる力です。演劇緊急支援プロジェクト
演劇の灯を絶やさないために、演劇の未来のために 緊急支援を!
演劇を愛するすべての人々の賛同署名をお願いいたします。

「演劇は生きる力です。演劇緊急支援プロジェクト」は、賛同署名を募集しています。
私たちは、演劇団体および演劇に関わるすべての人たちへの緊急支援のため、国・地方自治体・民間の企業の皆様に向けた要望をまとめます。
その「要望書」とともに提出する署名を、5月20日を目指して集めております。
みなさまの積極的なお力添え、なによりまわりの方々へのお声がけをお願い申し上げます。

「文化芸術復興基金」の創設に向けて、音楽・映画・演劇で共同アクション! せひ応援をお願いいたします。



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タクシードライバーは日本酒ではないはずだ

2020-05-20 | Weblog
あまりに疲れて、ふと顔を上げるとこんな宣伝が。脱力する元気さえない。

タクシードライバーは日本酒ではないはずだ。

もちろん私は飲んでいない。
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#WeNeedCulture 発進! ロゴ決定!

2020-05-19 | Weblog
今週の「文化芸術復興基金」創設への《演劇・音楽・映画》三者共同アクション。
そのひとつとして要望書を再提出する事となりました。
#WeNeedCulture
発進! 
ロゴ決定!

5/20を〆切とします。各団体への署名、今一度ご協力をお願いいたします!
▽各署名先
映画▶︎ http://change.org/save_the_cinema
演劇▶︎ http://engekikinkyushien.info
音楽▶︎ http://save-our-space.org
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井上ひさしさんに見せたかった、『マルモイ こどばあつめ』。 コロナが過ぎたら映画館へ。

2020-05-19 | Weblog
言葉こそ、人間の血液だ!
「国語」を守ることに命をかけた人々の実話!
全国各地の方言を集め、「標準語」を整えようとする奮闘の日々。

『国語元年』を書いた井上ひさしさんに、見せたかった!

『タクシー運転手』の脚本家が、時代を遡って「庶民の決起」を描く。
『パラサイト』より、こっちが好きだ。 

韓国映画の新作、『マルモイ こどばあつめ』。

コロナが過ぎたら映画館へ。

コメント書きました。公開日はあらためてチェックしてね。
https://marumoe.com
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新国立劇場 巣ごもりシアター「おうちで戯曲」 に 『現代能楽集 鵺』 登場

2020-05-18 | Weblog
新国立劇場 巣ごもりシアター「おうちで戯曲」 に、拙作『現代能楽集 鵺』が、登場します。

作:坂手洋二 演出:鵜山仁
出演:坂東三津五郎 田中裕子 たかお鷹 村上 淳

世阿弥晩年の作といわれる謡曲『鵺』をもとに、平安末期から現代の近郊都市住宅街の川辺、アジアまで、時空を越えて妖怪"鵺"が登場する、三幕。
2009年7月に上演されたものです。

以下の期間、この戯曲がネット上で無料で読めます。
5月21日(木)15:00~6月4日(木)14:00

(写真、左から、坂東三津五郎、村上 淳、たかお鷹、田中裕子)

もう十一年前になるのですね。

⋯⋯⋯⋯⋯

巣ごもりシアター ~おうちで戯曲~ とは
新国立劇場が、長期に渡りご自宅などでの待機を余儀なくされている皆様へ、そして舞台芸術を愛する皆様に向けてお贈りする「巣ごもりシアター」。演劇部門からは、新国立劇場のために書き下ろされた戯曲を、期間限定でウェブ公開する「おうちで戯曲」をお届けします。4月23日(木)より毎週2作品をそれぞれ2週間ずつ公開し、1ヶ月以上にわたって様々な戯曲をお楽しみいただけます。
読み物として楽しむもよし、ご観劇された舞台を思い出すもよし、登場人物になりきるもよし。ぜひこの機会に、自分だけの戯曲の楽しみ方で「巣ごもり」時間をお過ごしください。

https://www.nntt.jac.go.jp/play/sugomori_gikyoku/
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「アベノマスク」輸入の疑惑は、とめどもない。

2020-05-17 | Weblog
「アベノマスク」輸入の疑惑は、とめどもない。

実績のない会社と国が取り引き。

透明性は何もない。



ブログに新聞記事をそのままシェアすることはしない主義だったが、大切なことだと思うので、貼り付けます。

東日本大震災のその後の福島をずっと追いかけてきた、東京新聞の片山夏子さんが、原発事故後の福島の不透明な「復興策」がとコロナ状況に巻き込まれている実態を、鋭く突いています。


(片山さんから送ってくださるので、権利問題は大丈夫と思います)

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「東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書」 どん詰まりの局面にうまれた名文

2020-05-16 | Weblog
歴史に残る名文というのは過去に幾つも存在すると思うが、いま、新たな言葉が、刻まれたといえるのではないか。こういうものが出てくると、こんなご時世の中で、人間社会を信じる気持ちが甦り、支えられる。
検察庁法改正に反対する検察OB諸氏が15日、法務省に提出した意見書の全文である。

大切なことは、私のような法律の素人にも、読んできちんとわかる文章だということである。
日本の刑事司法が「適正公平という基本理念を失って崩壊」に直面しているのだが、この文は冷静を保っている。
ルイ14世やジョン・ロックも出てきて、他のことだったら、何だか大袈裟な大風呂敷のように感じるかもしれないが、現実が「法が終わるところ、暴政が始まる」という「これ以上、駄目になってはならない」どん詰まりの局面にあるからこそ、こうした喩えは、通じやすい。つまり、は「悪は凡庸」なのである。逆に言えば、その地点まで、のさばらせてしまった。

文中で唯一「難解な条文であるが」と指摘されているのは、こんかい検察OB諸氏に批判され焦点となっている検察庁法改正案そのものである。その中の「公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは」という文の意味は、誰にでもわかる。「内閣にとって都合の悪いときは」としか読めない。そして、地の文で「内閣が必要と認める一定の理由があれば」と繰り返し指摘されるように、本来あるべきではなかった暴挙を誰の都合で誰が決めようとしているかは、明らかである。

そうした内容を、簡潔に、緊張を孕みながらも、一種のユーモアとも感じられるほどのスタンスの、涼やかな文体で記されていることが、感銘を呼ぶ。
まとめ役の清水勇男氏は追記で謙遜されているが、それも意図的なのだろう。

「(八方塞がりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という言葉は、熱く、重いが、その進む方向は、いつの世も、正義の法則によって定められるべきなのである。


    
 東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書

 1 東京高検検事長黒川弘務氏は、本年2月8日に定年の63歳に達し退官の予定であったが、直前の1月31日、その定年を8月7日まで半年間延長する閣議決定が行われ、同氏は定年を過ぎて今なお現職に止(とど)まっている。
 検察庁法によれば、定年は検事総長が65歳、その他の検察官は63歳とされており(同法22条)、定年延長を可能とする規定はない。従って検察官の定年を延長するためには検察庁法を改正するしかない。しかるに内閣は同法改正の手続きを経ずに閣議決定のみで黒川氏の定年延長を決定した。これは内閣が現検事総長稲田伸夫氏の後任として黒川氏を予定しており、そのために稲田氏を遅くとも総長の通例の在職期間である2年が終了する8月初旬までに勇退させてその後任に黒川氏を充てるための措置だというのがもっぱらの観測である。一説によると、本年4月20日に京都で開催される予定であった国連犯罪防止刑事司法会議で開催国を代表して稲田氏が開会の演説を行うことを花道として稲田氏が勇退し黒川氏が引き継ぐという筋書きであったが、新型コロナウイルスの流行を理由に会議が中止されたためにこの筋書きは消えたとも言われている。
 いずれにせよ、この閣議決定による黒川氏の定年延長は検察庁法に基づかないものであり、黒川氏の留任には法的根拠はない。この点については、日弁連会長以下全国35を超える弁護士会の会長が反対声明を出したが、内閣はこの閣議決定を撤回せず、黒川氏の定年を超えての留任という異常な状態が現在も続いている。
 2 一般の国家公務員については、一定の要件の下に定年延長が認められており(国家公務員法81条の3)、内閣はこれを根拠に黒川氏の定年延長を閣議決定したものであるが、検察庁法は国家公務員に対する通則である国家公務員法に対して特別法の関係にある。従って「特別法は一般法に優先する」との法理に従い、検察庁法に規定がないものについては通則としての国家公務員法が適用されるが、検察庁法に規定があるものについては同法が優先適用される。定年に関しては検察庁法に規定があるので、国家公務員法の定年関係規定は検察官には適用されない。これは従来の政府の見解でもあった。例えば昭和56年(1981年)4月28日、衆議院内閣委員会において所管の人事院事務総局斧任用局長は、「検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されない」旨明言しており、これに反する運用はこれまで1回も行われて来なかった。すなわちこの解釈と運用が定着している。
 検察官は起訴不起訴の決定権すなわち公訴権を独占し、併せて捜査権も有する。捜査権の範囲は広く、政財界の不正事犯も当然捜査の対象となる。捜査権をもつ公訴官としてその責任は広く重い。時の政権の圧力によって起訴に値する事件が不起訴とされたり、起訴に値しないような事件が起訴されるような事態が発生するようなことがあれば日本の刑事司法は適正公平という基本理念を失って崩壊することになりかねない。検察官の責務は極めて重大であり、検察官は自ら捜査によって収集した証拠等の資料に基づいて起訴すべき事件か否かを判定する役割を担っている。その意味で検察官は準司法官とも言われ、司法の前衛たる役割を担っていると言える。
 こうした検察官の責任の特殊性、重大性から一般の国家公務員を対象とした国家公務員法とは別に検察庁法という特別法を制定し、例えば検察官は検察官適格審査会によらなければその意に反して罷免(ひめん)されない(検察庁法23条)などの身分保障規定を設けている。検察官も一般の国家公務員であるから国家公務員法が適用されるというような皮相的な解釈は成り立たないのである。
 3 本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
 時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」(加藤節訳、岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。
 ところで仮に安倍総理の解釈のように国家公務員法による定年延長規定が検察官にも適用されると解釈しても、同法81条の3に規定する「その職員の職務の特殊性またはその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分の理由があるとき」という定年延長の要件に該当しないことは明らかである。
 加えて人事院規則11―8第7条には「勤務延長は、職員が定年退職をすべきこととなる場合において、次の各号の1に該当するときに行うことができる」として、①職務が高度の専門的な知識、熟練した技能または豊富な経験を必要とするものであるため後任を容易に得ることができないとき、②勤務環境その他の勤務条件に特殊性があるため、その職員の退職により生ずる欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な障害が生ずるとき、③業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるとき、という場合を定年延長の要件に挙げている。
 これは要するに、余人をもって代えがたいということであって、現在であれば新型コロナウイルスの流行を収束させるために必死に調査研究を続けている専門家チームのリーダーで後継者がすぐには見付からないというような場合が想定される。
 現在、検察には黒川氏でなければ対応できないというほどの事案が係属しているのかどうか。引き合いに出される(会社法違反などの罪で起訴された日産自動車前会長の)ゴーン被告逃亡事件についても黒川氏でなければ、言い換えれば後任の検事長では解決できないという特別な理由があるのであろうか。法律によって厳然と決められている役職定年を延長してまで検事長に留任させるべき法律上の要件に合致する理由は認め難い。
 4 4月16日、国家公務員の定年を60歳から65歳に段階的に引き上げる国家公務員法改正案と抱き合わせる形で検察官の定年も63歳から65歳に引き上げる検察庁法改正案が衆議院本会議で審議入りした。野党側が前記閣議決定の撤回を求めたのに対し菅義偉官房長官は必要なしと突っぱねて既に閣議決定した黒川氏の定年延長を維持する方針を示した。こうして同氏の定年延長問題の決着が着かないまま検察庁法改正案の審議が開始されたのである。
 この改正案中重要な問題点は、検事長を含む上級検察官の役職定年延長に関する改正についてである。すなわち同改正案には「内閣は(中略)年齢が63年に達した次長検事または検事長について、当該次長検事または検事長の職務の遂行上の特別の事情を勘案して、当該次長検事または検事長を検事に任命することにより公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは、当該次長検事または検事長が年齢63年に達した日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、引き続き当該次長検事または検事長が年齢63年に達した日において占めていた官及び職を占めたまま勤務をさせることができる(後略)」と記載されている。
 難解な条文であるが、要するに次長検事および検事長は63歳の職務定年に達しても内閣が必要と認める一定の理由があれば1年以内の範囲で定年延長ができるということである。
 注意すべきは、この規定は内閣の裁量で次長検事および検事長の定年延長が可能とする内容であり、前記の閣僚会議によって黒川検事長の定年延長を決定した違法な決議を後追いで容認しようとするものである。これまで政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた。これは「検察を政治の影響から切りはなすための知恵」とされている(元検事総長伊藤栄樹著「だまされる検事」)。検察庁法は、組織の長に事故があるときまたは欠けたときに備えて臨時職務代行の制度(同法13条)を設けており、定年延長によって対応することは毫(ごう)も想定していなかったし、これからも同様であろうと思われる。
 今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺(そ)ぐことを意図していると考えられる。
 5 かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。
 振り返ると、昭和51年(1976年)2月5日、某紙夕刊1面トップに「ロッキード社がワイロ商法 エアバスにからみ48億円 児玉誉士夫氏に21億円 日本政府にも流れる」との記事が掲載され、翌日から新聞もテレビもロッキード関連の報道一色に塗りつぶされて日本列島は興奮の渦に巻き込まれた。
 当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件に対して、特捜部として必ず捜査に着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在住のロッキード社の幹部が中心だし、証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないのではないかという懐疑派、苦労して捜査しても(1954年に犬養健法相が指揮権を発動し、与党幹事長だった佐藤栄作氏の逮捕中止を検事総長に指示した)造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。
 事件の第一報が掲載されてから13日後の2月18日検察首脳会議が開かれ、席上、東京高検検事長の神谷尚男氏が「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ検察は今後20年間国民の信頼を失う」と発言したことが報道されるやロッキード世代は歓喜した。後日談だが事件終了後しばらくして若手検事何名かで神谷氏のご自宅にお邪魔したときにこの発言をされた時の神谷氏の心境を聞いた。「(八方塞がりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という答えであった。
 この神谷検事長の国民信頼発言でロッキード事件の方針が決定し、あとは田中角栄氏ら政財界の大物逮捕に至るご存じの展開となった。時の検事総長は布施健氏、法務大臣は稲葉修氏、法務事務次官は塩野宜慶(やすよし)氏(後に最高裁判事)、内閣総理大臣は三木武夫氏であった。
 特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯(おび)えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。
 国会で捜査の進展状況や疑惑を持たれている政治家の名前を明らかにせよと迫る国会議員に対して捜査の秘密を楯(たて)に断固拒否し続けた安原美穂刑事局長の姿が思い出される。
 しかし検察の歴史には、(大阪地検特捜部の)捜査幹部が押収資料を改ざんするという天を仰ぎたくなるような恥ずべき事件もあった。後輩たちがこの事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないかという思いもある。それが今回のように政治権力につけ込まれる隙を与えてしまったのではないかとの懸念もある。検察は強い権力を持つ組織としてあくまで謙虚でなくてはならない。
 しかしながら、検察が萎縮して人事権まで政権側に握られ、起訴・不起訴の決定など公訴権の行使にまで掣肘(せいちゅう)を受けるようになったら検察は国民の信託に応えられない。
 正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。
 黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ないものである。関係者がこの検察庁法改正の問題を賢察され、内閣が潔くこの改正法案中、検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待し、あくまで維持するというのであれば、与党野党の境界を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない。

 【追記】この意見書は、本来は広く心ある元検察官多数に呼びかけて協議を重ねてまとめ上げるべきところ、既に問題の検察庁法一部改正法案が国会に提出され審議が開始されるという差し迫った状況下にあり、意見のとりまとめに当たる私(清水勇男)は既に85歳の高齢に加えて疾病により身体の自由を大きく失っている事情にあることから思うに任せず、やむなくごく少数の親しい先輩知友のみに呼びかけて起案したものであり、更に広く呼びかければ賛同者も多く参集し連名者も多岐に上るものと確実に予想されるので、残念の極みであるが、上記のような事情を了とせられ、意のあるところをなにとぞお酌み取り頂きたい。

 令和2年5月15日
 元仙台高検検事長・平田胤明(たねあき)
 元法務省官房長・堀田力
 元東京高検検事長・村山弘義
 元大阪高検検事長・杉原弘泰
 元最高検検事・土屋守
 同・清水勇男
 同・久保裕
 同・五十嵐紀男
 元検事総長・松尾邦弘
 元最高検公判部長・本江威憙(ほんごうたけよし)
 元最高検検事・町田幸雄
 同・池田茂穂
 同・加藤康栄
 同・吉田博視
 (本意見書とりまとめ担当・文責)清水勇男

 法務大臣 森まさこ殿
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軒下のエンドウ

2020-05-12 | Weblog
住居の軒下というか、「へち(庭といえる広さではありません)」と言うべき一角に気まぐれに植えた豆苗から実った、エンドウ。
季節感は関係なく。においがいい。
食べます。
(写真は拡大されて写るのですが、ほんとはごく小さいです)

子供の頃、悪戯のように植えた夏みかんのタネからしっかり実が実ったときは、大きな青虫の出現とともに驚いた記憶があるが、自然の力は、どこにいても、驚かされる。

次はそろそろゴーヤだな。網戸がやられないように気をつけないといけないのだ。
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「#検察庁法改正案に抗議します」、さらに広がってほしい。

2020-05-11 | Weblog
「#検察庁法改正案に抗議します」、さらに広がってほしい。
声を上げる人が増えれば、誰もが無視できないくらいに広がれば、これまでとは違う展開だって、有り得る。
少なくともマスコミを変えるところまで、行きたいものだ。
最近多発しているネット情報を紹介するだけの「ネットニュース」には辟易しているが、この件だけはがんがん報道してほしい。

さて、私自身も、すべきことはいくらでもある。
本業以前に、いろいろだが、とにかくあきらめないことだ。

幾つかの案件について、14日の宣言解除に関する政府発表の後に、いろいろと見える動きになっていくはずだと思う。

それから、どうでもいいけど、都知事に、市民の生活に対して「緩んでいる」とか、言われたくないんだけど。そもそもオリンピック開催のために三月の半ばまで緩めまくっていたのは、あなたでしょう。

感染検査について言えば、検査実施人数、少なすぎです。こんなじゃ事実なんてわからないでしょう。

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韓国は「コロナ前」の社会にもどりつつあるという

2020-05-06 | Weblog
感染者数増を抑え込んだ韓国は、外出規制を緩和、「コロナ前」の社会にもどりつつあるという。
飲食店もお客が戻り、美術館・博物館も再開しているらしい。
映画館も一列ごとに空席列をつくり、観客数は半分になるが、なんとか観ていただける形になっているらしい。
以前もお伝えしたが、韓国の小劇場は、この間も、完全に閉鎖になったことはない。必ず上演を続けている劇場は、あったという。
五月二日からは〈ソウル演劇祭〉も予定通り開催されている。

日本の映画館も、明日7日から上映再開するところが出てきているらしい。

演劇のほうも、自粛延長発表時、同時に、「小規模のイベントは実施可能」「五十席以内を目安に」という話も出てきていた。
緊急事態が解除されれば、そして、曖昧な「自粛要請」の具体的な尺度が問題なのだが、それが各自治体の判断が あった上で、明瞭に「強制でない」というコンセンサスがとれさえすれば、理屈上は再開を検討してもいいはずである。
自治体が認めれば、公共劇場も少しずつ復活できるはずだ。
そう、少しずつ、でいいのだと思う。
まずは稽古できる環境を取り戻したい。


写真は今年2月下旬、ソウルに行ったときのもの。
連日通った劇場は、私が帰国した翌日から閉鎖されてしまった。
劇場裏手の居酒屋。鳥鍋やタコ刺しをいただいた。
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「ランナーもマスクを」張り紙は、消えた

2020-05-06 | Weblog
神田川遊歩道のフェンスに、「ランナーもマスクを」という張り紙が、つけられている話はご紹介したと思う。

この張り紙は、公認放置状態にあったが、隣に張られていた杉並区からの「お知らせ」にあるように、4月末日で外された。

というか、外すか外されるかを取り沙汰するまでもなく、ウォーキング組やランナーたちは、もうほとんどマスクをしている。そうでない人たちは、すれ違う人達や追い抜く人達に接近しないように、大きく離れて動いている。
みんな真面目である。

吉祥寺でもう何週間も「閉店セール」を続けている靴屋であたらしいランニングシューズを買った。やはりおろしたての靴は気持ちがいい。
今日はあいにくの雨である。残念ながら出かけるのをやめるかもしれない。

Zoomというシステムでやる会議や催しに、何度か参加している。
ネットのグループ画面はなんだかもの悲しい気がする。
ものすごく疲れる、という人もいる。
ホスト役の人によっても、空気は全然変わる。
なかなか慣れないが、難しいとかそういうことではなくて、慣れなくて当然、という気持ちもある。

このご時世、なかなか文字を刻んでいくことは気持ちが重いのだが、こんな時でも書かなければならないものが幾つかあるというのは、ありがたいことである。
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