一本の葦

あんなこと・こんなこと・・・

グラシン紙 ?

2016-12-23 23:36:43 | 介護・介助



  

いつも老健でグループバリデーション(認知症のお年寄りとのグループで

のコミュニケーション)の運動時使用、の紙風船の残りが無くなってしま

いました。使用するのは、お年寄りなので小さな紙風船だと動きが早く

なり過ぎて楽しめません。

大きい物だと、ゆったりと飛んでくれるので、お年寄り同士結構盛り上がり

楽しんで運動にも、皆さんのコミュニケーションにも役立っています。

馴染みのものなので、また纏めて注文しようとしたのですが、以前の注文時

にも大きな紙風船は小売りがなく、小さいものとの組み合わせでの小売り

しかしていませんでした。

そこで専門に作っているところに問い合わせ、大きい径40cmのものを

纏めて40枚作って頂きました。H22年でした。私がリーダーとなるのは

月2回ですから、随分持ったわけですね。

昨日電話したら、その工房は無くなっていました。

そして、もう紙風船工場はそこだけというところに問い合わせてみましたが

いま海外からの大量生産に追われ、しかも、伝統的な風船は私の使っている

サイズがない、というお返事でした。

さらに、今は伝統的な紙風船を作る、色付きグラシン紙が作られていない

在庫があるもので作っているだけだ、と。

今売れているフグやスイカ、カボチャ、金魚などの紙風船は和紙になっているとか。

紙風船の紙、グラシン紙?とはどんなものかと調べてみましたが

グラシン紙=パラピン、パラフィン紙=蝋引き加工紙ともいう。
パラフィン紙の原料であるクラフト紙とパラフィンワックスからできており
グラシン紙は漉き段階で充分に叩解(こうかい)したパルプを原料とし、
スパーカレンダー(用紙に高光沢・高平滑性を与えるために用いる多段式の機械)
でしあげた、高密、透明性の高い紙ですが、後で再加工するパラフィン紙とは
本質的に違います。

とありました。

とにかく、需要が少ないから工場では作らないし、紙もないということでしょう。

 浅草など観光地のお土産屋さんなどでしかお目にかかれない、レトロで貴重なもの

なのですね。時代を感じさせられた話でした。

結局、探しに探し、他の個人店での持ち分を、少し小さめですが何枚か

取り寄せてみることにしました。

100歳、98歳、98歳、88歳、85歳、84歳、の超高齢のグループです。

大きな紙風船は、軽くてふわりと飛び、顔に当たっても痛くありません。

小さい頃に遊んだ記憶もあります。

お年寄りの方たちも気に入られているし、皆さん紙風船に空気を入れようと

一生懸命息を吹き込もうとしてくださいます。呼吸のためにもいいことだと

思えます。一体感も出、各自のエネルギーが高まります。

仲間のお一人が、バレーボールのスパイクのように、力いっぱいたたき下ろすので

最近すぐ破けてしまいます。なるべく修理して使うようにしているのですが

紙ですから、何回か使うとふにゃふにゃになってきます。


新年は新しい紙風船で、盛り上がり、楽しみましょう!!






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二つの マダム・フローレンス ?

2016-12-18 21:03:31 | Weblog



映画マダムフローレンス を見て、実在のフローレンス・フォスター・ジェンキンスに

興味を持ち、仏映画でもマダムをモデルにした映画「偉大なるマルグリット」も

事実に基づいて作られた、とどこかで読み、早速それをレンタルして見ました。


  
  「偉大なるマルグリット」のカトリーヌ・フロ と アンドレマルコン

魅力的な女優さん 、カトリーヌ・フロが演じていましたが、

歌声が音痴だということは一緒ですが、フローレンスの実話とは大きく違っていました。

事実とは違う、新しい物語、フィクションでした。

仏映画では夫の注意を引きたいために歌っているという設定でしたし

最後も精神病院で亡くなります。フィクションとして見れば、「偉大なるマルグリット」

も、いい映画です。マルグリットが哀れになりました。


    
    52歳頃のフローレンス


事実は、(以下wikipediaに加筆)

フローレンス・フォスターは、幼い頃から音楽教育を受け、音楽留学を希望していた。

しかし父親が費用の支出を拒んだので、彼女は医師で後に夫となった

フランク・ソーントン・ジェンキンスとフィラデルフィアに駆け落ちした。

結婚中に夫から梅毒を移される。当時の治療、水銀とヒ素の後遺症で頭髪をなくす。

1902年に離婚。ピアノ教師をして生活していたが、1909年に父親が亡くなると、

両親と前夫から反対されていた歌手の道へ歩むのに十分な遺産を相続し、

フィラデルフィアで音楽生活を始めた。自らヴェルディ・クラブを創立して

基金を積み立て、歌唱のレッスンを受け、初めてのリサイタルを1912年に開いた。

彼女の演奏したレコードを聴くと、ジェンキンスは音程とリズムに関する感性が

ほとんどなく、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発声できない

こと、伴奏者が彼女の歌うテンポの変化と拍節の間違いを補って追随している

のがわかる。にもかかわらず、彼女はその型破りな歌いぶりで大変な人気を博した。

聴衆が愛したのは音楽的能力ではなく、彼女の提供した楽しみであった。

音楽批評家たちは、しばしば彼女の歌唱を皮肉まじりに説明し、

それがかえって大衆の好奇心を煽る結果となった。


米映画の「マダム・フローレンス」の方が事実に近い。ノンフィクション

といっていいと思います。

メリルストリープのフローレンスも好ましいし、フローレンスは歌の才能以外では

魅力的で慈善家の愛すべき女性だったのではないかと思います。

とにかく、少女のころからの夢を実現したのです。


笑顔になれます。。。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス気分

2016-12-13 17:43:13 | Weblog

 

昨日はレッスン日でしたから、予定の19時のライブまで、長い時間が

空きました。

で、疲れないであろう映画
「マダム・フローレンス」をみることにしました。
     


    
   「マダム・フローレンス」のメリル・ストリープ と ヒュー・グラント
 

メリルストリープは大好きな女優さんですから。

笑えました。泣けました。そして心が暖かくなり、感動さえしました。

実話だと聞いたときは、
呆れましたが、真実を知ると、夢を追うマダムに

愛おしさを感じます。


       

軽い足取りで、銀座へと向かうことが出来ました。
 
 
       

銀座地下は、「美女と野獣」で一杯。懐かしい曲も流れていました。
 
夜は、元OSKの娘役トップスターだった方、湖上芽映さんが

やはり元OSKの方洋あおいさんのライブに出演なさるというので、予約して

いたのです。湖上さんとは、15〜16年前の「フェーム」以来のご縁です。

洋さん、湖上さんの大先輩、東雲あきらさんもゲストでした。


       


湖上さんは、私の舞台は必ずといっていいほど見に来て下さいます。ありがたいですね。

私もなるべく、観せて頂くようにしています。

歌も容姿も美しい方です。(もちろん心も)

私は一人で行きましたが、満員で、華やかな、一足先にクリスマスを味わえた

ステキなライブでした。♪

ここでも、洋あおいさんと湖上芽映さんの「美女と野獣」のデュエットがあり

ロマンティックな気分にも。軽快な元気の出る歌あり、しっとり聞かせる歌ありで、

御三方のいいところを見せて?聴かせていただきました。

OSKを知らない私にも、充分楽しめるライブでした。
 


寒い日でしたが、ハートが暖まる一日となりました!






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう一つのレオナール

2016-12-10 23:28:30 | Weblog

 

火曜日、府中美術館で「レオナール・フジタ藤田嗣治展~東と西を結ぶ絵画」

を見たところですが、我が家から車で行けるところに、

もう一つのフジタ、「レオナール・フジタとモデルたち」が開催されていました。


             

そこで記憶が薄れないうちに、川村記念美術館へドライブ!




    



この美術展は、写真、雑誌、フジタ氏の彫刻したBox、絵付け作品、

コレクションなどもあり、モデルも女性に限らず、男性の力強いデッサンや壁画など

興味深く観て回りました。

フジタのモデルたちの中で、私が好きなのは、4番目の妻、マドレーヌです。

パリの踊り子だった女性です。

若くして急逝してしまいましたが、魅力的な沢山の絵に残っています。


「争闘I」、「争闘II」や「ライオンのいる構図」、「犬のいる構図」 など

対になっている3m程の大作(壁画)が目を引きました。

乳白色の画面の中に何人もの男女の力強い裸体が様々なポーズで描かれていました。

ミケランジェロの絵に感銘を受けた後に描かれたとか。

しばらく中央の椅子でゆっくり鑑賞しました。

府中美術館には、猫たちの「争闘」があり、これも躍動感あって面白かったです。


また、詩人、小説家であるアンナ・ド・ノアイユ伯爵夫人、

文壇の女王と呼ばれ、才色兼備な美女でラースローなど画家たちがモデルとして

描き、ロダンも彫刻のモデルとしているけれど、フジタの

「アンナ・ド・ノアイユの肖像」も印象的でした。




    

アンナは、どの画家たちの絵も気に入らなかったとか。

話しがそれますが、アンナの詩や小説を読みたくなりました。



美術館の茶室でいただいた期間限定の、アンナの持つバラの花を模った

上生菓子と抹茶は、絵とともに印象に残りました。


    




この秋は晴天に恵まれ、美術展にも恵まれた日々でした。。。 






   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の混乱・物忘れ

2016-12-09 21:57:59 | 介護・介助


 
 
      

母は短期記憶が3分ほどしか持ちません。

小鳥を寝かせるのに鳥かごにカバーを掛けてやるのですが

先日はお昼にもう寝かせようとしました。まだ昼間の1時よ。

あら、そう。3分後にまたカバーをかけようとして、同じ会話。

その3分後にも。そしてその3分後にも。

そこで、鳥を部屋にだしてあげました。

母も落ち着きを取り戻しました。

私が夕方帰ることも多く、母もデーサービスから夕方帰ることが

多いので、夕方と勘違いしたのかもしれません。

混乱してしまったのですね。快晴の明るい午後でしたが。


最近は忘れが速いので、ちょっと買い物に行くだけでも、必ず

テーブルの上に大きな付箋に赤いマジックで何時には帰ると

メモを残します。そうしないと、混乱して、お昼を食べたばかりなのに

パンを焼いて食べようとしていたり、それを忘れて、トースターの中に

パンが置き去りになっていたりしています。

つい、すぐ帰るといったでしょう。と言ってしまうのですが、忘れて

しまうのだから、仕方がない。こちらで対策を考えないといけません。

デーサービスに週4日は喜んで行っているので、毎日ではないから

こちらも余裕を持って対処できるので助かっています。


困ったことも起きました。

入れ歯がなくなったのです。先週同じようなことが起こったのですが

その時は、義歯のところに何か詰まったのか、残り物と一緒に

お茶椀に入っているのを、見たのです。

そして、洗い物をしてくれたのですが、次の日の朝、入れ歯がない

と、騒いでいるのです。一緒に探そうとしたのですが、ふと思い出しました。

生ごみの中??と。探ってみると、やはりそこに発見出来ました。

今回は、ごみの中にも、引き出しの中にも、布団の間にも

見当たりませんでした。本人は、大丈夫噛めるからもう作らない

と歯医者行きを拒否したのですが、やはりなんでも食べられた方がいい

からと、無理やり歯科に同行し、来週少し通えば、今年中に

出来上がるとのことで、ホッとしました。


怒らない、怒らない。。。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小鳥の死

2016-12-09 20:33:30 | Weblog


昨日母がデーサービスから帰って1時間後、私が家に帰ると

母が、小鳥が1羽死んじゃったの。と言うので、鳥かごを見ると

文鳥のミニーちゃんがいません。え、どこで死んでたの?

小屋の藁の部屋の中で、死んでたの。で、何処にやったの?

庭に埋めてやったの。庭の何処?あっちの方。端っこの方よ。

暗い中、母は小鳥を埋めに行ったのだろうか?と考えていると

ふと見た大きなパキラ(観葉植物)の鉢植えの根元に、ミニーちゃんが

横たわっているじゃありませんか。

あれ、ここにいるじゃないの。うん、あなたが帰ってくる前に埋めちゃ

いけないと思ってそこにおいたの。

少しホッとしましたが、もともと娘の文鳥。母のインコと大の仲良し

なので、置いていってくれたのです。

で、メールで報告。夜に別れをしに訪問してきましたが、

もうおじいちゃんで目もよく見得ず、あまり飛べなくなっていたので、

がっかりしてはいたけれど、長い別れをして帰っていきました。

仲良しのインコのミッキーが淋しそうです。


     


私たちも仲良しの2羽を見られなくなってしまい、家族が一人

いなくなったような気持ちです。

小鳥といっても、家族の一員でしたからね。



今朝、我が家の枝垂れ桜の木の下に、埋葬しました。。。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日も快晴。さて府中まで。

2016-12-06 22:55:05 | Weblog

 

本日も快晴。

12/11までの展覧会、早く行かねば見過ごしてしまう、

と府中美術館まで出かけました。

目指すは「LEONARD FUJITA 藤田嗣治 展~東と西を結ぶ絵画」でした。


   
この写真は美術館HPより


府中美術館はまだ新しい、いい美術館でした。  

 

         

 

FUJITA氏の美術学校時代の絵画から晩年に至るまでの158点の絵画が鑑賞できました。

彼を有名にした36歳の時の「五人の裸婦」は、思ったよりも大きく

一人一人が五感を表しているなんて、凄くユニークで

しかも白い肌の美しいこと!

当時のパリではセンセーショナルだったのでしょうね。

ちょっと前に書いた「バラ」も好きでした。


     



50歳半ばで戦争記録画家となり描いた、「アッツ島玉砕」

「サイパン島同胞臣節を全うす」は、とても大きな絵で、

戦争の悲惨さをヒシヒシと感じさせられるものでした。

しかし、60歳の時、軍に加担したとして、日本美術界から戦争責任を

厳しく追及され、住みにくい、画家として生きにくい日本から、

パリに移り、後半の人生はフランス国籍を取得、

日本国籍を抹消し82歳で亡くなりました。

パリで描いた「夢」や「小さな主婦」「マドンナ」など好きな絵が沢山ありました。


秋の落ち葉の敷き詰められた公園の景色をながめながら、

美術館のカフェで、コーヒーを飲み、帰ってきました。




LEONARD FUJITA の人生を垣間見ながら、絵画を鑑賞した

良き日となりました。。。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

快晴の御岳、渓谷と美術館

2016-12-03 12:33:00 | Weblog

昨日も快晴!

今日が快晴だったら…の予定を思い切って実行。

今まで、遠いという感じがして、なかなか足が向かなかったのですが

前日調べたら、4日まで「深まる秋の展示」をしている。他の予定もあり

行くとしたら、12/2しかチャンスはない。ということで、

友人に教えてもらっていた、御岳の玉堂美術館へ。

もう殆ど紅葉は終わっているかもしれないけれど、晴れたら

自然と画の、秋を同時に観賞出来るかも知れない、などと欲張りながら出かけました。


     



     




     

結果、晩秋の御岳渓谷を味わうことができました。




玉堂美術館




     
美術館の庭の一角

美術館では川合玉堂の15~17歳の若い頃の写生もやはり

才能が光っていて素晴らしいし、晩年御岳に住まわれてからの

晩秋の御岳渓谷で描かれた、「秋渓紅葉」、「渓橋紅葉」は

この時期の御岳で観る価値大の作品でした。

大作の 「鴛鴦~えんおう」も良かった。

山種美術館などで他の有名な画も観ていますが、御岳でこそ味わえる

玉堂美術館、行って良かったなと、寒さが増してきた夕方、御岳駅を後にしました。

 

夜は、築地の鶏由宇2階で、劇団時代の後輩でもある駒塚由衣さんの

江戸人情噺「天明白浪伝その3」三味線艸讐紅竹を初めて聞かせていただきました。

面白かったです。

終演後は、階下の鶏由宇で美味しい鶏料理で日本酒をいただきながら

宴会も申し込んでおいたので、楽しくほろ酔い気分で帰途につきました。




昨日は晩秋を堪能した自然と芸術の一日でした。。。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする