由利12頭の中でもマイナーなのが、鮎川子平太です。矢島大井氏ととても近い親族であるという。山崎館を居城としていた。
仁賀保vs矢島の戦いでもあまりでてきません。
山崎集落はとても古い集落で,鮎川の中心であったのです。
ちなみに、万個将軍の墓がある瑞光寺も鮎川氏の勧請されたものと言われています。
由里仲八郎政春が,鳥海弥三郎との戦いに敗れ自害した際に村上帯刀らと逃げた嫡男の丁刃丸が乳母のお沢とともにお沢の実家に逃げた場所が山崎だという事になっています。
お沢のお父さんの権七が丁刃丸を鳥海弥三郎に渡そうとした為逃げましたが、平沢で捕まって13歳の若さで自害しまったのが平沢小学校のそばです。
現在お墓が残っています。
権七のお宅は今も山崎にあるのかも知れませんね!