自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
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前郷フットパス ①三光神社

2018年12月13日 15時03分42秒 | 

前郷駅出発のフットパスコースを考案している。

①の史跡は三光神社である。

スタート前郷駅
↓400m
前郷フットパス① 三光神社

 

 

前郷駅から西に向かい突き当たりT字路を右にまがり、JA前の小路を左に向かう。80mほどでT字路になるので右折する。100mほど進みと少し大きい小路を左折し80mほど進むと変形十字路があるのでそこを右折して左側の畑の中に三光神社が鎮座している。今はないが前郷小学校跡(滝沢城趾)の東側にある。見付


けるのはかなり困難である。

 三光神社の由緒について、須田仁蔵家の『三光神社の由来』によれば、昔(年代不明)仁蔵家の仁蔵は、妻とサンコと三人暮しであったが、家貧しく三度の食事も事欠くほどであった。仁蔵はその赤貧に甘んじてよく働き「正直仁蔵」と評判された。一人娘のサンコはまだ五つで幼かったが、利口者でききわけがあった。サンコの仲間は、隣家与一八の二男三郞で、サンコより三つ年上であった。与六の家は豊かな農家で、下男下女など多くの奉公人を使っていた。前郷の秋祭りも終わって、アラレが降り出しそうな寒い日、与六の家では、目明かしや与力が出入りしてさわがしかった。それは与六の土蔵から、アズキが五俵盗まれたと言って、代官所(今の役場敷地内)に訴え出たのであった。代官所ではあれこれと、シラミつぶしに調べたが、さらに手がかりはなかった。そのうちサンコが一二郎に、「けさ、赤いまんま食べて来た」と言ったことからうわさが立って仁蔵に嫌疑がかかり、仁蔵親子は牢屋に入れられ、白州にひつ立てられて、きびしい詮議をうけた。もとより身に覚えのないことなので、サンコが赤いまんまと言ったのは、赤飯でなく、田ヱビを赤めて飯に混入したものだ、と身の潔白を申し立てたが、取り調べの下役人は聞き入れなかった。そして積み石の責め苦を負わせるなどして、仁蔵の白状を迫るので、律義者の仁蔵は、サンコの腹を割いてあかしを立てることを申し入れた。
サンコの殺害は、この下役人の計両的たくらみであった。それはこの下役人は「人よしの与六」の妻オシマと、時折り人目を忍んで密通していた。当時不義の密通は国の法度で、発覚すると重い仕置きをうけなければならなかった。それが幼童とは言いながらさかしいサンコの目にふれたので、二人はしめしあわせ、サンコをアズキ泥棒に結びつけて殺そうとしたのであった。サンコは無惨にも白州にひつ立てられ、まつ二つに腹がさかれた。その結果仁蔵の申し立てのごとく腹の中から出て来たのは田エビで、その田ェビがたちまち数を増し下役人目がけて一せいに飛びついた。下役人は驚いてこれを追い払おうとして、刀を抜いて振り冋したが、あべこべに自分の目を突くなどして発狂してしまった。 この田ェビの姿はサンコのさばきに列した人にはなにも見えなかったのでおのが因果応報の世のたとえ、下ろうや役人は天罰により、おのが妄想によったものだろうといわれている。オシマもこの妖計官が代官所へ知れ牢屋に下げられた。与六は自分の落ち度から尊い人命を失う騷動をおこしたことを深く恥じ、そのぎせいになつたいたいけなサンコを心から気の毒に思い、代官所へ願い出て神として祭った。その後、この社は「三光神社」として、お産と腹痛に御利益があるといって遠近の参拝人の跡が絶えなかった。(由利町史より)
 どの時代もエロい奴がいるもんだ。それにしても5歳の娘を差し出す与六もオシマもだめだと思いますが・・・・
 しかし、今は参拝者は余りいないみたいで、前郷の隠れたパワースポットととしてフットッパス立ち寄り史跡としたい。

 
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