黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

蔵王大権現だった御嶽大神社

2020-10-18 20:36:26 | 埼玉県

今朝の赤城山です。

なんとなく紅葉が始まったかな?

突き当たりを左に、さらに左に行って、ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場の方にお散歩です。

ヤギさん、どうしてるかな?

 

おや、親子3名そろい踏みです。

ヤギパパのみ鎖でつながれています。

ヤギママとボクはフリーです。

 

ママがひめちゃんたちに気づいて息子の前に駆け寄ります。

あたちの息子に手を出さないでね。

今朝は、ひめちゃんたちは、何故かヤギさんに興味が無いようです。

何故か、ひめちゃんは不機嫌です。

ひめちゃんは、闘病中のママと遊べません。

バイバイ、またね

山神橋を渡って、サマンサ坂にさしかかると、ひめちゃんの機嫌は直ったようです。

 

 

 

10月9日、中瀬神社に向かう途中、神社がありました。

暗い雨の日で、暗い参拝でした

記事にするか迷いましたけど、fukapediaの記事によって、残しておこうということになりました

 

「fukapedia 御嶽大神社(成塚)の由緒と沿革」です。

寛永三年(1626)成塚村の宝蔵寺の創立に当たり、吉野の蔵王権現を勧請したものという。当時の地頭遠山半左衛門は、蔵王権現を深く信仰し、自ら不動尊像を描きて奉納したものが、今に寺宝として伝わる。「蔵王大権現」ともいった。『新編武蔵風土記』に「蔵王社、村の鎮守なり」とある。明治七年、御嶽大神社に改称。

 

蔵王権現とは、ウィキペディアによると、

蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本独自の山嶽仏教である、修験道の本尊である。正式名称は、金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)。インドに機嫌を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金剛山寺本堂(ざおうどう)の本尊として知られる。

 

そうすると、ここには修験者がいたという事になります

修験者は、江戸時代には1つの村に1人いるくらい、よく居る存在だったという話を、聞いた事があります。

そして、普段は農業をし時には宗教活動をし、村のリーダー的存在だったとも聞きました。

修験者は、天台宗か真言宗の寺に属さなければならなかったともいいます。

成塚の宝蔵寺(ほうぞうじ)は、真言宗ですね。

 

そういえば、「山上氏家臣団の一覧」を創作したのも、天台宗善昌寺に属した修験者でした。

 

明治になって修験道が廃止されてしまって、彼らの果たしてきたことが忘れられてしまいました

彼らを抜きにしては、近世農村の本当の姿は分からないでしょう

 

 

(10月9日)中瀬神社を目指して走行中、神社があります

ちょっと寄って見ましょう。

村社御嶽大神社(みたけだいじんじゃ)とあります。

ここは、深谷市成塚町、成塚の御嶽大神社です。

 

fukapediaによると、祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと) 大己貴命(おほなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこのみこと)。(配神)大物主命(おおものぬしのみこと・旧琴平神社の神)

蔵王権現は、何処に行ったのでしょう?

 

しっとりとした参道です。

狛犬の胸が目立ちます

右の狛犬は、顔が欠けています。

でも、りっぱな大きいシッポです。

境内社にも階段があります

 

境内の一角には、成塚集落農業センターです

神社が地域の神社として生き残るためには、地域の人々が利用する建造物を設置することはとても有効な事ですね

 

蔵王権現は、役小角(えんのおずね)が、吉野の金剛山で修行中に示現したという伝承がある。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ、今でも吉野の蔵王堂にはほとんど同じ姿をした三体の蔵王権現像が並んで本尊として祀られている。(ウィキペディア)

そして、吉野山金峯山寺蔵王堂では、令和2年10月16日~11月30日まで、この秘仏本尊をご開帳しているそうです。

行きたいけど、ちょっと無理かな

でも、そのうちにチャンスがあれば行ってみたいものです。

「魔を破る青き異形の仏」蔵王権現、遠山半左衛門が深く信仰したのも納得です

 

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巨大な狛犬の中瀬神社

2020-10-16 21:03:26 | 埼玉県

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

おや、赤城山が雲海の中に浮かんでいるようです

 

小次郎パパとタバサねーちゃんが追い越して行きます。

赤城山の風景はまるで山水画のようです

 

ひめちゃんたちは、花いっぱい運動の高縄集会所を廻って帰ります。

花には種ができていそうです。

来年もきれいな花を咲かせてね

 

ひめちゃんは、なかなか花とコラボしてくれません。

 

ひめちゃんの後ろ、赤城山はますます雲海に沈んで行きます。

まるで、「頭を雲の上に出し」という感じです。

 

帰り道、二期咲き桜から、見た赤城山です。

何故か、先日桜はほとんど枝を切られていました

でも、残った花芽は、けなげに花を咲かせています

 

 

 

中瀬神社をナビに入れて、迷うことなく到着です

くるリンのバス停があります

 

二の鳥居の前に、かわいい狛犬です

 

右の狛犬です。

なんとなく愛くるしい

 

左の狛犬です。

こちらはしっかり雨に濡れています。

 

この奥に、原自治会館です。

自治会館とは、ひめちゃんちの方では集会所といっている場所と同じだと思います。

地域の集会所が、境内にあることによって、神社も維持しやすくなるのでしょう。

 

参道を振り返ります。

濡れた狛犬の丸い背中が目立ちます。

 

拝殿の前には、巨大な狛犬です

まるで神社を一身に背負っているような感じです

巨大すぎて、味気ないかな

ちょっと日本的でないようにも感じられます

 

拝殿には龍がいたと思いますけど、ちょっとボケボケ写真になってしまいました

 

さあさ、目指すは本殿の彫刻です。

金網どころか、ビニールトタンに覆われています

ほとんど見えません

 

横瀬神社にあった上州彫刻師集団系統図によれば、石川藤太郎豊光が中瀬神社の彫刻を担当しました。

残念、ほとんど見えずです

 

中瀬神社は、「古くは十五社大明神と称し、吉祥寺の持で、弁財天とその眷属である十五童子を祀っている。大正2年に、村内の神社を合祀して中瀬神社に改称した。」という事です。

どんな弁財天が彫られているのでしょう?

 

冷たい雨は、止みそうもありません。

上州彫刻師集団の活躍の足跡を確認不能でした

 

「深谷市指定文化財 中瀬神社本殿」のポールが、ちょっと寂しそうです

上州彫刻師集団系統図によれば、かつての別当寺・吉祥寺にも、上州彫刻師集団の活躍の足跡があります。

近いうちに、訪問しましょう

 

 

 

 

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新田勢が集結?・諏訪神社のカヤの木

2020-10-15 20:43:32 | 埼玉県

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと南の方にお散歩です。

ひめちゃんちの桂の木は、上の方から黄色くなり始めました

 

むむ、小学生の下校だ

何人かが、やって来ます

歩道脇に除けて、通過を待ちます。

怖いよう

早く行っちゃって

 

「こんにちは あのう、犬触っていいですか?」

「いいよ。でもこっちの子にしてね。」

おかあさんは、小次郎パパを差し出します。

ひめちゃんは、おかあさんの後ろで震えています。

子供達は、小次郎パパの頭をなでたり背中を触ったり、濃厚接触して去っていきました。

「バイバイ

 

帰り道、刈り取りの終わった田んぼには、まだマネキンがありました。

夕方は、ちょっと不気味です。

でも、ひめちゃんも小次郎パパも、全く反応しませんでした。

 

 

深谷市の天然記念物に諏訪神社の榧老木(かやろうぼく)があります。

所在地は高島595-1です。

生品神社を検索しているとき、諏訪神社のカヤの木を目指して、新田勢の援軍が来た話がありました

そして、摂社諏訪神社(字諏訪之木)とありました。

高島の諏訪神社は生品神社の摂社(本社と末社の中間の位置)かな?

新田義貞の進軍については諸説ありますけど、このカヤの木を目指して、新田勢が利根川を渡ってやって来たという伝承があるのです

新田郡出身のひめちゃんちのおかあさんは、どうしてもこのカヤの木に逢っておかなければなりません

 

国道17号線(上武道路)を世良田で降りて上武大橋を渡り、中瀬の信号で左折、暫く行って五差路を北に行けば、難なく到着できるはずでした。

ところがうっかり世良田で降り損ない、新上武大橋を渡ってしまいました

しばらくして、こりゃ大変だ

コンビニに寄って、「高島595-1」をナビを入れます。

本来の国道17号線に出て、南から回り込みました。

ストリートビューで見た五差路に出ました

北に進路を撮ると、右に大きな木が見えます。

 

やっと到着です

諏訪神社、ちょっと寂しい感じです。

一応幟は上がることもありそうですけど。

 

確かに大きな大きなカヤの木です

「榧老木」のポールだけがあります。

深谷市のHPによると、「樹齢1200年以上、根回り14メートル」とあります。

今までに訪問した中で、一番古いことになります

 

樹齢の長さを感じさせる幹です

 

おや、木の下に庚申塔です。

三猿もはっきり分かります。

そんなに古くはなさそうです。

 

カヤの木の方は、古い

 

このカヤの木は、一見2本の木に見えます。

でも、落雷により2つに割れ燃えて、根元から2つの幹がでているということです。

 

往時はさぞかし遠くから見えたことでしょう

ナビなどない時代には、大きな役割を果たしていたことでしょう

どこかで雌木とみたような気もしますけど、実がありませんね。

超高齢のおばあちゃんですものね。

何時までも長生きしてくださいね

 

何もない諏訪神社の空間です。

ちょっと座ってみる勇気が出ませんでした。

 

さて、帰りがけに近くの中瀬神社に寄っていきましょう。

上州彫刻師集団の作品があるということですね

 

 

 

 

 

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新田義兼開基・横瀬の華蔵寺

2020-10-13 18:29:44 | 埼玉県

ひめちゃんと獅子丸は、通学の小学生の集団に遭遇してしまいました

ひめちゃんは、やっとのことで岩神沼に到着です。

ああ、怖かった

行っちゃってよかった

 

すぐ上の摩崖仏も寄って行きましょう。

彼岸花、どうなったかな?

もうしっかり終わってます。

あれ、見返り獅子くんの前の彼岸花は、もう新しい葉が出ています

来年花を咲かせるエネルギーを、もうう蓄え始めています

獅子くん、体柔らかいね

 

帰り道、小次郎パパとタバサねーちゃんに逢いました。

先に帰ってるよ

 

 

華蔵寺(けぞうじ)の山門です。

仁王様がいます。

 

仁王像の前に、龍もいるおおきな手水鉢です

説明板もあります。

あれ、新しくなったかな?

きれいに見よくなりました

華蔵寺は真言宗豊山派の古刹で、建久二年(1194)新田義重公の三男、新田義兼公(新田家第二代)の開基、弘道上人の開山と言われています。南北朝時代に祐遍和尚が中興し、新田家代々の武運長久祈願の道場として知られています。

利根川の南でも、新田荘横瀬郷だったのですね

「新田荘田畠在家注文」という、岩松持国が足利成氏に、新田荘内所領の安堵を求めた文書の写しがあります。

「よこせの郷 畠三丁五反 在家二う」、これが平安末期の新田荘の実態を示すものだそうです。

(久保田順一著『中世武士選書18新田義重』)

 

所蔵文化財の中に、島村の金井烏洲(かないうじゅう)の屏風もあります

島村はすぐそこです。

先日、金井烏洲の墓も訪ねました

 

山門には、霊場の文字があります。

御朱印が有ります

 

本堂の脇に、何やら表示があります。

子爵渋沢栄一手植えの松です。

二代目とあります。

 

本堂には、上州彫刻師集団の活躍はなかったようです。

 

本堂脇で、おじさんが何か騒いでます。

「石臼のパーツだ

確かにそのようです。

粉を挽く必要があった時代もあったのです。

でも、なぜこんなに?

 

庫裏で御朱印を頂きます。

一緒にいただいたお寺の案内に、ご本尊の写真があります。

 

美術館の方にありそうです。

美術館は、また今度にします。

ありがとうございます。

 

駐車場に戻ります。

赤い大日堂が見えます。

新田義兼の守り本尊という大日如来は、本来はあそこにあったのです。

あの大日堂の裏に、新田義兼の墓があります。

今回はパスです。

六地蔵と道祖神に見送られて、ひめちゃんたちの待つおうちに急ぎます

 

 

 

 

 

 

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上州彫刻師集団の活躍(横瀬神社)

2020-10-12 21:36:22 | 埼玉県

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

今朝の赤城山は、緑に見えます。

岩神沼を通って、上の新沼まで足を延ばしました。

岩神沼には、カモさんが 1 羽だけいました。

ひめちゃんは、小学生の通学の列に遭遇してしまいました

でも、道ばたに除けて、おはよう

なんとかやり過ごしました。

久しぶりに、影のあるお散歩になりました

 

この道標を曲がると、新沼です。

北・梨木(なしぎ)だったと思います。

梨木温泉に行く道だったのです。

もう少し先には、板橋の百足鳥居(むかでとりい)もあります。

かつては、赤城山に登る道があったのでしょう。

 

さて、何かいるかな?

いました

アオサギとシラサギです。

サギの姿は久しぶりです

さて、早く帰って朝ご飯にしましょう。

 

あれ、突然、獅子丸はハンターに変身です。

何故か、猫を見るとハンターに変身します。

 

 

立岩寺から迷うことなく華蔵寺の駐車場に到着です。

まず、隣の横瀬神社を参拝です。

こんにちは

お久しぶりです。

あれ、こんないかめしいお子様をお連れでしたか?

こんなに大きなお口を開いていましたっけ

 

説明板があります。

建長年間(1249~56)に土地の豪族・横瀬三郎為清が創建し、建武年間(1334~36)に新田義貞の孫、国寿丸が再建したと伝わっています。

ここは、後の金山城主・横瀬氏(由良氏)の名字の地なのですね。

【本殿】 安政7年(1778)、岩瀬求馬正藤原治賢を棟梁として建立されました。前原藤次郎とその一門により、手の込んだ先進的な彫刻が施されています。

前原藤次郎とその一門、彼らは上州彫刻師集団なのですね。

 

上州彫刻師集団の系統図もあります。

2年前に来た時もありました。

ほとんど劣化していません。

印刷物だと思いますけど、取り替えているのかな?

赤字の人の作品が深谷市内にあるのですね。

そのうちに、訪れましょう。

でも、なぜか隣の華蔵寺は彫ってませんね

 

手水舎が見えてきました。

その彫刻は、さきほどの系統図だと、八代目小林芳雄の作だとありました。

木から掘り出したのですね

 

本殿目指します。

灯籠がいくつもあります。

拝殿前に、こんどはクラシックな小さな狛犬です。

こちらは、子供がいません。

口もあんまり開けていません。

 

拝殿も、なかなかみごとな彫刻です。

さっきの説明板に、

文化6年(1809)に建立されたものの、なんらかの事情で失われ、明治32年(1899)に再建されました。

彫刻等細部に本殿の得意な技法や意匠を受け継ぎ、文化年間の部材も再用され、技術や地域的特質が明治になっても継承されたことを示しており貴重なものです。

 

本殿は、金網で覆われています。

色があったら、どんなにかみごとなものだったでしょう。

でも、細かいところまでよく彫ってある

 

上州彫刻師集団の本拠地は、渡良瀬川の上流、花輪・萩原・上田沢などの勢多郡東村(あずまむら)、今のみどり市東町です。

勢多郡東村、輝いて攻めの時代があったのです

 

 

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