前回の慶尚北道浦項市九龍浦につづき、今回はその九龍浦から北に突き出た長鬐半島の話です。
長鬐半島は島嶼と北朝鮮領を除いた韓国本土の最東端に位置しています。地図を見ると製鉄で有名な浦項市が面する迎日湾の東側をこの半島が占めていて、東海岸側の北にぽこっと突き出た形です。半島の北端には大甫という町があり、隣接する「虎尾串」(串は岬の意味)は観光地になっているので「乗りバス」する途中に寄ってみました。(乗りバスの話はこちらをご覧下さい。)
まず大甫への行き方に触れておきます。長鬐半島の西側・東側の両方の付け根から大甫に行くバスがあるのですが、西側(東海乗り換えセンター)からの大甫行きは1日2往復半しかありません。ことさらにバス好きというわけでなければ東側の「九龍浦乗り換えセンター」から出る大甫行き(同14往復)を使う方が便利でしょう。九龍浦までは浦項市中心部から座席バス200番が頻発しています。
東側・西側両方のバスが通る大甫の町の入口の様子です。小さな漁港で奥にはささやかながら大甫の目抜き通りという感じの道が続いています。
漁港周辺の町にはところどころ石を積んだ荒っぽい塀というか石垣というかが見えました。海辺で風も荒いでしょうからこのくらいでちょうどいいのでしょうか。
大甫の町から海岸線を東に歩いていくと海水風呂をうたう銭湯がありました。また奥には観光地らしくモーテルも見えます。町中には民泊や旅人宿といった宿泊施設の看板もいくつか見えましたからよほど多客期でなければどこかには泊まれそうです。
そのうち「灯台博物館」の裏手に出たので敷地に入ってみます。その名の通り灯台についての説明や資料がある博物館があり、周囲の敷地内はちょっとした公園のように整備されていました。
灯台博物館から道を挟んだ向かいに日の出広場があります。虎尾串は韓国本土東端にある長鬐半島の端だから韓国で最初に日が出る場所、ということで日の出の名所になっていて、1月1日になるとたくさんの観光客が集まり韓国一大きな釜で一万人分のトックッ(韓国のお雑煮)をふるまったりと大変賑わうのだそうです。
ただ長鬐半島の東端はこの虎尾串ではなく南下した九龍浦邑石屏里というところですし、ずっと南の蔚山広域市蔚州郡西生面大松里にある艮絶串という岬の方が日の出が早いそうですから「最東端の半島の端にある岬」という「らしい」雰囲気重視ということで「そういうこと」になっているのかもしれません。なおお手々のオブジェは「共生の手」といい、虎尾串のシンボルになっています。
雨風が強い日でしたが「お手々」の前にはたくましく屋台が出ていてトンドン酒なんて字が見えました。ちょっと飲みたくなり入ったところ今日はないとのことで残念です。
広場にはトラにちなんだ絵やパーツがあちこちに見えます。
虎尾串の名前の由来は絵のように朝鮮半島全体を虎と見立てたときこの場所が尻尾の先にあたるからだそうです。なるほどトラが多く使われるわけですね。
広場の片隅には延烏朗と細烏女の像というのがありました。なんでも新羅の頃の話だという伝説を基にしたもので二人は夫婦なのだそうです。
日本も絡む話だったので以下その伝説をざっと書いておきます。
あるとき延鳥朗が海草を採っていたら急に岩だか魚だかが彼を日本のどこだかに連れて行ってしまい、着いたら現地で王様に迎えられてしまった。夫が帰ってこないので海辺に探しに出た細鳥女が岩の上に夫の履物を見つけ、その岩に上がったらまた動き出し彼女も日本に連れて行かれ、二人は日本で再会した。これをきっかけに新羅では太陽と月が消えてしまい、困った新羅側は二人に帰ってくるよう使者を送るも、二人は帰らないと返事があった。その代わりと細烏女が織った絹織物が使者に渡され、これを新羅で祀れば太陽と月が戻るだろうという。使者が新羅に絹織物を持ち帰って祀ったところ太陽と月が復活しめでたしめでたし。
伝説らしくわかったようなわからないような話ですが、大陸の人が日本の王様になったり太陽や月が絡んで絹織物が出てきたりするあたり何となく時代の雰囲気が伝わるようでちょっと面白く感じました。
という具合に虎尾串見物を終えたので今回はこれでおしまいにしますが少しオマケです。大甫の町で買ったマッコルリの瓶にシンボルの「お手々」が描かれたラベルが貼ってありました。マッコルリ醸造場は韓国中無数にありこのように地方色を出したラベルもあってなかなか面白いものです。
長鬐半島は島嶼と北朝鮮領を除いた韓国本土の最東端に位置しています。地図を見ると製鉄で有名な浦項市が面する迎日湾の東側をこの半島が占めていて、東海岸側の北にぽこっと突き出た形です。半島の北端には大甫という町があり、隣接する「虎尾串」(串は岬の意味)は観光地になっているので「乗りバス」する途中に寄ってみました。(乗りバスの話はこちらをご覧下さい。)
まず大甫への行き方に触れておきます。長鬐半島の西側・東側の両方の付け根から大甫に行くバスがあるのですが、西側(東海乗り換えセンター)からの大甫行きは1日2往復半しかありません。ことさらにバス好きというわけでなければ東側の「九龍浦乗り換えセンター」から出る大甫行き(同14往復)を使う方が便利でしょう。九龍浦までは浦項市中心部から座席バス200番が頻発しています。
東側・西側両方のバスが通る大甫の町の入口の様子です。小さな漁港で奥にはささやかながら大甫の目抜き通りという感じの道が続いています。
漁港周辺の町にはところどころ石を積んだ荒っぽい塀というか石垣というかが見えました。海辺で風も荒いでしょうからこのくらいでちょうどいいのでしょうか。
大甫の町から海岸線を東に歩いていくと海水風呂をうたう銭湯がありました。また奥には観光地らしくモーテルも見えます。町中には民泊や旅人宿といった宿泊施設の看板もいくつか見えましたからよほど多客期でなければどこかには泊まれそうです。
そのうち「灯台博物館」の裏手に出たので敷地に入ってみます。その名の通り灯台についての説明や資料がある博物館があり、周囲の敷地内はちょっとした公園のように整備されていました。
灯台博物館から道を挟んだ向かいに日の出広場があります。虎尾串は韓国本土東端にある長鬐半島の端だから韓国で最初に日が出る場所、ということで日の出の名所になっていて、1月1日になるとたくさんの観光客が集まり韓国一大きな釜で一万人分のトックッ(韓国のお雑煮)をふるまったりと大変賑わうのだそうです。
ただ長鬐半島の東端はこの虎尾串ではなく南下した九龍浦邑石屏里というところですし、ずっと南の蔚山広域市蔚州郡西生面大松里にある艮絶串という岬の方が日の出が早いそうですから「最東端の半島の端にある岬」という「らしい」雰囲気重視ということで「そういうこと」になっているのかもしれません。なおお手々のオブジェは「共生の手」といい、虎尾串のシンボルになっています。
雨風が強い日でしたが「お手々」の前にはたくましく屋台が出ていてトンドン酒なんて字が見えました。ちょっと飲みたくなり入ったところ今日はないとのことで残念です。
広場にはトラにちなんだ絵やパーツがあちこちに見えます。
虎尾串の名前の由来は絵のように朝鮮半島全体を虎と見立てたときこの場所が尻尾の先にあたるからだそうです。なるほどトラが多く使われるわけですね。
広場の片隅には延烏朗と細烏女の像というのがありました。なんでも新羅の頃の話だという伝説を基にしたもので二人は夫婦なのだそうです。
日本も絡む話だったので以下その伝説をざっと書いておきます。
あるとき延鳥朗が海草を採っていたら急に岩だか魚だかが彼を日本のどこだかに連れて行ってしまい、着いたら現地で王様に迎えられてしまった。夫が帰ってこないので海辺に探しに出た細鳥女が岩の上に夫の履物を見つけ、その岩に上がったらまた動き出し彼女も日本に連れて行かれ、二人は日本で再会した。これをきっかけに新羅では太陽と月が消えてしまい、困った新羅側は二人に帰ってくるよう使者を送るも、二人は帰らないと返事があった。その代わりと細烏女が織った絹織物が使者に渡され、これを新羅で祀れば太陽と月が戻るだろうという。使者が新羅に絹織物を持ち帰って祀ったところ太陽と月が復活しめでたしめでたし。
伝説らしくわかったようなわからないような話ですが、大陸の人が日本の王様になったり太陽や月が絡んで絹織物が出てきたりするあたり何となく時代の雰囲気が伝わるようでちょっと面白く感じました。
という具合に虎尾串見物を終えたので今回はこれでおしまいにしますが少しオマケです。大甫の町で買ったマッコルリの瓶にシンボルの「お手々」が描かれたラベルが貼ってありました。マッコルリ醸造場は韓国中無数にありこのように地方色を出したラベルもあってなかなか面白いものです。
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