黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの成満院訪問記

2022-01-25 15:36:31 | 小平川紀行

朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内の北の方を廻ってきました。

赤城山は、うっすらと白いです。

田んぼの淵に、早くも菜の花が咲いています。

でも、ひめちゃんは興味を示しません。

アブラナでないとおいしくないのかな?

 

浅間山の雪は少し溶けているかな?

 

散歩中ずーっと有明の月が見えていました。

おうちに帰って、ロウバイの花の向こうにも見えます。

このロウバイの木は、友人のお母さんが種から育てたものです。

我が家でも、ロウバイの種をまいてみましたけど、未だに発芽はありません。

 

 

 

1月17日、白柴タバサちゃん、成満院訪問です。

初めての訪問で落ち着きません

こんにちは

シエルテイのボクにご挨拶です。

ごめんね、名前を聞いたのに覚えられませんでした。

 

もうじき10才ということです。

ひめちゃんと同世代です

やっと一緒に笑顔になりました

 

 

おかあさんは、成満院の役行者(えんのぎょうじゃ)さまにご挨拶です。

実は、本日の第一目的は、役行者(えんのぎょうじゃ)さまにもう一度お逢いしたいと言うことです。

先日は盛りだくさんの仏様にお逢いして、ちょっと役行者の記憶が曖昧だったのです。

成満院は修験のお寺です。

役行者は修験道の祖と言われます。

 

こんにちは

暗いところ撮影モードにしても、はっきりとはお姿を見せてくれません

シャイなお方かな?

かなり個性的な役行者像です。

合掌

 

 

さて、かつては成満院が祭祀に関わっていたという八王子神社に寄っていきましょう。

近くまで車で行けると聞いて、心細くも進みます。

 

グーグルの地図もここを示し、スマホナビも「目的地に到着しました」と言います

ここら辺ですけど、御堂も鳥居も見えません

人家の側に後ろの山に登る階段があります。

でも、人家の庭経由だよ

 

戻って成満院で聞きます

Uターン場所を話すと、「その反対側、少し手前に水道の施設があって階段があるよ。役行者と青面金剛の石像があるよ。猿や鹿も出るよ。」

「そうなんですか

タバちゃん、ちょっと疲れたね。

また後日、捲土重来を期しましょう

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本覚院の記憶(小平・成満院のもう一つの顔)

2022-01-21 21:06:23 | 小平川紀行

寒い寒い朝でした。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内の北の方をお散歩です。

赤城山が見えません。

 

道路には雪はありませんけど、田畑はまだうっすらと白いです

 

赤城山は、吹雪いているようです。

 

先住犬の墓標、ミニ地蔵もうっすらと雪化粧です。

合掌

 

 

 

 

成満院の不動堂の額の隣に、御詠歌らしきものが見えます。

ちょっと読めません。

小平観光ガイドの会のパンフレットで確認です。

 

準四国八十八番札所は検索しても、全く資料が見つかりません

 

『大間々町誌基礎資料Ⅺ 大間々の社寺』にだけ、少し資料があります。

準四国八十八番札所も、宝暦五年(1755)阿左美の光明庵良伝ら四か寺の住職が願主となって設定された。大間々町内では、つぎの十三か所があり、庶民の信仰文化普及を示している。

四十五番大間々栄福寺 不動明王 準豫州(愛媛県)岩屋寺

四十七番大間々原堂  阿弥陀如来 準豫州八坂寺

三十九番大間々光栄寺 薬師如来 準土佐国(高知県)寺山院

二十八番桐原良源寺  大日如来 準土佐国大日寺

十番 大間々能説院  馬鳴菩薩 準阿波国(徳島県)切幡寺

四十四番浅原村禅桂寺 正観音  準豫州菅生山十一面尊

三十一番浅原日輪寺  文殊菩薩 準土佐国五台山文殊菩薩

六十四番浅原村持宝院 不動明王 準豫州石鎚山阿弥陀如来

三十七番浅原村満光院 不動明王 準土佐国仁井田村五社

八十三番小平村本覚院 不動明王 準讃州(香川県)一官正観世音

七十八番小平村正福寺 阿弥陀如来 準豫州道成寺

三十五番小平村円光寺 薬師如来 準土佐国清瀧寺

六十六番高津戸自音寺 十一面観音 準豫州雲辺寺

 

八十三番小平村本覚院、ここです

この家では、大間々町誌基礎資料にも、たくさんの本覚院関係の文書を成満院で提出しています

庶民の札所巡りの一面も持っていたのです

 

 

大間々能説院の霊場本尊は、馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)ですか。

先日の訪問では、馬鳴菩薩を確認していません。

又そのうちに訪問してみましょう

 

 

右のアンテナの向こうの山が八王子山だそうです。

かつて祭祀に成満院が関わっていた、八王子神社があるそうです。

そのうちに行ってみましょう

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葵の御紋付水引き(成満院不動堂)

2022-01-20 19:45:05 | 小平川紀行

朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、久しぶりに新沼&童沢貯水池にまで足を延ばしました。

東の新沼に、サギさんがいるみたい

シラサギ2羽&アオサギ1羽です。

黒いカモさんもいるようです。

アオサギは、まもなく飛び去っていきました。

 

西の童沢貯水池はどうかな?

あれ、水がずいぶんと少ない

誰もいません

 

東に戻ると、アオサギさん戻っています。

やっぱり、今はここが一番居心地がいいのかな

 

 

 

 

小平(おだいら みどり市大間々町小平)の成満院で、楠木正成の持仏という毘沙門天を拝ませてもらいました

 

その時、不動堂になんと黄金色(?)の「葵のご紋」が落ちていました

その紋は、常陸府中藩松平家の紋だそうです

今では内陣正面の破れかぶれの水引きです

ご本尊のお不動様、その他大勢の仏様です

何度か学術的調査が入って、今の形に並べられたそうです

この葵の御紋付き水引きは、明和元年(1764)に、常陸府中藩の松平播磨守母の妙定院の寄附によるものだそうです。

水引きの裏面に、次のような墨書があるそうです。

(「みどり市観光ガイドの会」のパンフレットより)

このことから、不動堂の建立は、明和元年頃かと推定されていると言います。

 

でも、どうして常陸府中藩の松平播磨守のおかあさんが葵のご紋付きの水引きを寄附してくれたのでしょう?

領主・甲斐庄(かいのしょう)家との係わりの深い修験の寺に葵のご紋付きの水引きを寄附してくれた方は、もしかしたら甲斐庄家出身の方でしょうか?

 

 

ミニのチャンチャンコがたくさん掛かってます

「みどり市観光ガイドの会」のパンフレットによれば、

子どもの着るチャンチャンコ(ミニチュア)がたくさん竹の棒に懸けてある。当院に安産祈願を誌に着た妊婦が、安産を願いチャンチャンコを借りていき、無事に子どもが生まれたら新しいチャンチャンコを作って併せて奉納する習わしがあった。

庶民のための里修験の顔も持っていたのですね

 

(つづく)

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楠公殿守本尊・毘沙門天(小平・成満院)

2022-01-19 20:35:30 | 小平川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

アチャ、黄色い帽子の集団だ

急遽、脇道に避難です。

天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。

浅間山がきれいです

振り返って、赤城山です。

中央の地蔵岳、真っ白です。

 

堀之内に戻ろうと回り込むと、まだ遅れて通学の子どもです

ひめちゃん、ちょっと緊張気味です。

庚申塚古墳を通って帰ります。

 

双体道祖神、目立ちます

 

 

 

先日、成満院の円空仏は、拝ませてもらいました

 

でも、成満院には楠木正成の守り本尊の毘沙門天があると言います。

是非、拝ませてもらいましょう

1月10日、ちょっとお邪魔します

 

こんにちは

おとうさん・おかあさんいるかな?

 

運良く、ご夫妻ご在宅でした

さっそくご対面です。

「甲斐庄大和守保管」の文字が見えます。

楠公殿守本尊・毘沙門天です

合掌

 

『大間々町誌基礎資料Ⅵ 大間々の社寺』に 「明治43年11月30日、成満院毘沙門天・観世音両像下渡願 甲斐庄楠香殿へ差し出す」という文書があります。 

文書には、「而シテ該毘沙門天ハ御遠祖楠公ノ御守護セラレタルモノニテ、江戸表ハ常々火災ノ虞アルヲ以テ当院ヘ御預ケニ相成リタルモノト古老ノ口碑ニ伝ハリ居リ候」とあります。

 

でもどうして、成満院に預けたんでしょう?

甲斐庄氏は小平の領主だったのかな?

甲斐庄楠香殿って、だれだ?

 

色々検索すると、ウィキペディアに、

甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと 1894〈明治27年〉12月13日 - 1978年〈昭和53年〉6月16日)は、大正時代の日本画家、昭和20年代 - 30年代の風俗考証家である。本姓は「甲斐荘」。兄に高砂香料工業創業者である甲斐庄楠香(かいのしょうただか)がいる。

甲斐庄氏は楠木正成の末裔を自称した一族で、江戸時代に徳川光圀の推挙で9500石の大身旗本となった裕福な武士であった。

 

そうだったんですか

 

『大間々町誌通史編上巻』p310

その後二十年を経た天和二年(1682)、窮迫化する旗本の救済と将軍の権力基盤を固めるため、幕府役職者の手当である役料をを家禄に繰り入れて地方知行高に加算する方針を打ち出した。これが五代将軍綱吉による「役料地方直し」であった。この時、大間々町域知行地を与えられた旗本は次に掲げる七人であった。

 そしてその中に、いました

甲斐庄飛騨守正親、知行地は小平村・高津戸村です

 

小平には楠木正成の愛馬を祀った岩穴観音もあります。

小平に、楠木正成伝説があるのも、なんとなく納得です

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県道334号線の終点

2021-12-28 19:57:40 | 小平川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、鏑木川沿いに歩いてきました。

今朝は、上の方から岩神沼を目指します。

赤城山は吹雪いています。

黒いカモの親子の姿もありません。

 

 

 

円空さんは、小平を通って日光に行ったといいます。

たぶん県道334号線沿いの山道を行ったのでしょう。

334号線、山道でしょうけど、県道だから大丈夫でしょう。

行ける所まで、行ってみましょう。

 

(11月29日)小平の大杉を過ぎて、心細く進みます。

岩穴観音を過ぎると、いっそう心細くなります。

 

 

しばらく行くと、景色のよい駐車スペースのある所に出ました

バス停があります。

こんな山奥にまで、ちゃんと住民の足が確保されているみどり市はすばらしい

ひめちゃんちの新里村のバス路線は、桐生市に合併と同時に廃止されてしまいました

デマンドタクシーがあると言うけれど、特定の人がいつも利用していて、必要なときに利用不可能だそうです

生涯運転免許返納出来ないね

 

 

さて、もうひとガンバリです

 

 

だいぶ道幅が狭くなってきました

でも、いい景色です

 

細い流れですけど、ちゃんと小平川です。

 

 

しばらく行くと、石造物群が出現です

 

行く手に人家が見えてきました。

大きな農家の雰囲気です。

県道334号線は、突き当たりを右です。

 

右折すると、「この先林道 落石注意」です。

「林道小平座間線起点」です

今までの道とさほど変わらないように見えます。

でも成満院で、「普通車だとちょっと難しいかも 落石の危険もあるし

行った事あるのかな?

この道は旧勢多郡東村(みどり市東町)の「ふるさと童謡館」の所に出るそうなので、上(ふるさと童謡館の方)から攻めましょう

 

 

左上を見ると、何様かおいでのようです

ちょっと険しすぎて、到達出来ません

場所柄、十二様(山神様)かな?

遠くからですけど、2礼2拍1礼です

 

 

左の付近には、石造物です

 

後ろの如意輪観音と何様かな?

三面の上に馬の顔、馬頭観音ですね

 

前列左側のお二方です。

青面金剛と馬頭観音ですね。

2体の馬頭観音、こった同じような造りです

 

 

もう一度、林道の入り口を確認です

円空さんは、たぶんこの道を歩いて行ったんですね

無理をせず、上から攻めてみましょう

 

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