黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

案山子に引かれて三島神社

2022-05-02 16:11:30 | 群馬県・東毛

昨日の冷たい雨はあがりました。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

あれ、浅間山が白い

寒かったわけだね。

お散歩中、ずっと白い浅間山が見えていました。

 

 

 

4月16日、薮塚本町歴史民俗資料館をめざします。

薮塚温泉(やぶづかおんせん)入口に、大きな案山子(かかし)があります。

そういえば、薮塚が小玉スイカの発祥地ということですね。

あれ、もう一名大きな案山子が見えます。

あの案山子に逢いましょう

 

田んぼ中の細道をたどります。

突然、神社に出ました

三島神社です。

この神社の境内と周りには、縄文時代や古墳時代の住居跡があり、社殿の下からは子持ち勾玉も出土しています。これらのことから、ここは古くからの信仰の場所だったのかも知れません。

三島神社の勧請年代は不詳ですが、新田義重の孫良房が建久年間(1190~1199)に伊豆国(静岡県)の三島大社から勧請したと言われています。また元弘二年(1333)、新田義貞が鎌倉攻めの旗揚げをした時、一族の長岡氏がこの神社に戦勝祈願したと言われています。その後、新田氏が衰えたため、神社荒れ果ててしまいました。

寛政四(1792)年、村民が協力して祝詞と幣束を受け復興しました。

道祖神もあります。

こんな形の道祖神初めて会いました

合掌

 

鳥居をくぐってすぐに、

「伊豆官幣大社三島神社分神、義貞公鎌倉討入時祈願所」ですって

 

駒犬さんも、クラシックでいい感じです

 

なんともかわいい駒犬の子どもです

 

拝殿で2礼2泊1礼です

 

拝殿脇には、合祀されたたくさんの石宮様です。

 

拝殿右斜め前方には、貫禄のある青面金剛です

 

本殿もしっかり作られています。

 

ふと視線を感じて、社殿東の森を見ると、猫さんです。

森に住んでるのかな?

さようなら

 

神社前の道に戻り、少し行くと、彼がいました

彼は神社すぐ東の公園にいたのです

 

(つづく)

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牡丹ハイヌーンが満開・妙満山大慶寺

2022-04-30 13:55:15 | 群馬県・東毛

風の冷たい朝でした。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、岩神沼に到着です。

風を受けて、さざ波が冷たそうに立ってます。

 

岩神さま(高縄の摩崖仏)裏を通って帰ります。

たくさんの石造物と、古墳の葺石と思われる小石がゴロゴロです。

 

 

 

昨日、実家の墓参の帰り、大慶寺(太田市新田綿打町)に寄り道です。

牡丹(ぼたん)、まだ咲いてるかな?

 

真っ赤な仁王門です。

脇には「綿打入道太郎為氏館跡」の指標です。

仁王様方、お久しぶりです

 

 

仁王門を抜けると、ぼたん園の案内図があります。

 

 

まずは不動堂に参拝です。

やっぱり閉まってます。

ぼたん祭だと、開け放たれているはずなんですけど。

不動堂の説明板です。

お姿がはっきり拝めませんけど、合掌

 

 

ぼたん園に入ります。

少し盛りを過ぎているようです。

でも、黄色い花・ハイヌーンは今が盛りのようです

まだきれいな皆さんもありますけど、黄色いハイヌーンが多いです。

 

 

本堂に参拝です。

合掌

 

この一角には、空海上人の像と鐘楼堂もあります。

あれ、オレンジの牡丹もあります

 

みごとな藤棚もあります

藤の房が長いです。

 

鐘楼堂の裏に、大慶寺由来です。

永暦元年(1184)、源義平「悪源太」没後その妻が父新田義重を頼り世良田郷に住み後綿打郷に移り義平の冥福を祈ると共に菩提を弔うため出家して妙満尼と也一庵を結びました。したがって妙満尼を開基とし山号を妙満山と称します。その後綿打入道の館となり、明徳五年(1394)空覚上人を小俣の鶏足寺より空覚上人を迎え館趾を喜捨し大慶寺を建立しました。空覚上人を中興開山第一世としており、以来五十世に至る間幾多の名僧を輩出しております。

 

綿打入道の墓が本堂の裏にあるとも書いあります。

そうだったんですか。

次回は是非、そこへお邪魔しましょう。

 

盛りが少し過ぎた牡丹の寺も、なかなかいいものです

 

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花盛りの大川調節池

2022-04-17 14:47:19 | 群馬県・東毛

ひめちゃん、大脱走です

「お散歩に出るよ」と、サークルのドアーを明けてもらった途端、ミニドッグランに突進

しばらく遊んでから、出発です。

おかあさんは、その間に実なり山椒発見です

実は去年、突然、実なり山椒の木が枯死してしまいました

通販で頼んでありますけど、まだ到着していません。

ちょっと窮屈そうだけど、しばらくこのままで置きましょう。

ひめちゃん、やっと御用になって出発です

モコモコひめちゃん、もうしばらく我慢してね。

シャンプーやさんの予約が、月末にやっととれました。

 

ひめちゃんは、タバサねーちゃんと、堀之内を北に出ます。

ひめちゃんは、突然あぜ道を入ります

用を足してお土産拾って、はいポーズです

 

この石仏は、移動すると祟ると言われています。

観音様のようだけど、何様だろう?

とりあえず、合掌

 

 

 

4月4日、既にない実家の前を通ります

気持ちを入れ替えて、新田のジョイフル本田を目指します

 

普段は通らない道を行きます。

あれ、いい景色です

重殿水源(じゅうどのすいげん)から流れ出た、大川とその調節池です。

 

調節池を覗いてみましょう

今日は、だいぶ水が入ってます。

 

ここにかかる橋は、「まほろばはし」です。

 

「まほろばはし」南側の景色です。

カモさんの姿があります

 

「まほろばはし」北側の景色です。

あの不思議な形の橋は、先日渡って、付近を探検しました

 

「まほろばはし」をじっくり見ます。

この武者は新田義貞かな?

『太平記』の一場面かな?

新田氏の大中黒が見えます

これは、旧新田町のマークです。

銀杏のようにも見えるけど?

よく分かりません。

 

 

さて、「まほろばきたはし」に回り込みます。

少し前に、あの不思議な橋を渡って、ここら辺を探索しました。

 

大川調節池にかかる、不思議な形の橋のたもとです。

桜が満開です

それでは、ジョイフル本田でお買い物して帰ります

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惟喬親王伝説の里・その3(天王山長岡寺)

2022-03-21 19:52:29 | 群馬県・東毛

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東から高縄の摩崖仏に回り込みます。

ひめちゃん、モコモコが始まりました。

しばらく換毛で、モコモコが続きます。

タバサねーちゃんも始まりそうだね。

高縄の摩崖仏、今朝は阿弥陀三尊がはっきり見えます

 

岩神沼のほうに下ります。

沼の上方の湿地には、やっぱりアオサギさんがいました

ひめちゃんたちに気づいて、飛び去っていきました。

 

先日抜糸が済んだ小次郎パパ、少し元気になってきました。

背中の毛が、早く生えそろうといいね

 

 

 

都合で翌日(2月27日)、惟喬親王伝説の里・天王山長岡寺(太田市西長岡町)を訪問です。

 

南から入ります。

左の門柱の脇に、三尾稲荷大明神・長光開眼薬師如来と案内があります。

神仏習合しています

そういえば、新田(太田市)では、廃仏毀釈はほとんどなかったという話も聞きました。

 

右の門柱には天王山です。

 

 

まず門を入って左にある三尾稲荷大明神に参拝です。

鳥居がなんとなく惟喬親王宮に似ています

けっこう貫禄ある、駒犬ならぬ駒狐さんです

失礼します。

2礼2拍1礼です

 

 

さて、お寺の方に歩を進めます。

また、門柱です。

 

その奥にクラシックな山門です

山門には、これまたクラシックな方々です

合掌

 

 

山門をくぐって、左に見えるのが、長光開眼薬師如来かな?

左手に薬壺をお持ちのように見えます。

合掌

 

 

本堂前でも、合掌

 

 

庫裏に寄って御朱印を頂きたいところですけど、時節柄そしてあまりに静まり返った境内なので、遠慮しておきましょう

 

長岡寺のHPによると、

大胡城主益田茂政公が、その子繁俊公を伴い、当地に移り住み、長岡寺を菩提寺としました。その頃、文明13年(1481)。以来、法灯を護り今日へと引き継がれております。

 

文明は、あの戦国時代の幕開け・応仁の乱(1467-1477)があった応仁の次の年号です。

普通に考えると、大胡城が落城して逃れてきたというふうに思えますけど

大胡城主・益田茂政、知りませんでした

獅子丸の元養家のご先祖様・山上郷右衛門顕将も大胡城主だったことがあるとかいいます。

 

大胡城主・益田茂政、これから気にしていきましょう

 

 

『桐生老談記』の作者・高橋守行(たかはしもりゆき 1716-1766)は、領主からここ長岡村と隣の菅塩村の管理を命ぜられていたといいます。

もしかしたら、長岡寺に寄ったことがあるかも知れませんね。

隣の菅塩村(太田市菅塩町)にも、そのうちに足を運んでみましょう

 

 

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惟喬親王伝説の里・その2(若宮八幡宮&ビオトープの里&菅原神社)

2022-03-19 14:21:26 | 群馬県・東毛

小次郎パパは、背中の瘤を手術してから2週間が過ぎました。

今日、動物病院に行って抜糸してきました

 

タバサねーちゃんは、朝から出かける意欲満々でした。

パパだけお出掛けに、不満です。

パパが帰ると、「あたちもお出掛けしたい

「じゃあ、ちょっとドライブしようか

北を目指し、国道353号線沿いの新里農産物直売所に寄ります。

あたちは、お出掛け大好きです

みんなの大好きなキャベツを買います。

 

国道353号線を西に走り、適当に左折、ひめちゃんちを目指します。

あれ、室沢棚田ビオトープですって

子供達用です。

そういえば、はるかな昔・子どもの頃、こんな環境で友達とよく遊んだものでした

 

 

 

惟喬親王宮から左折して、ローカルな道を進みます。

 

まもなく、人家の間に若宮八幡宮です。

隣家のロウバイが、きれいに咲いてます。

あれ、鳥居は平成元年に奉納されたのです。

惟喬親王宮と同じ年です

感じもよく似ています

 

こじんまりとしたお宮です。

鏡はあるけど、石宮の方がご神体かな?

2礼2拍1礼です。

 

 

さらに道なりに下ると、ビオトープの里ですって

いかにもホタルが出そうな雰囲気です

 

 

右(西)側には、潅漑用かな、3沼です。

でも、ぶっそうな警告があります

まむしが出るのですか

ビオトープの里のそばに、まむしの出る沼があるのです

気をつけましょう

 

 

沼の西に、神社があります。

菅原神社です。

黄色い賽銭が、箱めだちます

命名の名残があります。

現役で活躍中のようです

 

 

ビオトープの里の南にお寺があります

寄ってみましょう

 

 

 

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