こんなにおかしな、シャーロック・ホームズの世界 その2 『緋色の研究』編

2017年02月02日 | 
 シャーロック・ホームズの物語はである。
 
 いきなりそんな断言すると、全国のミステリファンから日本の古武術バリツでもってライヘンバッハの滝壺に、ぶん投げられるかもしれない。
 
 ところが、これが俗に「シャーロキアン」と呼ばれるマニアックなホームズファンなら、ニヤニヤしながら「そうだよなあ」と首肯してくれるであろう、普遍の真理なのである。
 
 それは前回(→こちら)の、
 
 「ホームズ、色んなパスティーシュやパロディーで変なキャラ競演しすぎ問題」
 
 を顧みていただいても、わかることだが、ホームズ物語は、とにかくちょっと変なのである。
 
 ミステリというのは、は大きく分けて二種類ある。
 
 ひとつは「トリック」には目を見張るものがあるが、そのぶん登場人物やストーリーにしわ寄せがきて、話が不自然になったりするもの。
 
 いわゆる、識者にしたり顔で「人間が描けてない」って批判されがちなアレ。
 
 もうひとつはキャラや文章のテンポはいいが、代わりにトリックが
 
 
 「こんなんじゃ物足りないぜ!」
 
 
 といいたくなるような仕上がりとなっている。このどちらか。
 
 いわば「推理小説」の「推理」に重きを置くか「小説」に置くかのちがい。
 
 前者がエラリー・クイーンなど「本格」と呼ばれる作品に多く、後者は私の好きなウールリッチクレイグ・ライスとか、謎解きのところにちょっと甘さがあるようなもの。
 
 論理より雰囲気が大事。クリスティーは半々くらいか。
 
 ホームズものは一見前者の様に見せかけて、読んでみるとわかるが、実は思いっきり後者の「小説」タイプのミステリなのである。
 
 なもんで、現代の子供がコナン君金田一少年とか「本格っぽい」ものからミステリに興味を持ってホームズに入っていくと、まずたいていが
 
 
 「え? なにこれ?」
 
 
 となるのだ。
 
 たとえば、ホームズのデビュー作である『緋色の研究』。
 
 この小説で、名探偵シャーロック・ホームズは華々しく世界にその名をとどかすことになるのだが、これがいきなりである。
 
 本来はミステリを語るのにネタバレは絶対にやってはいけないのだが、今回は流れ上、もう全部語ってしまいます。
 
 ホームズものをまだ読んでない方は、以下は飛ばしてください
 
 
 
 
 
 
 
 
 『緋色』のなにが変といって、ホームズの活躍するところが最初の半分くらいで終わってしまう
 
 本来なら、物語の最後の最後で明かされるはずの犯人が、途中で結構あっさりわかってしまうのだ。
 
 で、残りは? と問うならば、これが犯人による昔語り
 
 2時間ドラマなんかで、犯人がラスト断崖絶壁に立って、
 
 
 「そうよ、あたしが殺してやったわ」
 
 
 なんて、延々と恨みつらみを独白するシーンがお約束になっているが、まさにそれ。
 
 しかもこれが長い。文庫本で100ページくらいある。
 
 内容的にも骨太であり、借金とか不倫で愛憎のもつれとか、そんなもんではない。
 
 なんとアメリカ西部開拓時代にさかのぼり、そこでモルモン教徒との確執がからんできたりするから、ややこしい。
 
 で、一夫多妻文化の中、無理矢理結婚させられようとした娘一家を助け出そうとするに燃えた青年と、その追っ手たちとの逃亡劇とか、めっちゃ読みごたえはあるんだけど、ホームズ関係ねーじゃん
 
 もう、ページをめくりながら、つっこみたくなること必定。
 
 まあ、そこもおもしろいんだからいいけど、これを初めて読んだ小学生のころは、なんとも釈然としなかったものである。
 
 ミステリファンにも、たいていこの部分は評判が悪い
 
 驚天動地のトリックとか、出てこないもんね。
 
 作者のコナンドイルにとって、本当に書きたかったのは歴史小説であり、ホームズは手なぐさみというか、バイト感覚で書いていたということは、よく知られた話。
 
 それが、なまじウケちゃったものだから、ドイル先生はものすごくそれで悩んで、
 
 
 「ホームズにわたしのキャリアを台無しにされる!」
 
 
 もう、ボヤきまくっていたそうな。
 
 お笑いで言えば、スーツ姿で正当派漫才をやり「M−1戦士」として優勝を目指していた芸人が、たまさか「一発芸」とか「おもしろキャラ」としてブレイクして、それしか仕事が来なくなってしまったようなものか。
 
 ついには「もうホームズは書きたくないねん!」とばかりに、『最後の事件』ではホームズをスイスまでつれていって、殺してしまったりもしたものだ。
 
 そこまでだったか、ドイル先生。
 
 つまりは、『緋色の研究』における後半の
 
 
 「ホームズ出てけえへんやん!」
 
 
 は、なんとも失礼な話で、そもそもにして後半の新大陸を舞台にした活劇こそが、先生の本当に書きたかった物語なのだ。
 
 ホームズはそのおまけ
 
 こうして、
 
 
 「オレは探偵小説みたいな、大衆ものしか書けへん下品な作家ちゃう!」
 
 
 堂々と宣言したドイル先生だが、このホームズ殺しにはファンが怒り心頭
 
 「ふざけんな!」と抗議が殺到し、また再開を望む読者、編集側からの声も無視できなくなって、『空家事件』で見事ホームズは復活
 
 
 「ホームズ、生きていたのか」
 
 
 というワトソンの言葉には、
 
 
 「ジャンプの漫画かよ!」
 
 
 子供心にもつっこみを入れたものであるが、かように
 
 
 「バッファローマン、どうやって助かったんだ」
 
 「富樫、オマエ生きとったんか!」
 
 
 といった、
 
 
 「人気キャラは、ご都合主義で生き返ってもいい」
 
 
 という、人気連載普遍の法則は、なんとホームズこそが元祖だったんですね。
 
 やっぱだよ、シャーロック!
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
 
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