ひとりカラオケで、心ゆくまでアニメソング特撮ソングを歌いたい!

2017年02月11日 | 音楽
 「先輩、今度ボクとひとりカラオケにつきあってくだいよ」。

 などという面妖なお誘いをしてきたのは、後輩ナミマツ君であった。

 昨今「おひとりさま」という言葉がメジャーになる世の中。「ひとりカラオケ」が、かつてほどの抵抗がなくなったというのは聞く話である。

 たしかに、これなら時間いっぱい歌えるし、興味もない他人の歌を聴かなくてもいいし、「みんなが知ってる曲」とか「全員で踊れる流行りのもの」みたいな選曲に気をつかわなくてもいい。

 自意識と店員の冷笑するような目(ではないかという妄想)が気にならなければ、純粋なカラオケ好きには、むしろこちらのほうが楽しいかもしれないと思うほどだ。

 なので、「ひとり」自体は別にどうということはないが、問題はそのあとのセリフである。

 「ひとりカラオケにつきあってくれ」

 とは、どういうことか。私のようなフワフワ頭でもひっかかる、見事な論理矛盾である。ひとりカラオケやねんから、一人で行けよ。

 そもそも、私はカラオケ苦手だしなと、二重三重にツッコミを入れてみるなら、ナミマツ君は。

 「いやいや、それはわかってますねん。だから、先輩は別に歌わんでよろしんです」。

 そしてなぜか得意げに、こう宣言したのだ。

 「ただついてきて、オレの歌ってるところをこころゆくまで見といてほしんです」。

 ナミマツ君によると、自分はカラオケが好きだ。だが、だれかと一緒に行って気をつかいながら歌うのは本意ではない。

 なので、ひとりカラオケに行くわけだが、ここで問題なのは一人だと気楽だが、聞いてくれる相手がいないというのは、それはそれでさみしい。

 そこで私の出番である。カラオケが特に好みでない私なら、独り舞台でも「おい、そろそろこっちにマイクを渡せ!」という展開にならず、誰はばかることなくマイクを独占し、同時に拍手や合いの手ももらえると。

 なんじゃそりゃ、わしゃカラオケスナックのホステスかと笑いそうになったが、

 「そら、タダとはいいません。なにが楽しくて、素人の歌をだまって聞いとらないかんねんと思ってはるんでしょ。だから、ボクがおごりますよ。食べ物もドリンク代も全部出します。食い放題飲み放題の逆ディナーショーですわ!」。

 おごり。この言葉にはグラっとくるものはあった。なんと言っても私は吝嗇でならす男。「全部向こうもち」は岩をも動かす魔法の言葉なのだ。

 うーん、ロハかあ。先輩として、後輩におごってもらうのはいかがなものか、というプライドに関してはまったくそんなものはないので問題ないが(←ちょっとは問題にしろよ)、カラオケねえ。

 まだ煮え切らないところであったが、そこにかぶせてナミマツ君は、

 「それに、オレが歌いたい歌を理解して、ちゃんとした合いの手打てるの、ボクのまわりでは先輩しかおれへんし……。なんとか、来ていただけんでしょうか」。

 あー、そっちの問題もあったかあ。それはたしかにそうかもなあ。

 というと、そのそっちの問題ってどっちの問題やねんとつっこまれそうなのでここに説明すると、ナミマツ君が「ひとり」にこだわるのは、気がねなく歌いたいことともうひとつ理由があって、それが選曲。

 そう、彼はアニメや特撮が大好きないわゆる「オタク」であって、カラオケで歌いたいのはサザンでも長渕でもなく、水木一郎や子門真人といった「昭和のアニソン特ソン」なのであった。


 (続く→こちら




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