黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

お願い地蔵に願いを(滝瀬山立岩寺)

2020-10-11 20:43:48 | 埼玉県

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、高縄の集会所を廻って帰ります。

花いっぱい運動の花がまだ咲いています

獅子くんは、「もっと上に行こうよ。」

おかあさんは、「今日は御用があるから、また今度ね。」

おや、向こうの田んぼが騒がしいです。

なぜか、あの田んぼ一枚だけ、カラスの大群がいます。

落ち穂拾いかな?

ひめちゃんたちは反応しませんでした。

かすかにその姿を見せる赤城山を背に、堀之内に帰ります。

 

 

 

(深谷市)高島の生品神社を後にして、そのまま西に行って一ヶ所曲がれば、横瀬の華蔵寺に行くはずです。

華蔵寺には、以前お邪魔しましたけど、御朱印をいただきそこなってます。

寄って行きましょう

華蔵寺目指して、西に進みます。

右折する信号・滝瀬は、赤でした。

 

前方に、滝瀬厄除け大師の文字が見えます。

寄って厄を落として行きましょう

用がありますので、駐車させていただきます

 

正面から入り直しです。

おじさんは石造物に夢中です。

大きな二十二夜塔です。

あの板碑によく使われた緑泥片岩でしょうか?

 

お地蔵様に迎えられて、参拝です。

お地蔵様脇の庚申塔、いい文字感じの文字です

 

山門です。

「一隅を照らす」とあります。

ここは天台宗のお寺ですね。

「ぼけ封じ 関東三十三観音霊場」とあります。

御朱印がありそうです。

いただいていきましょう

 

山門をくぐると、「ほんじょうかるた」です

運のよい滝瀬ぼたんの立岩寺

ここは、本庄市なのですね。

ここは、牡丹寺なのですね。

 

由緒があります。

開山は、慈覚大師円仁ですって

ここも円仁ゆかりの寺です。

円仁ゆかりの寺巡りも、まだまだ途中でした。

 

本堂前で合掌

お願い地蔵さまの案内があります。

「ひとつの願いをかけて持って行ってください。」ですって。

一体500円です。

 

おじさんは、「500円貸して

おじさんは、願いを掛けて一体持ち帰りです。

どんな願いを掛けたのかな?

でも、自分のお財布から500円出さないと御利益ないんじゃないの

老婆心ながら、ちょっと心配です

 

庫裏に寄って、御朱印をいただきます。

この聖観音が、ぼけ封じ観音なのですね

 

本堂西の花のない牡丹園を散策します

あれ、願いがかなったお地蔵様って

願いがかなって返されたお地蔵様が、数えられないくらいいっぱいです

おじさんも、返しに来る日があるのかな?

 

牡丹園は花はないけれど、牡丹がいっぱいです

 

おや、道の向こうに鳥居が見えます。

額に滝瀬神社とあります。

ちょっと行ってみたいけれど、塀があっていけません

駐車場もなさそうです。

今回はパスしておきましょう。

 

広い牡丹園でした。

牡丹の季節に、また来ましょう

 

その時は、参門脇の資料館も見学させていただきましょう

それでは、横瀬の華蔵寺目指します

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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新田荘高島郷の生品神社(利根川の南にも生品神社)

2020-10-08 15:13:44 | 埼玉県

寒い雨の朝でした。

ひめちゃんたちの小屋には、毛布が入りました

ちょっと早いかな?

雨なので、今日の写真はなしです。

 

昨日の朝、ひめちゃんたちは、岩神沼から高縄の摩崖仏の裏手を通ってのお散歩です。

岩神沼で、獅子くん、いつものポーズです。

逆さ赤城も映っていました。

ひめちゃんは、物思いにふけってる?

後ろから、小次郎パパとタバサねーちゃんがやって来ます。

先日、満開の曼珠沙華の中で、摩崖仏には寄りました。

昨日はパスです。

摩崖仏の後ろを通って帰ります。

赤い柱の下が、高縄の摩崖仏です。

曼珠沙華の似合う風景です

こんなにみごとに曼珠沙華が咲いているところを通るのは、初めてです

 

 

新田義貞が挙兵したのは、生品神社(群馬県の旧新田郡新田町)だといいます。

ところが、利根川の南、深谷市にも生品神社がありました。

これは、新田の生まれの人間は、確認しておかなければなりません。

 

先日やっと訪問できました。

国道17号線(上武道路)の新上武大橋を渡って、まもなく左折して又左折して、新上武大橋をくぐり到着です。

前小屋天神とは、橋を挟んで反対側になります

鳥居です。

灯籠の背がずいぶん高い

本殿前には狛犬が鎮座です。

よく見ると、狛犬も高い位置に鎮座です

まるで打ち寄せる波に耐えて、岸壁でお仕事をしているようです

社殿の入り口は、堅く閉ざされています

とりあえず、門前で参拝です。

隙間から見えるのは、拝殿ですね。

本殿はまだ先です。

 

社殿の前には、由緒(?)です。

生品神社の創建は昭和初期ですって

そんあはずはありません。

古い社殿が昭和初期の建立だったのでしょう。

 

こちらも、よく読み取れません。

 

あちこち、この生品神社について検索しましたけど、わかりにくい表現が多いです。

由緒としてすっきりしているのは、

当地は、古くは上野国新田荘に属し、元久二年(1205)の源実朝下文案に、新田義兼の所領と記載されている。新田荘の総鎮守は、古代から崇敬された群馬県新田町の旧県社生品神社で、これは『上野国神名帳』に「従三位生階明神」と載せられている。当社は、この神社の分社で、おそらく新田荘の地頭であった新田一族により、新田荘高島郷の鎮守として勧請されたのであろう。

 

ここは、上野国新田荘だったのです

新田荘高島郷だったのです

 

天保2年(1831)10月29日、渡辺崋山は、前小屋天神の書画会に出席します。

そしてその夜は、島村の画家金井烏洲の案内で、高島という所の豪農で西洋医学の医者でもある、伊丹新左衛門宅に泊まります。

ここが、その高島だったのです

 

社殿の周りを、時計回りに一回りです。

こちらの古い灯籠は普通の仕様です。

背高のっぽの灯籠は、やはり洪水対策かな?

 

石造物もあります。

高島の文字がはっきり見えます

 

本殿も、堅く閉ざされています。

 

一回りして来ました。

まるで伊勢の二見ヶ浦の夫婦岩のような情景です

まさか

 

新田荘は、利根川の南にも広がっていたのです

 

 

 

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県境を越えて妻沼聖天様(花輪彫刻師集団の活躍)

2020-07-01 21:11:31 | 埼玉県

昨夜の激しかった雨も、朝には止みました。

ひめちゃんは、小次郎パパとお散歩です。

お散歩に出る前、小次郎パパは七海ママのサークル前で、猛烈に「ナナちゃん愛しているよ」とシッポを振ります。

ママは16才になっても、まだ恋の季節が続いています。

ちょうど、小学生の通学時間です

ちょっと緊張ひめちゃんです。

あれ、パパが変

ママにラブラブの余韻でしょうか

すぐに収まりましたけど、じゅうぶんな注意が必要です。

ひめちゃんは、出血を自分で処理しています。

ママは、今回はさすがにあるがままという状態で、新品の夏用ベッドも洗濯が必要です

 

 

聖天様(しょうでんさま)本殿の彫刻見学です。

前回のガイドさんから、「修理に13億あまりかかった。江戸時代中期にこの本殿を建造したときには、利根川の水運で栄えていた。このあたりまで大きな舟で運んで、ここから小さな舟に移し替えて運んだ。」というような話を聞きました。

そして、「彫刻師は黒川谷の花輪(はなわ)の人達だった。」とも聞きました。

日光東照宮の造営が終わった後、彫刻師達は黒川谷の花輪(桐生市黒保根町)に住んだそうですね。

そして、たくさんの後世に残る寺社彫刻を残したのです。

 

さて、ガイドが始まってます。

同行させていただきます

南側の彫刻です。

見事ですね

南の面は、4匹の猿が支えているようにみえます。

ガイドさんは、「南・西・北の3面で、12匹のはずですが実は13匹の猿がいます。どこにいるでしょうか、探してください。」

猿の下には、元気な子ども達です

なんと凧揚げのひもも木で彫られたものだそうです

おおらかな子ども達です

 

南面から西面への角です。

西の面も、やはり猿が支えています

 

北側の面です。

有名な吉祥天様と弁財天様のすごろくの場面です。

詳しく説明がありました。

 

ここで、13匹の種明かしがありました

一番右のお猿さんは、赤ちゃんを抱いたママなのでした

ママさん猿が注目されるので、ちょっとすねているお隣のスネオくんです。

黒川谷の山中に、こんな光景があったのかな?

 

北側の遠景です。

 

廻りを西回りで戻ります。

今回のガイドさんの説明で強調されていたのは、庶民の力でこの聖天様の本殿は建立されたということでした

権力者ではなく、庶民の力(浄財)で建立されたということでした

 

本殿前面でもう少し説明です。

ここで初めて、「ここの龍は、若き日の関口文治郎さんの作品です。」

花輪の彫刻師集団の関口文治郎の名前がでました

鯉が柱にくっついてます。

鯉は激流を上りきると龍になるそうです。

 

ここで、今日のガイドさんとお別れです。

流ちょうな説明で、最後に自然と拍手が起こりました。

ありがとうございました

 

さて、本殿前右の狛犬の向こうが気になってました。

初めて行ってみます。

 

鐘楼堂です。

気のせいか、ちょっと地味かな?

 

おや、夫婦の木(めおとのき)ですって

ケヤキとえのきがくっついて絡み合った大木です。

 

不動明王です。

すいぶん、ひっそりとおいでです

 

弁財天堂です。

弁天様は外においででした。

 

赤い橋の向こうは、平和の塔だそうです。

 

表参道ではなく、かなりマイナーな道を通って、貴惣門に到着です。

紫陽花の貴惣門いいですね

もう一度行きたい史跡もいっぱいあるけど、また今度にしましょう

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県境を越えて妻沼聖天様(狛犬のいる参道)

2020-06-30 20:56:17 | 埼玉県

朝、ひめちゃんたちのお散歩の時間は、まだ雨が降っていませんでした

お散歩から帰って朝ご飯が配られる頃には、しとしと降り出しました

 

雨にも負けずに、今日もヘメロカリスや紫陽花は、きれいに咲いています

和の雰囲気(ジャパネスク)のヘメロカリスです

絞りの紫陽花が、もう一種類ありました。

共に、キウイフルーツの棚の下にあります。

ここには、鉢植えの紫陽花もあります。

小雨になった頃を見て、幾鉢か、地植えにしました

 

 

名物の大きな稲荷寿司は売り切れでした

とりあえず、和菓子屋さんにあったどら焼きを買って、空腹をなだめます

 

付近の地図があります。

中央を走る国道407号線、刀水橋の向こうで太田市内に向かってます。

帰りは、この407号線を北上し、薮塚・笠懸廻りです。

 

紫陽花は多いとはいえませんけど、所々に咲いています。

やはり、紫陽花の季節です

 

また、門があります。

シンプルだけど、クラシックな重厚な門です。

さらに向こうにも門があるようです。

 

仁王門です。

あれ、今度は狛犬もいます。

なんとも愛らしい狛犬です。

爪も丁寧に表現されています。

 

聖天様の由来について案内があります。

当山は治承三年(八百数十年前)の庄司斉藤別当実盛公が本尊聖天さまを総鎮守としてお祀りし民衆の祈願所として開創されました。

本坊は真盛公の二男良応僧都が聖天行者の修行所として建立されました。

 

「民衆の祈願所」って、すばらしい

 

以前参拝した歓喜院本坊は、落ち着いた雰囲気でした。

そうだったんですか、聖天行者の修行所だったんですね

 

仁王門の仁王様です。

なぜか、左の仁王様にだけ、清酒力士の奉納です。

仁王様、「悪疫調伏」お願いしますね

 

仁王門をくぐり、いよいよ本殿です。

 

その前に、右手にある受付所で、御朱印をお願いします。

いただいた御朱印です

 

本殿に参拝です。

でも、まっすぐは進めません。

石舞台があるからです。

この前もあったっけ?

全く記憶にございません

 

回り道で、本殿です

龍がいます

 

本殿前には、大きな大きな賽銭箱があります。

ご本尊様から遠いですけど、心をこめて合掌

 

ここにも狛犬です

 

右の狛犬です。

おや、奥の方に赤い橋が見えます

あっちへは行った事がありません。

 

左の狛犬です。

料金所があります。

本殿の彫刻を拝観するには、料金所を通過しなければなりません。

せっかくですもの、もちろん拝観料700円を払って、拝観します

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

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県境を越えて妻沼聖天様(斉藤実盛の記憶)

2020-06-29 23:01:29 | 埼玉県

朝、ひめちゃんは小次郎パパと、ほぼいつも通りにお散歩できました。

赤城山の木々が、生き生きと見えます。

ここが葛塚城堀之内の北端です。

ひめちゃん大事な時なので、突き当たりを左折して帰ります。

 

あれ、いつも通る道に、大きなトラックです。

急遽脇道に入ります。

ここは、れっきとした市道ですけど、豚舎と豚舎の間の道で、普通の人は通りません。

葛塚城堀之内の内曲輪です。

まわりの石は葛塚城の石と云いたいところですけど、どうも古墳の石のようです。

葛塚城は、山上にたくさん存在していた古墳を利用していたかも知れません。

 

 

 

25日の昼ごろ、雨が上がりました

遠くにお出掛けするには、ちょっと遅い

そうだ、県境を越えて、妻沼聖天様のおいなりを買ってこよう

県境を越えた移動が可能になっています。

さすがに山上城趾公園からも、他県ナンバーの車お断りのバリケードは撤去されました。

国道17号線(上武道路)を尾島で降りて、利根川沿いに刀水橋(とうすいばし)まで出ます。

刀水橋を渡ってほどなく到着です

 

貴惣門から入ります。

巨大な荘厳な門です

 

右手にひっそりとお地蔵様です。

柔和なやさしそうなお方です。

首はしっかり付いてます。

 

左には「めぬま歴史の道」と「貴惣門」の説明板です。

 

2年半ぶりです。

いくつかの斉藤実盛(さいとうさねもり)ゆかりの史跡に行った事があります。

 

では、貴惣門をくぐります。

みごとな龍です

 

左右に、仁王様です。

調伏の文字が見えます。

今みんなが一番のぞんでいる御利益ですね

 

紫陽花の一角があります。

左奥に、斉藤実盛の銅像があります。

「こんにちは。お久しぶりです

白くなった髪を、鏡をみながら、墨で染めています

細部にわたって実に細かく作られています

実は実盛の兜(かぶと)と言われるものが、石川県小松市の多太神社に伝わるそうです。

熊谷市立熊谷図書館刊の『斉藤氏と聖天堂』(平成25年)に、その兜の写真があります

確かな資料によって、兜も創作されているのです

 

 

この歓喜院聖天堂は、平安時代末期に、この地を治めていた斉藤別当実盛が開いた聖天堂が元とされているのです。

実盛は、幼い駒王丸(のちの木曽義仲)を助けます。

そして、その木曽義仲と戦って戦死するのです。

 

文部省唱歌・斎藤実盛の歌詞があります。

一、年は老ゆとも、しかすがに

  弓矢の名をばくたさじと

  白き鬢髭墨に染め

  若殿原と競いつつ

  武勇の誉れを末代まで

  残しし君の雄々しさよ

二、錦かざりて帰るとの

  昔の例ひき出でて

  望の如く乞ひ得つる

  赤地錦の直垂を

  故郷のいくさに輝かしし

  君が心のやさしさよ

 

一番は、老齢になったとは言っても、武門の名誉を朽ち果てさせまいと、白くなってしまった髪の毛や髭を墨で染め、若い者に交じって戦い、末代まで残した武人らしさをうたいます。

二番は、彼が着ていた錦の直垂の物語です。

生まれ故郷の越前に錦を飾り散ったのです

 

スイッチをおすと、メロディーが流れるはずです。

あれ、流れません

 

じゃあ、お寿司でも買ってそこらでたべましょう。

ここの名物は、大きないなり寿司なのです

あれえ、本日売り切れですって

 

(つづく)

 

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