(前回のつづきです。)
千葉県最北端の対岸、茨城県境町停留所からは東武野田線川間駅、東武伊勢崎線東武動物公園駅、JR東北本線古河駅の3方向に行くバスが出ています。せっかく川間駅からのバスで千葉県から茨城県に渡って来たので、千葉県に戻らず茨城県側に抜ける路線に乗り継ごうと古河駅行きに出ることにしました。
30分弱乗って降りたのは古河の街中にある古河一丁目です。私鉄の方が好みなのでJRの古河駅ではなく東武日光線の新古河駅に出ようと考えたらこの停留所辺りが新古河駅に近そうなのでこうなりました。バス通りの日光街道から新古河駅に向けて西に入ると古河文学館や古河歴史博物館といった名所に近いためか道路の舗装が観光地っぽい雰囲気になっています。
西に向って歩いて行くとほどなく渡良瀬川を渡る三国橋に着きました。橋の途中に茨城県と埼玉県の県境があり、新古河駅は渡った先なので茨城県古河市ではなく埼玉県加須市になります。所在地ではなく近くの別の地名をとった駅名は結構あるものですが隣県からとるとは大胆ですね。新古河のように県までは違わないものの旧杉戸駅の東武動物公園駅は杉戸町から川を渡った宮代町だったり足利市駅は足利市内ではあっても中心とは川を隔てていたりと微妙な川向うの位置の東武の駅というのを他にも思い出したらなんだか面白く感じました。
渡良瀬川を渡り終えるとすぐに新古河駅が見えます。所在地は加須市向古河なので一応所在地名にも古河とはついていることにはなりますが、それなら新古河よりも向古河の方がそのままな響きというのかもっと面白い感じになるかもとも思ったりです。
新古河駅からは東武日光線にひと駅だけ乗って北隣の柳生で降りました。静かな駅前には駅前食堂ならぬ駅前肉店がありなんとなく頼もしいものがあります。
柳生駅での目当ては近所の埼玉・栃木・群馬の3県境です。ただの田んぼの端でもよく整備されちゃんと名所らしくなっているので感心しました。
千葉県最北端近くで千葉・埼玉・茨城の3県境を記念した「三県鶏鳴之地」の碑を見た後に古河まで出ることになったので気になって足を運んだというわけですが、比較すると川の中で足を運べない千葉県最北端や千葉・埼玉・茨城県境に対し直接足を運べる埼玉・栃木・群馬県境の方が名所にしやすくはあるなあと思うところです。
埼玉・栃木・群馬の三県境は渡良瀬遊水地の近く、となるとどうしても足尾鉱毒事件や犠牲になって消えた谷中村を思い出してしまい物見遊山気分だけというわけにもいかず田中正造翁の墓に足をのばしました。埼玉・栃木・群馬の3県境がある北川辺地域は田中正造が反対運動に立たなかったら遊水地にされていたかもしれませんから今3県境見物ができるのは田中正造のおかげということにもなりそうです。
また北川辺地域には田中正造の墓のほかに田中正造翁之霊と書かれた小さな祠もあり肖像なども飾られていました。
考えてみれば田中正造没後もう100年以上が経ちますが近年も福島原発事故が起こったりで公害が絶えることはなく加害企業はぬけぬけと生き延びクニも加害側に寄り添い被害者がひたすら苦しめられ続けるという構図が繰り返されていますからあまり進歩がないなあと改めてあきれたりです。
という具合で千葉県最北端見物から3県境見物に続き最後は田中正造と思わぬ方に流れたら秋のつるべ落としで暗くなったので東武に乗って東京に帰りました。
千葉県最北端の対岸、茨城県境町停留所からは東武野田線川間駅、東武伊勢崎線東武動物公園駅、JR東北本線古河駅の3方向に行くバスが出ています。せっかく川間駅からのバスで千葉県から茨城県に渡って来たので、千葉県に戻らず茨城県側に抜ける路線に乗り継ごうと古河駅行きに出ることにしました。
30分弱乗って降りたのは古河の街中にある古河一丁目です。私鉄の方が好みなのでJRの古河駅ではなく東武日光線の新古河駅に出ようと考えたらこの停留所辺りが新古河駅に近そうなのでこうなりました。バス通りの日光街道から新古河駅に向けて西に入ると古河文学館や古河歴史博物館といった名所に近いためか道路の舗装が観光地っぽい雰囲気になっています。
西に向って歩いて行くとほどなく渡良瀬川を渡る三国橋に着きました。橋の途中に茨城県と埼玉県の県境があり、新古河駅は渡った先なので茨城県古河市ではなく埼玉県加須市になります。所在地ではなく近くの別の地名をとった駅名は結構あるものですが隣県からとるとは大胆ですね。新古河のように県までは違わないものの旧杉戸駅の東武動物公園駅は杉戸町から川を渡った宮代町だったり足利市駅は足利市内ではあっても中心とは川を隔てていたりと微妙な川向うの位置の東武の駅というのを他にも思い出したらなんだか面白く感じました。
渡良瀬川を渡り終えるとすぐに新古河駅が見えます。所在地は加須市向古河なので一応所在地名にも古河とはついていることにはなりますが、それなら新古河よりも向古河の方がそのままな響きというのかもっと面白い感じになるかもとも思ったりです。
新古河駅からは東武日光線にひと駅だけ乗って北隣の柳生で降りました。静かな駅前には駅前食堂ならぬ駅前肉店がありなんとなく頼もしいものがあります。
柳生駅での目当ては近所の埼玉・栃木・群馬の3県境です。ただの田んぼの端でもよく整備されちゃんと名所らしくなっているので感心しました。
千葉県最北端近くで千葉・埼玉・茨城の3県境を記念した「三県鶏鳴之地」の碑を見た後に古河まで出ることになったので気になって足を運んだというわけですが、比較すると川の中で足を運べない千葉県最北端や千葉・埼玉・茨城県境に対し直接足を運べる埼玉・栃木・群馬県境の方が名所にしやすくはあるなあと思うところです。
埼玉・栃木・群馬の三県境は渡良瀬遊水地の近く、となるとどうしても足尾鉱毒事件や犠牲になって消えた谷中村を思い出してしまい物見遊山気分だけというわけにもいかず田中正造翁の墓に足をのばしました。埼玉・栃木・群馬の3県境がある北川辺地域は田中正造が反対運動に立たなかったら遊水地にされていたかもしれませんから今3県境見物ができるのは田中正造のおかげということにもなりそうです。
また北川辺地域には田中正造の墓のほかに田中正造翁之霊と書かれた小さな祠もあり肖像なども飾られていました。
考えてみれば田中正造没後もう100年以上が経ちますが近年も福島原発事故が起こったりで公害が絶えることはなく加害企業はぬけぬけと生き延びクニも加害側に寄り添い被害者がひたすら苦しめられ続けるという構図が繰り返されていますからあまり進歩がないなあと改めてあきれたりです。
という具合で千葉県最北端見物から3県境見物に続き最後は田中正造と思わぬ方に流れたら秋のつるべ落としで暗くなったので東武に乗って東京に帰りました。
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