昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

『楽釜製麺』で讃岐うどんを。

2014-11-18 16:53:27 | グルメ

午前中表参道で打ち合わせ。
三茶に帰ってきてちょうど昼時。さて、何を食おう。しかしお財布の中身は乏しい。しかも昨今、アベノミクスのおかげで我々貧乏人が利用する飲食店は狂乱物価とも言っていいインフレ価格。牛丼、ラーメン、立ち食いそばの類はもはや庶民の食うものではない。そこで三茶の庶民の味方、三叉路に近い世田谷通り沿いにある『楽釜製麺』で讃岐うどんを食うことにする。かけうどん280円、大盛りにしても380円税込の価格は、他方、大幅値上げした牛丼屋への憤りをさらに大きくするものがある。
かけうどん大盛りに竹輪天をつける。この竹輪天がまたジャンボで嬉しい。しかもトッピングの天かすは無料サービスである。
昔、東海林さだおのエッセイに四国高松に讃岐うどんを食いに行く話があって読んだことがある。東京人が讃岐うどんの実態をまだ知らなかったころである。関東では讃岐うどんにまだそれだけの希少価値があった時代である。
たしか東海林先生御一行は高松空港からタクシーを飛ばして、うどんの名店を梯子して回ったそうだ。
そういう店は大抵、普通の民家のようなたたずまいである。この辺が数十年を経過した昭和レトロの歴史の重みを感じさせる。
この手の店では店員は大抵地元のおばちゃんである。まず店に入ると注文ということに相成るからここは他の飲食店と変わることはない。しかし注文の仕方からが讃岐うどんの真骨頂である。ここでまずうどんを何玉にするべきかを決定しなければならない。 一杯のどんぶりに最大三玉ぐらい入る仕掛けになっているらしく、さらに高松の地元民は一食に普通三玉くらいは平気で行くそうである。従って、香川県の糖尿病と痛風の罹患率は全国一という記事を新聞か何かで読んだ気がする。うどんの「タマカズ」が決まったら、おばちゃんが「ちゃっちゃする?」と聞いてくるらしい。これは麺を湯通しするかどうかという意味である。「そんなことは当たり前にするだろう」などとは思ってはいけない。饂飩にこのうえない情熱を燃やし造詣の深い地元民からすれば「ちゃっちゃしない」もまた有りなのである。そしてこの通過儀礼が済むとトッピング選びである。天麩羅を中心にトッピングが何種類も並べてありそれを自分でどんぶりに載せるらしい。地元民は普通に平気で三種類くらいのトッピングを載せるという。そして麺とトッピングの載ったどんぶりは当然のようにおつゆを欲する。東海林先生が四国ご訪問のころはこのおつゆが昭和20年から30年代にあったホーローの便所の手洗い水タンク(知ってる人は知ってるよね)に入れられていたという。ここでめでたく汁をかけられて完成品となった饂飩はお支払いを迎えるのである。このウィーンのホイリゲというか、ショットバーというか、あるいは社食のカフェテリア方式というか何に例えていいやらわからないセルフサービスのシステムは平成の世になって、讃岐饂飩屋が爆発的に東京に進出した暁にも健在である。
『楽釜製麺』では大盛りと普通盛りしかなく「ナンタマ」という選択はできないし、「ちゃっちゃする?」という質問は受けないで麺は湯通しするのがデフォである。しかも店員はおばちゃんではなくいかにも教育の行き届いた慇懃な青年である。おつゆも便所の手洗い水タンクではなくファミレスのドリンクバー風のマシンから注ぐことになる。しかしこの高松人が考えたセルフサービスのシステムの基本形は崩れていない。
そしてかけうどんと竹輪天は空腹の胃の腑へ至福の思いとともに収まっていったのであった。

冬来たり商談進まぬ身は追われ   素閑