前回(→こちら)の続き。
「仕事の話は、すべて英語ですること」
楽天やユニクロが社員にそのようなことを義務づけたというニュースに、
「別に英語じゃなくてもいいじゃん」
と、反感をおぼえる「チーム第二外国語」の私。
別に英語がダメとか嫌いとかいうわけではないが、世界の各所で(特に日本は)あまりにも英語信仰が強すぎて、第二外国語学習経験者としては正直なえるのである。
そりゃ現実問題として「英語=共通語」みたいになっているのは仕方がないし、日本が英語教育に力を入れるのも基本的には賛成だけど、なんだか
「外国語といえばすべて英語」
みたいなあつかいは、あまりにも視野狭窄ではあるまいか、とどうしても感じてしまうのだ。
それが行き過ぎてるなあと苦笑させられたのが、あるテレビ番組を見ていたときのこと。
ロケ番組で、企画としてはタレントさんが台本もアポもなしに(と言う体かもしれないが)初めての外国に行って、そこで右往左往しながら、
「伝説の食材を手に入れる」
「田舎のおばあちゃんに手紙を渡す」
みたいなミッションを達成するというもの。
その回の舞台は中国。人気タレントさんは、大陸で地図もないまま歩き回るのだが、このままではらちがあかないと道を尋ねることにする。
そこでの第一声というのが。
「エクスキューズ、ミー」
いやいや、場所は中国です。
しかも、声をかけたのはインテリ風の大学生とか商社マンでなく、ふつうの生活者。
そこで英語など、まあ普通は通じないとしたもの。
いぶかしげな中国のおばさんら。彼女らは英語をしゃべれないどころか、それが英語であることすらわからない。
そらそうである。そこは中国だから。
ついでにいえば、そのタレントさんも別に英語が話せるわけではない。我々と同じ、中2レベルのカタコト英語だ。
色よい返事のないところへきて、タレントさんはボヤくことになる。
はあ、とため息をついて。
「なんでだよ。なんで中国人、英語わかんないんだよ」
いや、だから、そこは中国だから。ふだんは中国語で話しているから。
日本でも、地元の商店街で買い物しているお母さんとか子供は、英語話せませんやん。
「なんで英語が通じないんだ」
これはホント、二重にも三重にもおかしい。
人情として、とりあえず英語で話しかけるというのは理解できる。
日本では「外国語=英語」だから、とっかかりとしてはそうなる。私だってそうするかもしれない。
けど、それを通じると決めつけたり、理解されないと文句を言ったりするのは絶対におかしい。
だって、相手は中国人だし、そもそもそのタレントさんだって英語が話せないんだから
「オー、イングリッシュ、オーケー」
てペラペラ返されても困るはずだし、根本的なところでいえば、彼は日本人だし!
なんという「ねじれ」の構造なのか。
日本人が、中国に行って英語などわかるはずもない中国人に英語で話しかけ、しかも自分も話せないのに、
「なぜ中国人は英語がわからないのか」
と文句をつける。
なんか、どこから手を付けていいかわからないくらいに、不思議なことになっている。
とっかかりの英語がダメなら、文句を言う前に(というか文句を言える筋合いも権利もないのだが)「旅の会話集」みたいなものでもいいから現地語で話しかけるべきだろう。
もちろん番組自体は楽しいもので、スタッフにもタレントさんにも変な意図はないのだが、見ていて複雑な気持ちにさせられるには充分なものだった。
なんか、変だよ日本の外国語観って。なんでもかんでも英語に偏りすぎだ。
そこで前回は「辺境作家」の高野秀行さんや、東京外国語大学の学生さんの提案する、
「英語の代わりに、リンガラ語とかマレー語、インドネシア語を共通語にしたらいかがでしょう」
これに一票を投じたわけだが、ここにさらなる「世界共通語」のアイデアを持ってきた人がいる。
それはミュージシャンで作家の町田康さん。
パンク歌手でありながら芥川賞も受賞するという異色で多才な町蔵さんが、英語推奨のユニクロのCMでいっていた案とはどういうものかと問うならば、
「世界中の人が、大阪弁を学習すればいいと思うんですよね。そうすれば、ものすごくハッピーになるんじゃないかと思って」
世界共通語を大阪弁。
これはまた、すごいところから弾が飛んできたものである。英語でなく大阪弁。
となると、世界でもめ事が起こると、国連やサミットなんかで各国首脳が
「移民受け入れ無理とか、ほな、どないせえっちゅうねん!」
とかいうのであろうか。
嗚呼、なんてマヌケですばらしいんだ。
そんなステキな未来は、ぜひ実現してほしい。
なんにしろ、「英語ばっかり」なのがいびつなんだ。そうでなければ、ベンガル語でも、ヨルバ語でも、アルメニア語でもトラルファマドール星語でも、どんな言語でも持って来い。
そうだ、ローカル語を世界共通語に!