曇り空の朝です
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。
久しぶりに、高台の中央を南に下ります。
日が差してきました
暑くなってきたよ
角のナス畑では、外国人の人達がナスの収穫作業をしてるはずだけど、だーれもいません
でも、収穫カゴやビニール合羽、長靴、マスクなどが干してあります。
雨の降っている早朝に、雨に濡れながら作業をしたのかな?
「日光へ脇往還・大胡道」(日光裏街道・大胡道)の、国道50号線小島田信号付近の地図です。
29番が小島田のみちしるべ、30番が仁治元年小島田の供養碑です。
30番・小島田の供養碑を探します。
大きな道沿いではないようなので、ストリートビューをしつこく見つめて事前学習です。
付近に駐車場はないので、路上駐車で駆け足で訪問です。
見当をつけて、裏から回り込みます。
どうも個人のお宅のような感じもしますけど、大丈夫かな?
道路側に階段があって、訪問者を受け入れてくれてます
こんにちは
格子戸越しですけど、しっかり対面できます
阿弥陀如来と左右の梵字で、阿弥陀三尊を表しているそうです。
台座に碑文があるということですけど、見えません
まあとにかく合掌
アカの他人のおばさんの訪問を、受け入れくれたんですものね
説明板もしっかりあります。
この供養碑は、仁治元年(1240)に、橘清重(たちばなのきよしげ)が幼くして逝った息子の極楽往生を願って建立したのです。
所在地は、「前橋市小島田町大門跡530」です。
「大門跡」とは、不思議な、意味ありそうな地名です
「官報えいめい」2018年5月15日発行(前橋市永明公民館)に、「上杉謙信と長明寺・阿弥陀様」(寄稿者 小島田町生涯学習奨励員・橋本利通さん)がありました
引用させていただきます
天皇制の確立期であった西暦701年に制定された大宝律令によって小島田は集落の南側・古利根川の北岸段丘上に昔の国道東山道(滋賀から群馬・東北地方)が建設されて繁栄していたと推測されます。その名残は法務局で土地の登記謄本を取り寄せてみると小島田に八日市という地名が記載されていることからも伺い知れます。小島田の中心部に戦国時代に廃寺となった長明寺という大寺院があり、大門跡に群馬県最古の阿弥陀如来の板碑がありその下部に橘清重という人物が仁治元年(1240)に亡き息子の極楽往生を願う碑文を遺しております。戦国時代に当地を治めていた上杉謙信が武田信玄と戦った時に再建を約束して寺院を燃やしたが再建されませんでした。
そうだったんですか
大門跡の地名も納得です
長明寺の大門跡なのですね。
上杉謙信は再建してくれませんでしたけど、今も阿弥陀様は大切に保存され、訪れる人びとを受け入れています
800年近く経っても、人びとを受け入れているのは、すばらしいことです
この古利根川の北岸とは、国道50号線の南の辺りでしょうか?
桃ノ木川に架かる観音橋の付近に、義経が奥州へ下るとき腰掛けたという「義経の腰掛石」があります。
東山道(あずま道)の記憶です
小島田は東山道が通って繁栄していたんですね
(2021.3.9投稿、2021.8.10改稿)