黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道総集編15(長明寺大門跡の小島田の供養碑)

2023-08-10 11:24:19 | 日光裏街道総集編

曇り空の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。

久しぶりに、高台の中央を南に下ります。

日が差してきました

暑くなってきたよ

角のナス畑では、外国人の人達がナスの収穫作業をしてるはずだけど、だーれもいません

でも、収穫カゴやビニール合羽、長靴、マスクなどが干してあります。

雨の降っている早朝に、雨に濡れながら作業をしたのかな?

 

 

 

 

「日光へ脇往還・大胡道」(日光裏街道・大胡道)の、国道50号線小島田信号付近の地図です。

29番が小島田のみちしるべ、30番が仁治元年小島田の供養碑です。

 

30番・小島田の供養碑を探します。

大きな道沿いではないようなので、ストリートビューをしつこく見つめて事前学習です。

付近に駐車場はないので、路上駐車で駆け足で訪問です。

 

見当をつけて、裏から回り込みます。

どうも個人のお宅のような感じもしますけど、大丈夫かな?

道路側に階段があって、訪問者を受け入れてくれてます

 

 

こんにちは

格子戸越しですけど、しっかり対面できます

阿弥陀如来と左右の梵字で、阿弥陀三尊を表しているそうです。

台座に碑文があるということですけど、見えません

まあとにかく合掌

アカの他人のおばさんの訪問を、受け入れくれたんですものね

 

説明板もしっかりあります。

この供養碑は、仁治元年(1240)に、橘清重(たちばなのきよしげ)が幼くして逝った息子の極楽往生を願って建立したのです。

所在地は、「前橋市小島田町大門跡530」です。

「大門跡」とは、不思議な、意味ありそうな地名です

 

 

 

「官報えいめい」2018年5月15日発行(前橋市永明公民館)に、「上杉謙信と長明寺・阿弥陀様」(寄稿者 小島田町生涯学習奨励員・橋本利通さん)がありました

引用させていただきます

天皇制の確立期であった西暦701年に制定された大宝律令によって小島田は集落の南側・古利根川の北岸段丘上に昔の国道東山道(滋賀から群馬・東北地方)が建設されて繁栄していたと推測されます。その名残は法務局で土地の登記謄本を取り寄せてみると小島田に八日市という地名が記載されていることからも伺い知れます。小島田の中心部に戦国時代に廃寺となった長明寺という大寺院があり、大門跡に群馬県最古の阿弥陀如来の板碑がありその下部に橘清重という人物が仁治元年(1240)に亡き息子の極楽往生を願う碑文を遺しております。戦国時代に当地を治めていた上杉謙信が武田信玄と戦った時に再建を約束して寺院を燃やしたが再建されませんでした。

 

そうだったんですか

大門跡の地名も納得です

長明寺の大門跡なのですね。

上杉謙信は再建してくれませんでしたけど、今も阿弥陀様は大切に保存され、訪れる人びとを受け入れています

800年近く経っても、人びとを受け入れているのは、すばらしいことです

 

 

この古利根川の北岸とは、国道50号線の南の辺りでしょうか?

桃ノ木川に架かる観音橋の付近に、義経が奥州へ下るとき腰掛けたという「義経の腰掛石」があります。

東山道(あずま道)の記憶です

小島田は東山道が通って繁栄していたんですね

 

 

(2021.3.9投稿、2021.8.10改稿)

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日光裏街道総集編14(扉の向こうの阿弥陀如来坐像)

2023-08-05 21:50:05 | 日光裏街道総集編

2021年の8月、ひめちゃんは、朝は基本的に獅子丸とお散歩していました。

堀之内を北に出て、よく岩神沼に行ってました。

帰りは、そのまま南に下り、葛塚城堀切の跡を歩いていました。

ところが、ある朝の帰りに草むらに足を入れたひめちゃんは、何かに噛まれてしまいました

たぶん、マムシかな?

何とかおうちに帰り動物病院に行って、注射をしてお薬をもらいました。

あのとき、動物病院が休診だったりしたら命にかかわったかも知れません

それ以来、20年来の堀之内の堀切跡を北に出るお散歩コースとは、さよならしました

いいコースで、みんな気に入っていたんですけど。

犬生、いろいろあります。

 

 

 

小島田の道しるべを確認した後、隣の神明宮を参拝しました。

神明宮の隣は、小島田公民館です。

道の向こうにも、何かありそうです

閉じられた扉の向こうに、小さな墳丘が見えます。

史跡のホールと案内板も見えます。

小島田の阿弥陀如来坐像ですって

石仏はそこには見えないから、階段を登るのかな?

扉は、固く閉じられています

左の墓地を通って行けるかな?

墓地からの細道を見付けて、やっとたどり着きます

 

説明板を確認です。

高さ62.5cm、幅37.5cmの安山岩の阿弥陀如来坐像。地元では薬師と呼んでいるが象の形と印から阿弥陀仏と判断できる。光背の裏面の紀年銘に延徳5年(1493)とあるが、延徳は4年7月19日に明応と改元されている。この石仏が立っているのは、墳丘径6m、高さ1.8mの小円墳で鏡の出土が記録されている。

やはり、古墳なのですね

 

階段が造られています。

 

登り切ると、板碑です

小さいけれど、れっきとした板碑です

 

こんにちは

むこうには、小島田公民館が見えます。

前面台座にも、文字があるような感じです。

蓮華坐の模様は、はっきり分かりますね。

南無阿弥陀仏、合掌

 

板碑は緑泥片岩のようです

緑色がかってます。

秩父の山奥からやって来た石かな?

隣の白っぽい石は、何かの台座かな?

もしかして板碑の前に転がっているのは、台座の主の仏様?

合掌

 

あるかなきかの細道をたどり、公民館前戻ります。

ショッピングモール前の石仏群に、「小島田の道しるべ」がありました

 

大きな如意輪観音の影で、さっき気になった仏様にもう一度ご挨拶です

なんとなく、あの阿弥陀如来坐像に似た雰囲気です

蓮華坐に乗ってます

もしかして、こちらも阿弥陀如来?

後ろに、紀年銘でもあるかな?

まったく見えずでした。

でも、今回一番親しみを感じた石仏でした

また、お会いしましょう

 

 

 

遙か昔、1年だけですけど、小島田を通って高崎に通勤していた事があります。

何となく通っていた処のすぐ側に、こんな史跡があったなんて

気づくまで時間がかかったけれど、ご縁があったんですね

 

 

(2021.3.11投稿 、2023.8.5改稿)

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