昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

る・たん・あじるに行ってきた。

2014-11-08 07:25:05 | アート

新宿三丁目のシャンソン・バー『る・たん・あじる』に行ってきた。
実は先日、急に年来の友人が亡くなった。ただ最近、疎遠にしていたので消息がつかめない。弔いにも行けなかった。香華を手向けることもできない。そこで行きつけだったという新宿ゴールデン街の店で友人を偲んで飲もうかと思ったが、どうも開店が8時過ぎ頃らしい。これでは、早めに飲み始めて早めに切り上げるというオカブの行動規範に合わない。それに、今回は蒲田でのコンサートで手伝いに繰り出したかーたんと待ち合わせて、二人で行こうと思っていたのに時間が遅すぎる。そこで新宿は新宿でも3丁目の前から気になっていたこの店で呑むことにしたのである。
この店はライヴをやるのは毎週木曜でその他はバー・タイム。それでよろしい。今回は音楽を聴きに来たのではなく、友達を偲びに来たのだから。
ただし、話題はもちろんママさんとは面識のない友人のことではなく、ママさんが好きなパリのつれずれのこと。シャンソニエのラパン・アジルや治安のこと、美術館のこと、あるいは国内のシャンソニエやシャンソン歌手のことなどを取り留めもなく話す。
アブサンの杯を重ねるごとに興に乗ってくる。
オカブは7回ほどパリに行っている。ママさんとは話が弾むわけだ。かーたんはパリ行きなし。だからずっと押し黙っている。気を遣うのが煩わしいので適当な時間に店を出る。早めに切り上げるという主義に従ったわけだ。しかし、この店は明朗会計でいい店。また来よう。 
友人はパリを訪れたことはないがフランス文学にはとてつもない造詣をもっていた。オカブがシャンソンを伝授されたのはこの友人からだったし、おまけに底抜けの酒豪ときている。今晩は、手向けに酒を飲んだことで喜んでくれたことであろう。
一歩出た夜の街は年の暮れの様相を呈していた。

木枯らしや逝ける友へのウィスキー   素閑 



日本ハンディキャップ論を嗤う。

2014-11-08 06:45:30 | 国際・政治

『日本ハンディキャップ論』と言われても聞き慣れないという印象しか持たない方が大半なのではないか?
この言葉の元ネタは、1993年当時の外務次官、小和田恒氏が、東京蓺大学長の平山郁夫氏との対談で、今後の日本の進むべき道として語った中で、日本は平和維持国際貢献をするにあたって、軍事的貢献ではなく、経済的貢献によってなされるべきだとしたものである。これは前提として1991年に起きた第一次湾岸戦争のとき、橋本龍太郎政権が米のクリントン政権に差し出した135億ドルの経済的支援を念頭に置いていると思われる。
さて、『日本ハンディキャップ論』自体は、戦後間もない冷戦構造、及び日本国内の左翼平和主義のはざまの中で、当時の首相吉田茂が打ち出した『吉田ドクトリン』の継承に過ぎない。『吉田ドクトリン』 とは、日本の安全保障及び米国による国際安全保障に対して、日本は極力軍事的参画を行わず、経済支援を優先し、ひいては日本は軍事的大国を目指すのではなく、経済優先の政策を貫こうというものである。このこと自体は当時の日本の国力、置かれた国際的・地政学的環境、安全保障上の脅威とそれに対する米国軍事力の関わり、国際社会の日本に対する認識等々を勘案してその時代においては妥当な策であったと考える。当時、『武装・完全独立国家』を目指すと唱えようものなら、国内、及び国際社会、また米国からも大きな反発があったと予想される。また、米国の核の傘に守られた「軽武装・経済優先政策」は当時の成長期に入ろうとしていた日本経済発展をを後押しする形になった。しかし、『日本ハンディキャップ論』はこの『吉田ドクトリン』の成果を過大視しているし、2014年11月現在の時点では、もはや賞味期限切れの外交政策と言わざるを得ない。
しかし『吉田ドクトリン』は近年まで、日本の外交・安全保障を掣肘し続けてきた。歴代内閣が集団的自衛権を違憲としてきたのも、忠実に『吉田ドクトリン』を踏襲した結果であるとみていいだろう。たとえ、日本国憲法が、法原則上、自明の自然権である自衛権、交戦権を放棄して、その法体系の正当性に対し疑義を持たれたとしても、それを上回る戦後体制の呪縛が強烈であったのである。しかし近年、その『吉田ドクトリン』及び『日本ハンディキャップ論』の根拠となる環境に変化が生じ始めた。
その具体的内容は、まず『吉田ドクトリン』及び『日本ハンディキャップ論』が、アメリカが「世界の警察」の役割を担ってくれることを前提にしていたが、この前提は、世界一の軍事大国、経済大国であるアメリカが21世紀に入って、軍事的、経済的疲弊に陥ることによってもろくも崩壊した。アメリカは日本に対して、国際安全保障、及び自国の安全保障に軍事的な応分の負担を求めだしたのである。さらには、国際世論もこのアメリカの動きに同調するようになった。アメリカは中東とアフリカの軍事的制圧を行うことに精一杯で、極東の安全保障に関しては「極力手をかけたくない」立場なのである。従って、米国防総省は朝鮮半島へのコミットを急激に減らしてきているし、当然、日本の集団的自衛権による軍事的自立、及び国際貢献としての日本へ集団的安全保障への参画を求めてくる。いわゆるいま日本で議論されている集団的自衛権の是非は日本の国内世論ではいまだ定まっていないが、上記のような国際情勢の変化の下では、丸腰外交・丸腰安全保障を標榜することのない限り、取りうる最善の選択と言わざるを得ない。さらには中間選挙の共和党の圧勝によって、米国はさらなる財政規模の削減、小さな政府の施行、ひいては軍事予算の削減を行うであろう。もはやアメリカは日本にとって、どんなに経済的な貢献をして媚を売っても安全保障において縋ることのできる保安官ではなくなったのだ。
そして、20世紀と21世紀の国際情勢の最大の変化は米ソ対立から、中国の台頭に中心的課題を移行したことは論を待たない。そして中国の政策はソ連よりも経済的侵攻を含めた点で狡猾であり、ソ連と比較して国内政治の不安定さからイラショナルである。 そして近年の中国の軍事費の飛躍的膨張はその危険度を説くのに十分な理由となる。今回のAPEC開催に合わせた日中首脳会談の実現による歩み寄りにもかかわらず、依然、中国の現在の情勢はいつ極東で「熱い戦争」が起きても不思議ではない状況になりつつある。
こうした極めて危険な国家である中国と一衣帯水の位置関係にある日本の意思決定者が、上記の国際情勢の変化の下に、まだ「軽武装・経済優先」の『吉田ドクトリン』の支配下にあるとしたらそれは極めて危機的な状況であるといわねばならない。また国際世論も日本が憲法九条にがんじがらめにされた「平和国家」であることよりも応分の軍事的負担を行う「普通の国」であることを望むようになった。日本の置かれた立場は、自国の安全保障に関しても、平和的国際貢献に関しても、米国はもちろん欧州から、あるいは東南アジア諸国からも軍事的自立を求められているのである。
もちろん日本の立国の要は経済である。経済の発展は平和的環境抜きにしては語れないことは言うまでもない。しかし「平和的環境」は確固たる安全保障によって守られることも自明である。また戦争の惨禍は言葉を尽くせるものではない。であるからこそ抑止力としての軍事的プレゼンスを高める必要が、近年になって急激に高まってきたのである。
こうした日本の復興期に唱えられた『吉田ドクトリン』を墨守した『日本ハンディキャップ論』を小和田恒氏をはじめとする外務官僚がいまだに堅持しているとしたら笑止千万というか、背筋の寒くなる思いがする。その一方で、認識しているか否かは定かではないが『日本ハンディキャップ論』の信奉者が第一次湾岸戦争時に日本がアメリカに拠出した135億ドルをいまだに批判しているのも理解できない。
たしかに現在、時代はひたすら悪い方向に向かっていることは確かだ。だからこそ我々はそれを乗り切る知恵を身に着けなければならない。

雲低く心騒がし冬ざれや   素閑