地球温暖化の危機が叫ばれて久しい。
二酸化炭素ガスの削減は目下の急務のごとく言われている。
しかし、これを目的とした国際合意「京都議定書」及び「パリ合意」が極めて政治的であり、先進国とみなされる国々と途上国とみなされる国々の間で、先鋭的な経済的摩擦を生じた結果、世界が足並みをそろえて、この問題を解決する機運にはなっていない。
一方で、地球温暖化は二酸化炭素が原因ではない、とする説もあり、事態は混迷の域に達している。
オカブは難しいことはわからないが、暑い夏は大嫌いなので、とにかく、もっと気候が涼しくなってほしいと願うばかりである。
昔は(と言っても10代から20代にかけての大昔だが)、夏はよく叔父の菅平の別荘に避暑に行っていた。
菅平は標高約2,000m弱。非常に涼しい。曇った日など寒いくらいでジャンパーが欲しくなるほどである。
冬はスキーヤーで賑わう菅平は、夏の間は、避暑客というよりも、学生や若者のスポーツ合宿のメッカとなっていた。
特に、早稲田大学のラグビー部の合宿が夏に菅平で行われるために、当時のいわゆる追っかけがこの高原にも目立ち始めていた。
現在のように、夏はセブ島だバリ島だというような、海外旅行に気軽に行けるようなご時世ではなかったので、この時期の信州の高原はちょっとセレブ感漂う皆の憧れの場所だった。
菅平と並んで、八ヶ岳山麓の清里と、軽井沢は、その当時、若者であふれかえって、そして彼らを当て込んだ店舗が軒並み店を並べて、まるで原宿が移転してきたようだと言われていたものだ。
菅平は、まだ静かな方で、清里と軽井沢は、夏には本当に山の中に一大都会が出現したような様相だった。
しかし、今では嗜好が多様化し、軽井沢は歴史ある避暑地として、なんとか隆盛を保っているものの、清里などはすっかり寂れてしまったと聞く。
俗化から解放され、昔の静寂が戻ってきたのはいいが、店舗やレジャー施設の建物が廃屋として残され荒んだ雰囲気になってしまったそうだ。
こういうところが日本の観光政策の方向性の無さの犠牲である。
ヨーロッパは自由な国々だが、観光は一大産業なので、景観保持などその資源を守るために統制すべきところは厳しく統制している。
イタリア、スイス、フランスなどのアルプス周辺では一切の俗的な施設を設けることを許さない。
景勝地となるとすぐに秘宝館の建つ日本とは大違いだ。
今日は、かーたんとブランチに三茶の『きゃんどる』にまた行ってきた。
日差しが照り付けじりじり暑かった。
ビールを飲み喉を潤した。
7月も後半になり、暑い東京にいると、昔、行った涼しい高原が懐かしく思い出される。
横丁の店にて青き山思う 素閑
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