第二外国語の選択はむずかしい。
というテーマで以前少し語ったが(→こちら)、私の場合はドイツ文学科に進学したので、これに関しては泣いてもわめいても「強制ドイツ語」。
前回はハイネの『ドイツ古典哲学の本質』を紹介したが(→こちら)、今回も、私をそんなマイナー街道へと導いた、罪深くもすばらしい作品の数々を紹介したい。
ハインリヒ・ハイネ『流刑の神々 精霊物語』。
前回の『ドイツ古典哲学の本質』がおもしろかったので、セットで読んでみたが、こちらも大あたり。
ヨーロッパといえばキリスト教文化というイメージが強いが、「野蛮」だった古代ゲルマンなどには実に多様で魅力的な神々や妖精などが存在していた。
それらを「流刑」に処し、ヨーロッパから粛清してしまったのが「一神教」のキリスト教。
「唯一神」を抱くそれにとって、古代からその土地に根付いた多くの神々は否定されるべきもの。
また布教の邪魔にもなるということで、その多くが「悪魔」などとして追放された。
だがその文化的「侵略」を悲しんだハイネは、丁寧にそれらを拾い上げ、慈しみの心でもって読者の前に提示していく。
一言でいえば、
「トールキンからドラクエまで、あらゆる《ファンタジー》世界の元ネタ」
ユピテルやオーディンは「悪魔」になり、コボルト、エルフ、サラマンダーなどとの交流は消え去ったが、詩人は決してそれを忘れない。
日本でいえば、トトロやポケモンが「おそろしいモンスター」にされ、京極夏彦さんの小説が禁書。
水木しげる先生は「魔女」として裁判にかけられるようなものか。
失われた伝説や神話を残すというのは、「今」を生きる我々のレゾンデートルの根源にかかわる仕事だが、ハイネはその筆の力で見事にそれを成しとげているのだ。
読めば眼前に広がる、ドイツの森、北欧の海、ギリシャの大地。
ときに楽しく、ときに壮大で、ときに哀しくも美しい、失われた神々や精霊たちよ!
ユーモアもふんだんに盛りこまれた文体ながら、全体を通じて感じられるキリスト教の「不寛容」への静かな怒りも盛りこまれているところに、重低音的深みも感じられる。
ファンタジー的興味のみならず、民俗学や比較文化論の観点からも価値の高い本。
『ドイツ古典哲学の本質』を酷評された小谷野敦さんも、こちらは高評価をつけていますね。おススメです。
(続く→こちら)