我が家の愛鳥 ミッキー(母の小鳥)
母は昨日無事退院して、家に帰ってきました。
雨が降り、寒いくらいでしたが、猛暑よりは身体は楽でしょう。介護タクシーで車椅子ごと入り、駐車場から雨に濡れずに家の中に入れました。
母はターミナル期(終末期)に達しています。
私の希望、家に帰って好きなものを少しでも食べられたら・・・は、無残にも打ち砕かれました。訪問診療の先生への病院からの診療報告書には、嚥下機能廃絶、と最後に書いてあったのです。
先生から説明されたていたのに、勝手に希望を持っていただけかもしれません。
また、夕方いらっしゃった訪問診療の先生からは、尊厳死を希望しておられるなら、点滴も外した方がいいと思われますが、と促され、動揺しました。
10年ほど前に読んだ、石飛幸三氏の著書「平穏死のすすめ」、そして、最近また読んだ「家族と迎える平穏死」「平穏死を受け入れるレッスン」を出してきて、読み直しました。
自分のため、親のため、この本はおすすめです!
尊厳死を希望している母と私。
この本に共感していました。しかし、自分のことではなく、母のことに私が決定権を持たされると、子供としての希望と自分が望むこととの矛盾した答えを出しがちで、経管栄養も胃瘻も拒否したものの、家での点滴をやろうとしていたのです。
本の中で、点滴や様々な薬を入れ続けた末に亡くなった人は、体が水膨れになります。それに比べて自然に寿命が来て亡くなった人は、体がとても軽くまるで枯れ木のようで、綺麗な死だ、と書いてありました。点滴も延命措置なのですね。
病院では当然のことのように、針の刺さった腕で退院してきた母、私も点滴の仕方など指導を受けましたが、母を痛めつけることにつながっていたのだと、改めて身に滲みました。
母の右手は何日か前の跡がどす黒くなっていましたし、点滴の針が刺されてある左手はむくんでパンパンになっていました。
それを見て、私は点滴もやめようと決心しました。母の苦痛は出来るだけ除いて上げたいのです。
午前中、訪問診療の先生と看護師さんが再び来てくださったので、私の返事を伝え、点滴針を抜いていただきました。
3〜4時間経つと、少しずつ手の浮腫が消えてきています。触っても痛がらなくなりました。
今日の母は、飼鳥のミッキーの声や大好きな越路吹雪さんの曲を聴きながら、穏やかに過ごしました。。。