
昔、昔、その昔。
ヴィガネッラの長老のおばあさんの、そのまたおばあさんの、そのまたおばあさんの。。。と数えるのも億劫なほどに昔の話のことです。
ヴィガネッラは山に囲まれた村で、人々は質素にしかし不満も無く生活していました。
しいて言えば、山向こうの村祭りに招待されて山を越えなければいけないときや、山向こうの大きな村での大きな市場に行かねばならないときなど、四方八方を囲む山が憎たらしいと時々思うくらいなものでした。
ある日のこと、村の鍛冶屋の息子が
『あの山ったら、邪魔臭いなあ。あんなもの天辺の方をみんなでよってたかって崩してしまえばいいんだ。そうすりゃあ、隣村に行くのも楽だし。あんな山目障りでうっとうしいじゃないか。』と言いました。
丁度そこに居合わせた村の若い衆がそれぞれにうなずきながら賛同したのは、多分悪魔が手伝っていたのに違いありません。
なぜなら鍛冶屋の息子はグータラの厄介者で、普段誰も彼のいう事などに耳を貸さないからです。
彼の父親は村で唯一の代々の鍛冶屋でした。
鍛冶屋は山の神様から窯の火を貰っています。
窯の火はもう、ず~っと昔からそこにあって、鍛冶屋が火を絶やさぬよう守る事は大切な仕事なのでした。
ところがこの息子はそんな事にはお構いなく、水の入った鉄釜をひっくり返して火を消してしまいそうになったり(あわやと言う所で、火種の子供を助ける事が出来ましたが)、怠け者で父親の言うことなどには耳を貸さず、遊んでばかりいるのです。
兎に角村人たちは鍛冶屋の息子の戯言をどういうものか同意して、早速山を削り始めました。
しばらくしてある日、山の頭が3分の1位も大分削られた頃のことです。
夜中にゴゴゴ~と耳を劈くような地響きがあって、地面が大揺れに揺れました。
まるで嵐の海に浮かぶ小さなボートのように家々が揺れました。
(最も村人の中には海を見たことのあるものはいませんでした。)
村人は息をひそめてまんじりともせず夜を明かし、薄明るくなったと同時に村の広場に集まりました。
大声を出せばまた地面が揺れるとでもいう様にヒソヒソとした話し声で広場は埋まりました。
いきなり鍛冶屋が言葉にならない大声を出したので、村人全員が揃ってそちらを見ると鍛冶屋の指差す先には山がそびえて居りました。
そうです、それは削られた山でしたが、元のとおりに聳え立っているのです。
いや、元のとうりどころか更に高くなっているようです。四方を見回すと他の山もついでに高くなっているのでした。
村人達が山を削ったのを山の神様が怒ったのは言う迄もありません。
山の神様は、村を山の影で包んでしまったのです。。
井戸の底に落ちたようになった村は、冬の間今でもお天道様の恵みを受ける事も出来ずにいるということです。
。。。。なあんて言うお話は無い。
昨日のニュースでは、北イタリア山岳地帯の小さな村 Viganellaは冬の83日間はすっかり山影になってしまうので、その間日照時間ゼロなのだそうだ。
そこれ村人は考えた。山を削って。。。。ではくて、それは大きな鏡を設置して、鏡で太陽光線を反射させて村に届けるというものだ。
40平方メーターの表面積を持つ鏡が設置された。
この反射鏡は30年間持つという事で、ほぼ100,000ユーロかかったそうだ。
この反射鏡を維持するのにも随分お金はかかるのだろうな。他に問題は起きないのだろうか。。。
とりあえず、とりあえずは皆満足の様子だ。
イタリアの山岳地帯も行ってみたいところが幾つかあるが、この反射鏡も見物してみたいものだと思う。
ピエモントは美味しい物が沢山あるしね。